8

 放課後になってアメは図書室に向かった。極力音を立てないよう扉を開閉し、視線をさまよわせるとその姿はすぐに発見できた。書架の間を通って近づく。


「よっ、元気そうだな」

「あ、こんにちは」


 美空は図書室の広い机にノートと教科書を広げていた。この日は読書ではなく、感心なことに休んだ分の勉強をしていたそうだ。それなら邪魔しちゃ悪い。あまり長居はしない方がいいだろう。だが、一つだけ報告したいことがあった。

 アメは彼女の対面に座って、声をひそめた。


「『楽園のイエティ』読んだぞ」


 昨日家に帰ってから、せめて絵本の一冊くらいはと思い、夜ふかしして読み終えたのだ。

「なんつーか……悲しい話だったな」

 もともと本を読みなれていないのでなかなかうまい言葉が見つからなかったが、とりあえず切ない話なのはなんとなくわかった。

「ちょっと考えさせられるお話だよね。でも絵本てだいたいそういうものなんだよ。わかりやすいハッピーエンドってあんまりなくて、何かしら教訓を含んでるというか」

「ふーん、そうなのか」

 正直絵本なんて小さい子が読むものと侮っていたが、おもしろさがわかりやすいマンガよりもずっとためになるような気がした。

「美空はあれのどこが好きなんだ?」

「うーん……そうだなあ、どこっていったら全部なんだけど……やっぱりイエティがかわいいところかな。強くて頼りにもなるし。あとは、ああいう場所にちょっと憧れるよね。ご馳走があって温泉もあって、きれいなお花も生えてて」

「ああ、それわかる。一生ああいうとこで暮らしたいよな」

「うん、まさに楽園だよね。でもそこには実は秘密があって……」

「リラだっけ、あの子はかわいそうだったな」

 母親に拒絶され、そのあげく最後にはイエティに変わってしまった少女。


「やっぱコンは、リラと違って母さんに愛されてたから、元の場所に戻れたのか?」

「そうも捉えられるかもしれないけど、わたしはあんまり好きじゃないかな。解釈は人それぞれだけど、リラは捨てられたんじゃなくてもう死んじゃってて、だからお母さんは驚いていたのかなって。楽園は、本当は『死者の国』で、生者であるコンは、もともといちゃいけない場所だった。だから、悲しいけど、ラストはあれでよかったってわたしは思う」

「なるほどな……」

 だからこその楽園か。そう考えると、まだ救いはある気がした。

 さすが美空は好きなだけあって、しっかり自分なりの考えを持っていた。


 アメが感心していると図書室の扉が開く音がした。思わず見やると、入ってきたのは漣だった。彼はアメと美空の存在に気付くと、声をかけるまでもなくまっすぐ歩み寄ってきた。

「やあ、二人ともお揃いで、ちょうどよかった」

 アメと美空が揃っているタイミングで、頼みたいことがあったのだと漣は言った。

「勉強しているところ申し訳ないけど、ちょっと時間もらっていいかな?」

 大丈夫、と美空はいったんノートを閉じて聞く態勢をとる。


 まず何か部活に入っているかと訊いてきたので、双方否定する。

「ならよかった。実は僕、この春に〝浪越自然観察研究会〟っていう活動を立ち上げたんだ。といってもまだ僕しかいないんだけど、もしよければ二人とも入部してくれないかな?」

 唐突な申し出に、アメと美空は目を見合わせた。

 なんでも、その名の通り浪越の自然を観察して記録し、研究や保全へつなげることを目的とする活動らしい。鏨山へよく足を運んでいたのもその一環だそうだ。

「もともと、自分で言うのもなんだけど地元愛はあるし、それに何かしらやってた方が将来役に立つかもしれないからね」

 幸といい、見上げた姿勢だ。将来のために活動を立ち上げるなんて発想は、アメには皆目なかった。


「漣はなんか将来の夢でもあんのか?」

「うん。まだ漠然とだけど、まさしく自然の保護とか、緑との共生を重視した街の景観を企画するような仕事をやりたいなとは思ってる」

 ヒートアイランドや地球温暖化が問題になっている今、それを食いとめるためにも緑は必要で、闇雲に建物やインフラを造れば街の景観も損なわれる。ちゃんとした設計やプランを立てておかなければならない。最近は都市の防災設備・機能の見直しも全国でなされているので、そういうものとの共生も重要だそうだ。将来そういった街づくりに携われれば、ということだった。


「すごい、いい夢だね」


 美空が漣に尊敬の眼差しを向ける。

「街づくりって俺にはよくわかんないけど、そういうのちゃんと考えてる人がいるんだな。てっきり俺は、漣はカメラマンでも目指してるのかと思ってた」

「カメラは好きだけど、人気の職業だし、さすがにそこまでの熱意はないかな。でも、夢ができたのは写真のおかげでもあるよ。環境破壊とか、人間の活動が引き起こした負の部分を撮影する専門の写真家なんかもいて、そういう写真を子どもの頃から見たりしてたから。それで話は戻るけど、ひとりでやってるよりはやっぱり何人かいた方がいいなって思ってたんだ。協調性を評価してもらえるっていうと、現金な考えみたいで申し訳ないけど」


 基本的な活動としては、たまの休日に浪越の各所に出かけて、ちょっとしたアクティビティや観察をするだけだという。部長はもちろん自分が務めるし、記録のまとめなども大部分は漣が執り行うということだった。

「なら、いいかもな」

 アメとしてはこれ以上ないほど好都合な活動だ。一緒にどこかへ出かける仲間は多い方が楽しいに決まってる。

 そう思い美空を見ると、予想外に彼女は渋い表情を浮かべていた。

「お誘いは嬉しいんだけど、わたし休みはできればお店の手伝いしたいんだよね。伯父さんにお世話になってばかりだと悪いから……」

「そういやそうだったな……」

 昨日ちらっとそんな話をしていたのを思い出した。

「活動はせいぜい月に一日か多くても二日くらいの予定でいるけど。もちろん都合が悪いときは無理強いしない。それでもダメかな?」

 漣が譲歩すると、そういうことなら、と美空は前を向いてくれた。アメも胸を撫で下ろした。同時に、改めて今後は彼女の体調をしっかり気に留めておこうと心に誓う。

 漣も肩の荷が下りたのか、ほっと息を吐いた。


「欲をいえば、あとひとり部員がいればいいけど、そこまで贅沢は言えないか」

 浪越高校は四人以上部員がいる活動なら、部室を与えてもらえるらしい。

「部室あると、なんかいいことあんのか?」

「もちろん。そこで打ち合わせしたり勉強したりできるし、適当にだべったり遊んだりもできるよ。あると何かと便利だと思う」

 それは憧れる。まさに充実した学生じゃないか。ぜひとも実現したい。そのとき、アメはピンと閃いた。

「だったら、ひとり当てがあるぞ」

 活動内容的にもぴったりの人材がいた。

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