11

 目的のバス停に降り立つと、強い西日にあてられアメは思わず腕でひさしをつくった。

 

 幸と別れたアメは、もう一つの用事を足しておくことにした。ひまわり畑探しだ。澤井に浪越でひまわり畑がありそうな場所を尋ねると、この地域を教えられた。

 緑に囲まれた里山のような風情の地域だった。ぽつぽつと古めかしい民家が立ち並び、その間に介護施設や消防の分署、浄水場なんかがあった。人通りはない。この日もお祭が開催されているので、みな出てしまっているのだろう。

 細い枝道に入っていくと、キンモクセイのいい香りがした。剪定せんていされた生垣や古い門構えの奥には、瓦を葺いた屋根の立派なやしきも建っていた。庭に柿やミカンの木が植えられていたりして、果実を実らせている。

 

 歩いていると、ふとヒグラシの声にどこからか風鈴の音が交じった。夏休みに遊びにいった田舎の祖父母の家、畳にごろごろと寝転んで、い草の匂いとひんやりした温度に浸っている。夜には縁側から花火を見るのだ。スイカの甘い味がする。蚊取り線香がつんと香る。家族と並んで見上げている。そんな夢想が脳裏によぎった。

 今日は浪越大祭の締めくくりとして花火が打ち上がるらしい。縁側で見ることは叶わないが、トリコットからでも十分よく見えるはずだ。それまでには帰れるよう、ひまわり畑を発見できるといいのだが……

 

 歩いていくと、竹林に行く手を遮られた。密生した青竹は旺盛な生命力で空を覆い隠していて、アメは極相林を思い出した。中に立ち入ろうなどとは思わないが、どこか原風景じみた安心感がある。

 竹林に沿って道なりに進む。途中、はじめて人とすれ違った。甚平じんべいを着たお爺ちゃんだ。その人の姿が見えなくなったあとでアメは後悔した。ひまわり畑がこの辺にないか訊けばよかった。

 畑自体はところどころにあった。葉物野菜やとうもろこしが生えていたり、ビニールハウスを建てている家もある。しかし肝心のひまわりは見当たらなかった。家庭菜園や兼業農家のような小規模なものばかりで、さとやま公園でフラッシュバックしたような広大なひまわり畑はなさそうだった。

 

 もう少し進んでみて、ないようならここは見切りをつけよう。そう考えていた矢先、前方に何かが動いたのを捉えた。それは竹林から飛び出してきたようだった。茶褐色の体毛をした動物だった。目を凝らすと耳が長く、ぴょんこぴょんこと移動している。野ウサギだ。

 タヌキなら遭遇したことがあったが、ウサギははじめてだった。そいつは道端の野草を頬張ったり後ろ足で耳を掻いたりしている。その愛くるしい様をもっとよく見たいと、アメは忍び足を向けた。ところがあっけなく気配を察せられたようで、逃げるようにまた竹林の中へ姿を隠した。

「ちぇっ」

 悔しがりながらそこまで行ってみると、存外、竹林の一部が途切れて小さな道があった。そこから向こう側へ抜けられるようだ。頭上では笹が折り重なって林冠を形成している。自然のトンネルだ。この先に、子どもだけの秘密基地がある――思わずそんな妄想がめぐり、アメは躊躇なく踏み入った。

 出口から陽光が燦々と待ちかまえていた。向こうは開けた空間のようだった。導かれるように一思いに抜ける。

 そこに広がっていた光景に、アメは息をするのを忘れた。

 

 一面のひまわり畑だった。

 

 アメの背より高いひまわりが咲き誇っている。夕陽に照らされて朱みを帯びた大輪の花が、黄金色に輝いていた。さとやま公園の花々も見事だったが、ひまわりは格別だった。たおやかな可憐さではなく、瑞々しい生命力に満ちている。

 再び視界が切り替わった。一瞬、空が青空に変わっただけのように見えた。だがそうじゃない。ここと似ているようで、何かが決定的に違う気がした。なにより、すぐ脇に人の気配があった。

 顔を確認しようとするも、からだがいうことを利かない。その内、あっけなく現実へと引き戻された。当然、隣に人などいない。代わりにあのウサギがいた。ウサギはひまわりの根元で鼻をひくつかせていたかと思うと、その間へと入りこんでいった。

「あ、待って!」

 置いていかれる、ついていかなきゃ――なぜかそうしなければいけない気がして、アメもひまわりを押しのけた。大きな葉っぱがうるさいほど騒ぎ立て、青臭い香りが鼻をついた。雑然とそそり立つひまわり畑の中では方向感覚すら掴めず、前を行くウサギのかすかな音と気配を頼りに掻き分けていくしかなかった。

 一方で、アメの胸は興奮に高鳴っていた。無茶を怖れない純粋な好奇心、生まれてはじめて味わうような新鮮な感動。そんな高揚感に、服が汚れることも気にならなかった。

 

 目の前を誰かが走っていた。さっき隣にいた人だ。姿はほとんど見えないのに、不思議とわかった。追いつこうとして必死に脚を前に出す。と、ふいにひまわりがなくなった。畑の反対側まできたのだ。その瞬間、その背も消えていた。アメは危うくバランスを崩して転びかけた。小高い畦につまづいたのだ。しかも、その向こうは用水路だった。二、三メートルほどの幅の土手のもとを水が流れている。勢いのまま突き抜けていれば、危うく落ちているところだった。

 対岸に目をやると、シイやカシの木立があって、ウサギはその下の茂みへと潜りこんでいった。その先に何があるというのだろう。誘われるまま、アメは覚悟を決めて用水路を飛び越えた。不安だったが意外に余裕で渡れた。達成感に心が踊った。

 木立を抜けると、そこは墓地だった。山の裾野を切り開いたような土地に、階段状に多数のお墓が立ち並んでいた。気付けばもう宵の口で、翳った墓地はなかなか雰囲気があるが、怖いとは思わなかった。

「へえ、いいとこだな……」

 眼下には浪越の市街地があって、当然海も見える。それなりにいい眺望が広がっていた。死後に眠るにはなかなか快適そうな立地だ。

 墓地の上を見ると、背の高い土塀の真ん中に古びた木の門が間口を開けていた。そこから出られそうだ。階段を上っていると、ふと、まだ墓石のない空きスペースに目がとまった。そこにタンポポが咲いていたからだ。飛んできて綿毛が空いていたそこへ居ついたのだろう。死者の眠る地にあって、そのタンポポは強かな生命力を湛えていた。花は小さくとも、決してひまわりに見劣りなどしなかった。


「何か気になることでもありましたかな?」


 思わず屈んでタンポポを見入っていると、ふいに声をかけられ心臓がはねた。急いで立ち上がると、そこにいたのは袈裟を着た坊さんだった。剃髪した頭に深い皺を刻んだ顔は、仏のように柔和に微笑んでいる。咎めるような調子ではなく、アメはほっとした。

「こんなところにタンポポが咲いていたので、なんかいいなと思いまして……」

「ほお、お若いのに花を愛でる感性がおありとは、すばらしいですな。こちらへはお墓参りへ?」

「いえ、そういうわけじゃなくて……」

 アメは正直に、ウサギを追いかけてきたらここへたどり着いたのだと説明し、変なところから入りこんだことを謝った。すると坊さんはおかしそうに笑った。

「かまいませんよ。それよりウサギを見たのですか。それはご幸運でしたな。私が子どものころはたまに見かけたものですが、最近はめっきり――」

「へえ、そうだったんですね」

「今ではもう、夜にしか拝むことができませんで」

「夜ですか?」

 坊さんは「ほら、あちらに」とおもむろに天を仰いだ。霞色の空に月が出ていた。

「ああ、なるほど……」

「ちなみに、ウサギといえば亀を想像する方もいらっしゃると思いますが、この寺には亀もいるのですよ」

 帰るついでに見ていってはと勧めるので、アメはお言葉に甘えることにした。ついていく途中で坊さんがこのお寺の住職だと知った。

 

 階段を上がりきると土塀の前に石畳があって、その端に吹き抜けのお堂があった。中に楕円の大きな岩があり、その上にあの娘が座っていた。え、と思わず声を上げる。しかし、まばたきの内に消えてしまっていた。

「『亀岩かめいわ』といいましてね、ずいぶん前からこちらにあったようです」

 想像していたのと違った。てっきり浪越神社のように池でもあって、亀でもいるのかと思っていた。

「はるか昔に海から来たと伝えられていましてね、そういったことにお詳しい方がご覧になると、その痕跡も見てとれるのだそうですよ」

崇められている内に、いつしか功徳の高い動物である亀になぞらえられたのだという。いまでは豊漁や長寿、子孫繁栄などのご利益があると知れ渡り、これにお参りするためだけに訪れる人もいるのだという。

「よろしければ、上に腰かけてみてはいかがですか?」

「乗っていいんですか?」

「浦島太郎は亀に乗ったといいますから、かまわないとされています。むしろそうしたほうが、願いが成就しやすいとも」

 お堂の柱には、


『念ずれば花開く』


 と墨で書かれた木札が取りつけられていた。

「私の敬愛する詩の冒頭です。特にお子さんがよく岩に上って遊んでおられるので、いつの日かこれを思い出して、心の支えになってくれればと」

 そこにこめたのは、神仏を拝むことの大切さや、くじけそうになっても努力していればいつか報われる、という意味だけじゃないという。

 たとえば浪越大祭は収穫祭という一面もあって、街の人たちが一堂に会して恵みに感謝し喜びを分かち合う。ひとりの力じゃない。手を取り合ったからこその成果であり、集大成だ。ひとりの人間は一枚の花びらに過ぎないが、集まれば花と成す。そうして結実したタネが、またどこかで花を咲かせる。それこそが、あるべき人間の営みなのではないかと住職は語った。

「ここはお亡くなりになられた方々も、その花を眺めることができる場所なのですよ」

「住職はお祭へは行かれないんですか?」

「ここから祭の灯を眺めているだけで、十分味わっております」

 街灯が点きはじめ、浪越神社の方では光が集中している。昨日自分がいた場所を見下ろしているというのは、なんだか距離以上に遠くへ来たように感じた。

「この夜は花火が打ち上がるそうで、もしよろしければ岩に座ってご覧になっていってはいかがですか。ここはよく見えますから」

 少々不気味かもしれませんが、と笑って住職は去っていった。

 たしかに花火を見るならここほどいい場所はないだろう。近付くと、岩は胸元くらいの高さに、手を広げても届かないほどの幅があった。御神体めいたオーラをまとい、手を触れるとあたたかみを感じた。

 アメはその存在感に多少臆しつつも、意を決して亀岩へお尻を乗せた。すると、中央がわずかに窪んでいて案外座り心地は悪くない。ずっと人が座り続けて、ならされてきたのだろうか。

 

 花火の時間まではまだかなりあると思っていたが、一日の疲れに身を委ねていると、夏の盛りを過ぎた陽は釣瓶落としに暮れ、あっというまに夜の帳が降りた。月は暗くなるごとに明るさを増し、その輝きの強さゆえか星は見当たらなかった。

 そして、夜空に大輪の花が咲いた。


 祭の集大成である。まさしく――

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