8
昼下がりの陽気に誘発された欠伸を噛み殺しつつ、アメは駅から次々と吐き出されてくる人々を眺めて暇を潰していた。
駅前に面した広場では、街路樹や花壇が整備され、クリーム色のタイルが日光を反射している。ポール時計の近くでは、同じように待ち人を望む人々がたむろしていた。
浪越駅はこじんまりした駅だが、大都市圏へと連結する路線とローカル線の双方が乗り合わせている。休日ともなると、それなりに観光客で活気があるようだった。特にこの日は人通りが多い。夕方から〝
ロータリーにバスが到着し、降車した人の中にその姿を発見した。
「ごめ~ん、待ったあ?」
手をふりながら、いつもより数段高い声で歩み寄ってきた山河に、アメの肌が粟立った。
「待ってはいないですけど、今のですごい待ってた気がしました」
「む、失敬な。乙女心がわかってないなあ。そんなんじゃモテないぞ」
星マークが付いたような語尾に本当にげんなりしそうになって、アメはさっさと本題へ移ることにした。
「それで、今日はどこへ行くんですか?」
山河はとりあえず駅に入ろうと言うので、そのあとに続いた。駅前での待ち合わせということで察してはいたが、やはり鉄道を利用するらしい。
切符を受け取ると、ローカル線の方のものだった。まだ乗ったことがなかったのでちょっと嬉しい。数分後に便があるとのことで、ホームで待機しておくことになった。
「しかし、やはり今日は人出が多いね」
「お祭ですからね。天気もいいですし」
「楽しみだね。ビールが待ち遠しい」
「あ、先生もお祭に行く気なんですね」
「もちろん、浪越市民として参戦しないわけにはいかないよ」
それならちょうどよかった。アメもお祭がどんなものなのか見てみたいと思っていた。
「夕方には、またこちらまで戻ってくるつもりだよ。澤井さんも行くだろう? 浪越大祭の熱気はなかなかのものだし、触れてみたらいい」
適当に雑談している内に、黄色い塗装の車両が乗りこんできた。一両しかなく、前方にワンマンと表示されている。幸い車内は混雑しておらず、ボックスシートに座ることができた。年季を感じさせる色褪せたシートは正直座り心地がいいとは言えないが、それもまた味というものだろう。
緩やかに発射して単線の上を進んでいく。外の景色を眺めていると、住宅の庭に親子の姿があった。まだ幼い少年が過ぎ去る一瞬、遊ぶ手をとめて、丸い顔をこちらに向けていた。
「可愛らしいものだね」
山河が目を細めた。アメもまた、無邪気な子どもの姿に無性に愛おしさを覚えた。
市街地を抜けると山間の田園地帯へ差しかかった。ただでさえ気持ちよくリズムを刻む列車の走行音に、頭の中で清純な自然の調べが交じる。小川のせせらぎ、小鳥のさえずり、木々のざわめき。純真無垢に青空のもとを散歩している情景が浮かぶ。
沿線には菜の花が立ち並んでいた。その目を見張るような鮮やかな黄色は、うららかな日差しを一身に反射して光の道と化していた。
呑まれたように見入っていると、アナウンスがあって「ここだ」と山河が腰を浮かせた。
駅員に切符を渡し、無人の簡素な駅舎を抜ける。駅前には〝浪越さとやま公園〟と描かれた看板があった。
「知る人ぞ知る花のテーマパークだ」
仰々しく山河が言う。季節によって多種多様な花が植えられ、それに関連したイベントも年に何度か開催されているらしい。
駅から歩いていくと、線路と車道を境に片方は山、もう片方は広大な公園の敷地が広がっていた。じょじょに花畑の姿が鮮明になり、その中に風車がぽつんとたたずんでいるのが見てとれた。
「なかなか、こういう場所に男の子がひとりでくるのは憚られるかと思ってね」
なんだか本当のデートみたいで気恥ずかしいが、ありがたい。
花畑は、風車を囲むように造園がなされていた。チューリップやコスモス、ポピーといった花々が一斉に咲き誇っている。自分たちの他にも、親子連れやカップルが花を愛でながら、ゆったりと散策していた。
「私たちも腕でも組もうか?」
「あそこにあるのって〝ドア〟ですかね? なんであんなところに……?」
山河の冗談を無視して、アメは疑問を投げかけた。ポピーの畑の前を横ぎっていくと、唐突にドアが現れたのだ。丸い真鍮製のノブがついた白いドアのオブジェだ。
「ああ、多分フォトスポットというやつだよ。ドアから顔をのぞかせたりして、別世界から来たような雰囲気を写真に収めるんだ」
あの有名な秘密道具みたいなものか。
「へえ、風車だけじゃなくてそういう趣向もあるんですね」
「開けてみたらどうだい? 残念ながらカメラはないけど」
言われるまでもなく、アメはドアノブに手をかけた。
ドアを押し開いて枠を跨いだ瞬間、ふっと視界が切り替わった。
そこにあるのはポピーのはずだったが、なぜか無数のひまわりが咲いていた。可憐なポピーが、拳よりも大きな花に変わったのだ。それに加えて、空の青さと雲の白さも暴力的なまでに濃い。炎天下、その光景をただただ見上げていた。
直後、頭にほんの一瞬、痛みにも似た圧迫を感じた。体内に熱がほとばしり、脳が許容量を超えたように視界がぶつりと暗転した。
『――大丈夫かい?』
山河の声がしてはっと前を向くと、もうひまわりはなかった。急にしゃがみこんだアメを、山河が心配そうにのぞきこんでいた。「大丈夫です」と言って立ち上がる。
「すいません、急に頭痛がして……もう治りましたけど、ちょっと暑かったんですかね」
「今からそんなんじゃ、祭の熱気に耐えられないよ?」
呆れて笑う山河に、アメは無理くりなんともないようにふるまった。
念のため、売店の小屋の横にあった自販機で飲み物を買い、畑の間の道を通って風車のたもとまできた。
近くで見ると、風車は意外に本格的で迫力があった。レンガの壁に窓がいくつかあり、巨大な十字の羽が風で回転している。
〝リーフデ〟というオランダの風車を再現したものなのだと説明書きがあった。風で羽がまわると中の歯車を通じて水車に伝わり、水を汲み上げるという仕組みらしい。実際に機能しているわけじゃないが、まわりにはちゃんとお堀に水が張られている。
お堀の水は園内を流れる小川に注いでいて、それを辿ってみたりした。ゆらゆらと流れるポピーの花びらを追い越していくと、風車の広場以外にも花壇にとりどりの花が植栽されていた。
さらに展望台となっていた小高い丘を下ると、近くに〝あじさいの路〟というコーナーがあった。茶色いタイルの通路の両脇にアジサイの葉が茂っている。だが残念ながらもう終わったようで、花は枯れていた。
「花より団子というやつだな」
アメがひとり園内の広場のベンチで休んでいると、山河がお手洗いから戻ってきた。途中売店に寄ったそうで、両手にソフトクリームの入ったカップを持っていて片方をくれた。そういえば売店のまわりに、ソフトクリームと書かれた幟が立っていたのを思い出した。
ソフトクリームには茶色いソースがかかっていて、それごとスプーンですくって口に含むと香ばしい風味が舌の上に広がった。
「ん、美味しいですね。このソースなんですか?」
「みたらしだそうだよ」
「なるほど、それで団子……」
「どうだい? 山や海のような吹きさらしの大自然もいいが、たまにこういう人の手が生み出したアートもいいものだろう?」
「はい。しかもおかげさまで、本当に何かのきっかけになるかもしれないです」
アメは先ほどの唐突にフラッシュバックしたひまわり畑のことのことを打ち明け、率直にどう思うか訊いてみた。
「うーん……順当に考えれば、記憶の断片なんじゃないかな」
「やっぱりそうなんですかね」
「そういえば今はないが、ここではひまわりが植えられることもあるみたいだよ。もしかしたら、それを見たことがあったのかもね」
「観光とかで来たことがあったんですかね」
自分でも、観光中、不慮の事故に遭ったのではと考えたことはあった。しかしだからといって、記憶を失ってなお焼きついているものだろうか。
「何はともあれ、好い兆候と捉えていいんじゃないかな。いろんな場所を巡っているのが実を結んできているのかもしれない。今度は実際にひまわりを見てみれば、もしかしたらもっと記憶に近づけるかもしれないよ」
「そうですね。今後も続けてみます」
忘れかけていたが、そのためにイエティ倶楽部という活動のもと動いていたのだ。
「さて、いい具合に汗もかいたし、そろそろお祭に向かおうか。ビールが待っている」
「気が早いなあ……」
山河にとっては、花よりも団子よりもビールのようだった。
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