一章 第五話

「わるかったね。玄関で引き留めて」

 くす、といじわるに笑って暗夜は埜谷にタオルを掛けた。蚊帳は渡されたタオルで髪を抑える。


(やっぱりわざとだったんだ。暗夜兄さんが、私が寒がっているのに気付かない筈がないもんね)


「蚊帳は軽く抑えたら先にお風呂に入っちゃいな」

「はぁい」

 ていねいに埜谷をタオルで拭く暗夜に埜谷を預けて、蚊帳は浴室に向かった。


 脱衣所で服を脱いでいると、今になって体が震えだした。ガタガタ、と一度震え出すと止まらない。軽くシャワーをあびて、浴槽で体を温める。


 ……まだお風呂に入る時間ではないのにお湯の張られた浴槽。


 体を温めると蚊帳はバスタオルを巻いて浴室を出て、部屋に服を取りに向かう。

適当なTシャツを着て一階へ続く階段を降りていると、蚊帳の方へ向かって廊下を歩いてくる暗夜が見えた。階段の下で立ち止まり、暗夜は蚊帳を見上げる。


「手入れするからおいで」


 蚊帳の髪のことだ。容姿にあまり頓着しない蚊帳の髪の手入れをするのが、昔からの暗夜のルーティンだった。今でこそ暗夜は耳の辺りまで髪を切ってしまったが、以前は腰まである長髪だと言うのに、毛先まで手入れの行き届いた、それは美しい髪だった。


「埜谷は?」

「風呂場に置いてきた。さすがにそこまで面倒見れないよ」

「大丈夫かな」

「大丈夫だろう。さ、おいで」

 もう埜谷を拒絶するつもりは無いようだが、そこまで暗夜の興味を引いてもいないようだ。


「先に埜谷の着替え置いてくる」

「……子夜のがあるだろう」

 不安げに暗夜が答える。暗夜が不安なのは平気で自らの服を異性に貸そうとする蚊帳そのもの、のように見えた。


「でも……埃っぽくない?」

「俺のは」

「だけど……着れるかな?」

 暗夜は着物しか持っていない。埜谷が着物を着ているところを、蚊帳は一度も見たことが無かったので、少し心配になった。


(今は埜谷のプライドを傷つけるようなことはしない方がいいよね)


「……わかったよ、蚊帳。それじゃ蚊帳のを貸してあげな。居間で待ってるからね」

「うん」


 暗夜とわかれると蚊帳は扉に耳を当てた後「入るね」脱衣所に入った。浴室からチャプ……と水の動く音がした。


 反応は無いが、生きている。

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