エピローグ

これからよろしくお願いします

 鳥居のトンネルを通して地上に着く頃、長いようで短い夜明けが終わり、もう訪れることがないと思った朝が来た。雪雲が晴れた空には朝日が昇っている。未だに積もっていた灰色に染まった雪は溶けて地面に染み込み、最初から何もなかったように、街は綺麗になった。

 香月さんは神社を出て駅前の近くにある喫茶店スタバに入って俺たち二人に温かいココアをおごってくれた。一晩中立ちっぱなしだった俺は、足がだるくなって、カフェの席に腰を下ろそうとした。が、間も無く香月さんが捕まえたタクシーに乗り、そのまま家に送られた。

 「お疲れさん。今日はゆっくり休んで話はまた明日にしよう」

 香月さんから今後の計画について質問されて、別れる前に秋入学を準備すると言い返した。嘘ではない。今まで準備した努力のためにも共通テストは再度受けるつもりだった。ただ、木炭トゲが使えなくなった以上、新しい能力を自ら調べる時間が必要だった。更に今までとは違う入試の種類と仕組みを一通り把握し、受験の準備にまた手間がかかる。

 しかし一旦花言葉ハナコトバ診断しんだんテストを通じて、新しく生じた能力トゲの確認を行えば、受験はもっと加速されるはずだ。それに何によらず、いちばんむずかしくて厄介なのは、冒頭ぼうとうの部分なのだ。

 「お父さま、帰り道にコンビニに寄っても宜しいでしょうか。急用を思い出しました。」

 到頭、アリマからお父さまと呼ばれた。俺はアリマの願望で家の近くでタクシー代を支払って、あの坂道にあるコンビニの中に入った。

 「いらっしゃいませ——」

 ちょうど入荷時間が近づいたから、大好物の大きな鮭はらみお結びがおにぎりコーナーに並んでいた。今日は絶対食べると思った僕は、お結びを二つ選んでミニバスケットに入れた。念の為にアリマが食べないことも想定してサンドイッチも持って行った。途中からいなくなったアリマを探しに店内を見回ると、ドリンクコーナーの前で陳列された飲み物を眺めていた。

 「アリマ、食べたい物はない?」と生々しい過去と交差する現在を記憶の彼方にほおむってアリマの横顔を見守った。「もし良かったら俺のお結びを一緒に食べてもいいぞ」

 「あ、すみません。ぼっとしていました。私も、同じ物で大丈夫です」

 と、ほろ苦そうな表情で視線を微笑みで受け止めた。ひどく辛そうな、切ない感じの笑みだ。結局アリマの買い物は、コンビニの中を廻るだけで、何も買わずに済ませた。

 「まだ時間が早いが、ここで朝飯を食べてから帰ろっか」

 なるべく外から見えないように店内のイートインスペースの隅っこの方に腰をかけた。そしてすぐ、買った物をテーブルの上に出して先にお結びをアリマにあげた。下手に慰めるよりはこの方が無難でいいと思ったからだ。

 疲れた様子でも美味しお結びをパクパクと食べるアリマの姿は、例えようもない安心感を与えてくれる。俺も余分で買ったサンドイッチのフィルムを剥がして口に入れた。ハムとチーズが入ったベーシックな味であった。

 「お父さまがこれを好む理由を、少しわかる気がします」

 アリマの方から先に味見の感想を聞かせてくれた。なんとも微妙な表情で、俺があげたお結びを食べ終わらせて、自ら二個目を食べ始めた。食欲は、俺より強く見える。

 「あの、お父さま。少しお時間よろしいでしょうか。話があります」

 そろそろ食事が終わる頃に、アリマが丁寧な言葉使いで二人の間に軽い緊張感を呼び起こした。俺は食べ飽きたサンドイッチをテーブルの上に置いて、顔を横に振り向いた。そこにはアリマが椅子の上で膝を折り、体をうずくまって俺に向かって頭を下げていた。

 「この度、醜い私のために死にかけてまで命を救っていただきありがとうございます。本日をもって一意専心いちいせんしん、お父さまに相応しい娘になるまで邁進まいしんいたします」

 堅苦しい言い方に鳥肌が立った。

 「仮に『お父さま』よりは『お父さん』とか『父ちゃん』はどうかな」

 「私にお父さまは、お父さまです。そのようなお呼びは許されません」

 頑固なアリマだ、と思った。しかし、素直に自分の心をオレに示すようになったから、悪いことではなかった。しばらく俺は頭を抱えて込み、他に使える言い換えがないかを考えた。

 「……パパはどうかな」

 「却下します。親しげに振る舞うのはお父さまの威厳がなくなります」

 流石にパパと呼ばれるとまだ恥ずかしい、と言いつつ、本当のことを言った。「前からステラにパパと呼ばれて、あくまで相互理解そうごりかいを深める呼び方として『お父さま』よりは聞き慣れている『パパ』がいいような気がした。それに、アリマには悪い話かも知らないが、俺は特に厳しい父親になりたいとは思わない」

 本音を晒し出して最後は、期待に応えられなくてごめんなさい、と何故か謝ってしまった。

 話を聞いたアリマはさっきみたいにすぐ断れなかった。真面目な顔でパパを認めるか認めないかを真剣に悩んでいるその姿を隣で見て、僕は呆気なく笑ってしまった。ことによったら、なんとなくうやむやになりそうだと思った一分前の自分自身が恥ずかしく感じる。

 「分かりました。これからはパパとお呼びします。予め、パパの人生を一生懸命サポートいたします。早速ですが、ガーデンズ学園における全ての費用面において私の方からご用意いたします」

 「お気遣いありがとう。でも、大丈夫。学費は貯金でなんとかできるからそのお金はアリマのために使えよ。パパだからと言って、あれこれ手出ししたり、無理なお願いはするつもりはない」話題を変えるタイミンングに合わせてアリマに質問を投げた。「俺よりはアリマがやりたいことを優先にするのはどうかな。旅行とか美味しいお店巡りとか。憧れた日常があるんじゃないの?」

 「私はパパの役に立ちたいです。パパが一番必要とする人になるのが私の夢です」

 話がまた原点に立ち返る。「アリマがそう望むのであれば止めはしない。ただし、俺が無茶なことを言ったら突っ込んで欲しい」

 「突っ込み、ですか?パパに言い返しても不機嫌にならないでしょうか?」

 「俺もまだ知らない事が多くてミスったりするさ。社会経験も、俺よりはアリマの方が長いと思う。わかったなら、指切りげんまんで約束しよ」

 小指を前に出して俺を見て、アリマはまた訳を分からない顔をした。これも初めてか、と思うものの、アリマの小指と繋いで約束の儀式を教えた。

 「ところでパパ、秋入学でガーデンズ学園はいかがなさいますか?木炭化が治ったことはめでたい話ですが、炎を出せない生身のままで共通テストに受かる可能性はさぞかし難しいと思います」

⭐️⭐️

 俺の話がアリマの心の奥に火を灯した模様だ。咄嗟とっさの間に今回の事件が、今後どのように秋入学に影響してくるかということを案じて、彼女は真面目に行動計画を考えていた。

 「香月さんにはそう言い返したけど、実際なところを言うと、木炭トゲがいない状態で一般入試も難しいのは知っている」俺は自分の両腕に次々と目を配った。「身体が健康になったからいざとなると学園の掃除屋に就職でも準備しようかな」

 と悩んでいる俺にアリマが意外な話を聞かせてくれた。

 「私の話に誤解がありました。元々行こうとした花道ハナミチを放棄するなら、トゲの有無は気にする必要がありません。秋シーズンには一般生徒向けの入学制度があります。パパはそれまでTGCに復帰して秋入学の準備しても間に合わないと思います」アリマはいまだに椅子の上から降りずに話を続けた。「確かに入学のハードルは高くて、花言葉診断から個別面談まで準備は求められますが、パパにはそれほど難しくないでしょう。断言しますが、パパガーデンズ学園に秋入学できます。私が保証します」

 「俺が合格できると思う根拠を聞いてもいい?」

 アリマは無影の無表情な顔で言った。「バベルのアゴラに参加した罪人の中で生きて帰って来た者は、前代未聞の出来事としか言いようがないです」

 反論する余地がない理由だった。

 「まぁ、どうにかなるだろう」と俺は時の流れに任せて、残りのサンドイッチを口に入れた。「と言う訳で、これからよろしくお願いするね」

 「もちろんです。お任せください。ガーデンズ学園の入試には自信があります」

 話が終わる際にアリマのお腹から小さく音がした。おにぎり二つと牛乳でも足りなかったようだ。俺は聞いてないふりをして残りのサンドイッチに手を出した。

 「パパ、申し訳ございません。時間的によろしければ、おにぎりをもう一つ買って来てもよろしいですか?昨日から何も食べなくてまだお腹が空いています」

 わがままも言えるようになっているね、とまた独りで呟き、アリマに千円札を渡した。安定的に二人暮らしをするためにも、早い内に引越しをする必要があった。四月までは引越しのシーズンだからすぐには動けない。梅雨の時期に入る前までは静かに同居生活を続けて、もしも不動産の関係者にこのことをばれた場合には家賃を上げて再契約することも想定した。

 「パパ、ピザまんが出来上がるようです。一緒に食べますか?あ、すみません。見間違いでした。チーズカレーまんです。あれ?すみません、ピザまんはないですか?」

 そう言われて元気そうな声でピザまんに興奮していたら、気になるだろう。僕は一人で行かせたアリマが心配になって席から立ち上がった。

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花園の子供たち ドリママ @dorimama

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