7
午後からの授業に出るため昼休みに登校したアメは、エントランスのベンチに腰をあずけていた。
だらしなく両肘を背もたれにかけ、ぼーっと空を眺めて英気を養っていると、漠然と胸が高鳴った。そういえば、場所は違うがあの女の子を見かけたのもこの時間のこんな気分のときだった。何かが起こりそうな予感めいた気分に緊張する。
本当に何者なのだろう。思えば漣と幸に出会えたのも彼女のおかげだ。何か目的があって巡り合わせられたのだろうか。
さりげなく周囲に気を配っていると、ふいに人の気配を感じた。まさかと思い一瞥をくれて、すぐに落胆する。思わずため息が洩れた。
「む、人の前でため息をつくとは失礼な。せっかく今日もちゃんと登校してきてえらいと褒めようと思っていたのに」
歩み寄ってきた山河は不服そうに眉をひそめ、アメの隣のスペースにどかっと腰を下ろした。
午後からの登校が〝ちゃんと〟と言えるのかどうかはわからないが、そういうスタンスは相変わらず崩していないようでありがたい。「失礼しました」とアメは苦笑しながら姿勢を正した。
「まったく、夏休み前だからってみんな気が抜けているな」
あと数日で浪越高校は夏休みに入る。そのせいで生徒たちの間に流れる空気もどこか弛緩していた。
「まあ、それもあるかもしれないですけど、俺の場合、ちょっと来ないかなって思ってた人がいたもので」
「なんだ、誰か待ってたのか。そりゃ邪魔して悪かったね」
「いえ、多分来ないので大丈夫ですよ。どうぞいてください」
なんとなく、彼女は今日はもう現れないだろうという直感があった。
腰を浮かしかけた山河を慌てて引き留めた。「そうかい?」と不思議そうに居直ると、彼女は合点がいったように口元を緩ませた。
「ははあ、なるほど、そういうことか。青春だなあ。まあ、トライ&エラー、ネバーギブアップあるのみだよ。腐らなければその内成就することもあろう」
「違いますよ……別にそういうのじゃないです」
言い方が悪かったのか、変に勘違いされてしまったようだ。あの娘のことは、そういうありふれた感情じゃない。
「それで、イエティ倶楽部だっけ? そっちの方はどうだい?」
そういえば山河と二人で話すのはあの日以来だった。アメは進捗状況をかいつまんで報告した。鏨山と理想郷、桃源渓谷へ行ったこと、そこで二人の男女と知り合ったことを。山河は適度に相槌を入れながら、ときおり目を合わせて呑みこむように続きを促してくれていた。
「やけに順調じゃないか。何かの巡り合わせだったのかねえ」
だが、いいことばかりでもない。新鮮な体験を通しても、記憶は皆目戻っていないのだから。
「なに、気長にやればいいさ。自然の中で生きているということ、誰かと助け合って生きているということ、それこそが人間本来の姿だ。それを突き詰めていけば、いずれ記憶も呼び起こせるかもしれない」
「そうだといいですけどね。とりあえず、他にもよさそうなスポット探してみます」
「そうだなあ……じゃあ私も一つ、きっかけを与えようじゃないか」
「なんですか?」
山河は立ち上がると、まっすぐ視線を向けてきた。
「今度、わたしとデートしようか」
予想だにしていなかった言葉に、アメは固まった。
「きみはふられて傷心だろうから、景気づけにね」
「いや、別にふられたわけじゃないですって」
みなまで言うな、と山河は待ち合わせ場所と時刻を告げ、颯爽と去ってしまった。先生と二人きり……嬉しいような悲しいような複雑な気分にアメは陥った。
しばし放心していると、危うく授業に遅れそうになった。
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