一章 第六話

「服、置いておくね。私のだからちょっとちいさいかも……」


 少し大きめの、蚊帳にはゆったりしたサイズの服を選んだ。蚊帳の見立てでは埜谷で丁度だ。下は子夜のお下がりで、普段蚊帳が履いている物にした。

 伝えるだけ伝えて脱衣所を出ると、中でザバァッと埜谷が浴槽を出る音がした。


 居間で暗夜に髪の手入れをして貰い、いい匂いになると蚊帳は中々出てこない埜谷を見にまた浴室へ向かった。

 扉に手を掛けるよりも早く、脱衣所からドライヤーを使う音がする。蚊帳は持ち上げた手を下ろし、外で埜谷を待つことにした。


 少しすると、ドライヤーの音は止まったが、しん、として埜谷は出てこない。両手の指を組んで、蚊帳はぼんやりと待っている。埜谷は絶対に生きて出てくる。埜谷が死ぬ時、蚊帳が死ぬなら、蚊帳が生きている限り、埜谷は生きている。


 埜谷には埜谷なりの理由があって実行したことなのだから、その理屈を大きく外れることはしない筈だ。


 アンデッドのように、覇気の無い埜谷が脱衣所から顔を出した。


 暗い目と目が合う。埜谷のそんな目は見たことが無くて、蚊帳はどうしたらいいかわからず、二人は暫し黙って見つめ合った。


 今までは、何も話すことが無くても埜谷が話し掛けてくれて、気に掛けてくれて、それに返すだけでよかった。


(今までどうしていたんだっけ?)


 けれど、無言の見つめ合いはどちらにとっても気まずい行為では無かった。ただお互いに、ぼんやりと相手の目を見ていただけだから。


「牛乳、埜谷も要る?」

「……要る」

 低く、しかししっかりとした声で埜谷は答えた。蚊帳はそこに一瞬だけ、埜谷の理性を垣間見た気がした。


 二人で台所へ来るとグラスに牛乳を注いで、

「居間で飲もう」

 一人一個ずつ牛乳入りのグラスを持って居間に向かう。


「温かい物を飲めばいいのに……」

 だるそうに、けれどおかしそうに二人を見て暗夜は笑った。


 暗夜の要る席から少し離れた席に蚊帳が腰を下ろすと、埜谷はその直ぐ隣に座る。座布団で仕切られてはいるが、少しはみ出して蚊帳寄りに座っているので肩が触れそうな程近い。

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