13
「ざっと二十年分ある」
そう言って山河は、どすんとアメの前のローテーブルにダンボール箱を置いた。中を見ると、浪越高校の歴代の卒業アルバムがぎっしり詰まっていた。
「まあ、気が済むまで探してみたまえ」
くれぐれも汚したり傷めたりしないように、と念を押して山河は去っていった。
アメは学校へ来ていた。もちろん、あの娘の手かかりを掴むためだ。君ヶ浦でアメジストを手にしてから、自分が彼女のことを知るべきだとはっきり認識した。
夏休み中だが山河は普通に職員室にいた。理由を説明して卒業アルバムを見せてもらえないか頼むと、応接間で待っているよう言われたのだった。
なにせ、最初に彼女を見かけたのはこの学校なのだ。制服も着ていたわけだし、やはり浪越高校の生徒だったと考えるのが自然だろう。アルバムには卒業生全員の顔写真が載っているはずなので、顔を見ればいっぱつだ。
アメはさっそく新しい年度のものから手に取った。目を皿にして、彼女の顔を思い浮かべながら一人ひとりの顔に目を通していく。行事やクラスの様子を切り取った写真など気にも留めず、追いたてられるようにページを捲った。幸い浪越高校はクラスが多くないので、二十年分あってもそれほど時間はかからなかった。
そう、見終わってしまったのだ。つまり発見できなかった。
「いないかあ……」
落胆したアメはソファーに背中をうずめた。目頭を押さえて痛みに耐える。
もっと前の生徒なのだろうか。しかし、それは考えにくかった。なぜなら、この二十年の内に制服が変わっていたからだ。あの娘が着ていた制服は間違いなく現在のものだった。
それとも転校したか。それならもうお手上げだ。
仕方なく丁寧にアルバムを箱に戻し、山河へ返しにいく。
「いませんでした……」
「そう……残念ながら、こっちも収穫はなかったよ」
山河はキャスターのついた椅子を後ろに下げてアメの方を向き、腕と脚を組んだ。
「イエティ倶楽部のメンバーや活動の記録は残っていなかった。この学校は部員が四人以上いると部として申請できるんだが、四人以上いなかったか、あるいは非正規の活動だったのか……」
イエティ倶楽部については、山河自身も漠然と覚えていただけで詳細は知らなかった。アルバム以外にもう一つ可能性のある線として、もしよければと調査をお願いしていたのだ。
「そうですか……わかりました。ありがとうございました」
アメはぺこりと頭を下げると、「家に帰ってまた考えてみます」と言って学校をあとにした。
早くも手詰まりとなった。夕食をとったあとで、アメは自室で悶々としていた。
「どうしたもんかな……」
ベッドに仰向けに寝転がって、アメジストを眺める。
「お前がまた何か教えてくれたらいいんだけどな」
気休めに問いかけてみても、蛍光灯の光を鈍く反射するだけで君ヶ浦のときのようなことは起こらなかった。
静寂に暮れた世界はやけにつまらなかった。それだけならまだしも、これまで音楽が堰き止めてくれていたらしい漠然とした不安が募っていた。にも関わらず何もできることがない。もどかしさが焦る。
寝返って横を向くと、誤ってアメジストを手から落としてしまった。すぐに床に目を落とすが見当たらない。どうやらベッドの下に入ってしまったようだった。
「はあ……ったく」
アメはため息をついて、床に屈みこんだ。ベッドと床の間のわずかな空間に、思った通りアメジストが転がっていた。しかし、あったのはそれだけじゃなかった。
「なんだあれ?」
そういえばベッドの下をのぞいたことはなかった。窮屈そうに手を伸ばして触れると、本の厚紙の感触がした。アメジストとともに取り出すと、それは絵本だった。
『楽園のイエティ』
聞いたことのないタイトルだ。だが、〝イエティ〟という最近意識することの多かった文字にアメははっとした。
表紙には民族衣装をまとった少年少女と、街じゅうにあるあの雪男が描かれていた。
「この本のキャラだったのか」
表紙の中で三人(二人と一体)はお花畑で遊んでいる。ヒマラヤ地方に伝わる民話のようだ。一見して浪越とあまり関連性があるようには見えない。浪越町はどうしてこのキャラクターをシンボルに採用したのだろう。そう思いながらページを開くと、はらりと何かが落ちた。
ひらひらと舞うように落ちた紙片は、折りたたまれた新聞の切り抜きだった。栞として挟んでいたのだろうか。
拾い上げてアメは目を疑った。英字の記事に、カラーの写真が載っていた。そこに、海外の子どもたちに囲まれたあの娘が写っていた。
解像度はよくないが見間違えるはずがなかった。子どもと手を繋ぐ彼女は、キャップを被り、半袖シャツにショートパンツというラフないでたちだった。近頃アメが見ていた姿よりも若干肌が焼けている。その顔には、笑みとともに慈愛の色がありありと浮かんでいた。記事には、途上国の子どもたちを支援する国際協力団体の活動、という旨が記されている。だが残念ながら名前などの素性は書かれていなかった。
アメはいても立ってもいられず、階段を駆け下りた。とっくに閉店時刻を迎えているが、澤井はまだカウンターの中で作業していた。「マスター!」と言って詰め寄る。
「この写真に載ってる女の子、誰なんですか!?」
アメは、興奮気味にその女の子が何度も自分の前に現れるので、ずっと誰なのか知りたかったのだと話した。澤井は驚きながらも記事を受け取ると、顔から幾分離して目を凝らした。
「そんなことが……でもなあ……ごめんね、ちょっと見覚えはないなあ」
「本当ですか? じゃあどうして、あの部屋の本にこんな写真が挟まってたんですか? マスターが切り抜いたんじゃないなら、誰がやったんですか? もしかして俺の前に、あの部屋を使っていた人がいるんじゃないですか?」
矢継ぎ早にアメは詰問した。自分は残留思念のようなものに触れていたのではないか。君ヶ浦のことのように、まだ隠していることがあるのではないかという疑念が膨らんでいた。しかし澤井は「まさか」ときっぱり否定した。
「あの部屋は、アメくんの前は誰も使っていないよ」
「じゃあ、部屋に落ちてた楽園のイエティっていう本は?」
「はて・・・・・・そんな本あったかな・・・・・・」
「そんなのおかしいでしょ!」
思わず声を荒げてしまい、はっと我に返る。
「すいません、つい熱くなっちゃって……」
「いや、いいんだ。けど本当に憶えてないんだよ」
顔をしかめるその様子は、嘘をついているようには見えなかった。しぶしぶ、自分でもう少し調べてみると言ってアメは引き下がる。
「力になれなくてすまない……」
澤井の申し訳なさそうに表情に、アメは自分の恩知らずな行為を恥じた。
翌日、アメは野崎のもとを訪ねることにした。ボー・シエルの店内に入るのは久しぶりだ。手動のガラス戸を開くと、甘い匂いが鼻孔をくすぐった。
まだ開店前なので、野崎はショーケースに商品を陳列していた。相変わらず凝った意匠のケーキや洋菓子が並んでいる。忙しいところにお邪魔した非礼をわびると、野崎は「まったく問題ないよ」と言ってさわやかに迎えてくれた。
「珍しいね、おつかい?」
「いえ、そういうわけじゃなくて……」
アメはトートバッグから新聞記事を取り出してショーケース越しに渡す。
「部屋で見つけた写真なんですけど、そこに写っている女の子のことを知りたくて。浪越出身とか、トリコットに関係あるんじゃないかと思ってるんですけど、ご存知ないですか?」
「へえ、可愛らしい娘だね。けど……ごめんね、見覚えはないかなあ……」
「そうですか……じゃあ、この本は?」
「楽園のイエティ? ……なんとなく聞いたことあるような気がするけど、そういうのは疎くて……あ、でもそこに写ってるキャラクターって、店の前にあるのと同じだね」
「知らなかったんですか?」
野崎もまた、今初めてこの絵本のキャラだと知ったようだった。彼自身はオブジェにはまったく関与していないのだという。単なる町興しの一環か何かだと思っていたそうだ。
「何か浪越と繋がりのある内容なのかな。読んでみた?」
アメは首を横にふる。昨日は興奮やら申し訳なさやら様々な感情で混乱して、読む気にはなれなかった。
「そうですね、読んでみたら何かわかるかもしれませんし……あと一つ訊きたかったんですけど、トリコットってずっとマスター独りで暮らしてたんですか?」
澤井を追及するような真似はもうするつもりはなかったが、疑念が完全に払拭されたわけではなかった。
野崎は「そうだよ」と即答し、「残念ながらね」とつけ加えた。
「彼は決して、人を傷つけるかもしれない嘘や隠し事はしないよ」
顔はちょっと怖いけどね、とお茶目にウィンクした。野崎のその言葉は、妙に説得力があった。
次にアメは、二日連続で学校へ足を向けていた。夏休みとはいっても、部活に汗を流す生徒や補習を受けている生徒がいる。よくも悪くも青春しているその姿に、アメは若干の寂しさと肩身の狭さを感じつつ、職員室の扉を開けた。
山河は自分のデスクでマグカップを片手に、眉間に皺を寄せてパソコンを睨んでいた。まったく同じ光景を昨日も見ていた。
「大人になるとそうやって皺が増えていくんですね」
「きみはわざわざ喧嘩を売りにきたのか?」
無垢な悟りがつい口に出てしまい、殺気を感じたアメはすぐに本題に入った。
「実は昨日の夜、思わぬ発見がありまして」
不機嫌そうな表情の山河に記事を押しつけて、そこに写っている人こそ探している女の子だと伝える。
「ほお、見つけたのか」
経緯を話してから、アメは写真を凝視する山河に「見覚えないですか?」と視線で訴えた。山河はこめかみに指を添えてうなりながら考えこんだ。また眉間に皺が寄るのを見て、濃くなってしまわないだろうかとあらぬ心配をする。
「……いや、ないな。悪いが私の記憶にはない」
はあ、と思わずアメはため息をついた。念のため何かの手かかりになるんじゃないかと、アメは絵本や街のイエティ像のことも尋ねたが、山河も情報は持っていなかった。万事休すだ。
「しかしイエティか……イエティ倶楽部と何か関係があるのかな?」
「偶然にしては、できすぎてますよね」
「この写真の娘がその本の元の持ち主で、大好きな一冊だったから、同じイエティという名に引き寄せられたのかも」
自分でも半信半疑という調子で山河は言った。
突飛ではあるが、オカルトチックな考え方をするならそうなのかもしれない。枕の下に本を入れて夢想するように、彼女の思念とシンクロしていた。それが君ヶ浦という場の力か、あるいはアメジストの魔力のようなものによって分離してしまった――
山河は記事をコピーさせてほしいと言った。一応、他の先生方や知人にも照会してみてくれるそうだ。
その夜、アメは楽園のイエティを読んだ。
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