短編小説「当たり屋」~貧乏神のたたり~

白鷹いず

 

 その日俺はいつものように会社へ向かって車を走らせていた。

 朝の渋滞を避けるために住宅街を抜ける裏道を使う。早朝の住宅街の道路には通勤・通学するらしき人がチラホラと歩いているが、基本的に人は少なくて、朝の時間帯が通行禁止になっている通学路をうまく避ければ、大通りを使うより何倍も速く走る事が出来るのだ。


 20mほど前から男が歩いてきた。俺は減速して車を右へ避けてもう一度見ると、その男は消えていた。あれ? どこへいったんだ? そうは思ったけど、さほど気にせず左にある電柱の横を通り過ぎようとした瞬間、その男はいきなり電柱の影から道路へ飛び出してきた。


「うわー!」


 慌ててハンドルを右に切った。対向車はいなかったのでかなり大きく避けたはずなのに?


 ベシッ!


 嫌な感じの音がしてバックミラーを見ると、その男が左手を痛そうに抱えながらうずくまっていた。

 しまった、車がぶつかったんだ! 俺は車を左に寄せて、慌ててドアを開け身を乗り出して男に声をかけた。


「大丈夫ですか!?」

「お、おう、大丈夫だよ、ちょっと手をぶつけちまったけど」


 男は左手を痛そうに押さえたまま立ち上がり俺の方を振り返った。

 お世辞にも清潔とは言えないロンゲの髪はてっぺんが薄く、わずかに白髪が混じっていた。骸骨のようにやせこけたほお骨と魚の様にギョロっとした丸い目が印象的。ヒョロっと細身の体型だが身長は俺よりも高く180センチぐらいだろうか? よれよれのアーミージャケットを着て、年季の入ったジーンズにボロボロのスニーカーを履いていた。

 俺は慌てて車を降りて男に駆け寄った。


「あの、すみません、本当に大丈夫ですか?」


 すると男は左手を見せながら無表情に俺を見た。


「まぁ、俺も不注意だったし、手をぶつけただけだからさ」


 特に痛そうな顔はしていなかったが、左手を見ると手の甲が赤くなっていた。


「あの、救急車呼びましょうか?」

「いやいや、そんな大袈裟なものいらねーよ」

「じゃ、じゃぁ、一応事故なので警察に連絡した方がいいのかな?」

「いや~いいってば、そんな大袈裟にしなくていいから」


 よかった、たいした事無くて。俺は安心した。この人も、見かけの割に? 良い人そうだし?


「ほんとにすみませんでした。たいした事ないんですね? よかったぁ。それでは、俺は行きますね」


 俺が車に戻ろうとすると、男は独り言のようにつぶやき出した。


「うう、いてぇ……骨にひびでも入ったかな?」

「え? ……やっぱり救急車呼びますよ」

「いいってば、ああ、ほら、ちょっと痛むけど普通に動くしよ」


 男は左手でグーパーをしてみせた。


「そうですか? なら本当に大丈夫なんですね?」

「ああ、家に帰って湿布かなんか貼っておけばすぐ治るだろ」

「そうですか、それでは……」


 俺が車に戻ろうとすると男はまた独り言のようにつぶやく。


「あれ? 湿布あったかなぁ、こんな怪我なんかした事ねーからなぁ、あったかなぁ」


 俺が振り返ると男は俺を見ていた。


「帰りに薬局で買わないと、家にはなかったよなぁ」


 俺はそのまま車に戻るわけにも行かず、どうしたものかと男を見る。


「あのさ、あんちゃんさ、俺も不注意だったけど、あんたもこんな狭い道、飛ばし過ぎてたんじゃねーの?」

「あー、一応減速はしたんですけどね」

「だろー? 減速したって歩行者にぶつけちゃうぐらいスピード出てたんだろー?」

「はぁ……」

「いや、あのさ、別にあんたにとやかく言うつもりはないんだけどさ、なんて言うかなぁ、俺はあんたの車にぶつかって手を怪我したわけだよな」

「はぁ、俺も注意が足りなかったです。どうもすみませんでした」


 なんだろ? この男は何を言いたいんだろう?


「こんな朝っぱらだしさ、学校へ行く小学生のガキとかちらほら歩いてるし? こういう狭い道を走る時は、も少し気をつけた方がいいぜ」

「はぁ……」


 まぁ、言われた事はもっともだし、反論する気もなかった。


「そうですね。今後は気をつけます。」

「おお、気をつけた方がいいぜ」

「はい。それでは」


 会社に遅れそうだし、この人も大丈夫だと言っているので俺は車に戻ろうとした。


「あのさ、悪いと思ってるわけだよな?」


 男は話を止めようとする気はないようだ、今度は背後からはっきりと話しかけてきた。俺はなんだか少しイラついてきた。


「ええ、住宅街だし、俺は歩行者に注意が足りなかったかもしれませんね」

「だろー? だったらさ、なんて言うかなぁ、筋の通し方ってのがあると思わねーか? どうよ?」

「えっと、スジ? ですか?」

「そうだよ。こんなの湿布貼って1日か2日もほっときゃ治っちゃうわけよ」


 男は相変わらず無表情に、しかしギョロっとした目はしっかりと俺を見つめていた。

(そうか、この男は治療費を要求しているのかな?)

 俺は時間的にあせっていたし更にイラ立って来たので単刀直入に聞き返した。


「あの、お金? ですか?」


 すると男は呆れた面持ちで苦笑した。そのニヤけた顔がなんとも下品で気味が悪かった。


「金って……あんたさぁ、湿布とか俺は持ってないわけ。薬局に行って買わないと治療できないわけよ」


 まわりくどいなぁ! つまりこいつは治療費をよこせって言ってるんだろ?


「あの、その湿布代、俺が出しますよ」

「え? そうか? 悪いなぁ、いいのか?」


 なんともしらじらしい! でも湿布っていくらぐらいするのかな? 大事故になった事を思えばそれよりはマシだから、まぁそう思って3000円ぐらい?……いや、なんかこいつ怪しい気もするし、とりあえず……、


「あの、湿布って1000円もあれば買えますかねー?」


 そういうと、男は無表情のまま「うんうん」と小刻みにうなずいた。

 俺は財布から1000円札を取りだして男に渡した。


「では、これで湿布薬を買ってください」


 また男は「うんうん」と小刻みにうなずくと、俺の手から1000円札をもぎ取るようにして、


「あんがとよ、あんたも運転気をつけてな」


 そう言い残し足早に路地を曲がって行ってしまった。

 こいつはきっと『当たり屋』だ。俺はそう思った。

 車の前にいきなり飛び出して来て、大怪我をしない程度にタイミングを上手に見はからってわざとぶつかる。その後、ドライバーに非を認めさせて治療費をぼったくるのだ。そういう輩がいるという話は聞いた事がある。

 でも、感情的に意地になって後々トラブるよりは1000円で済んでよかった。その時はそう思った。


 不幸な事の後には必ず幸運が来る……というのはどうやら本当のようで、数日後、家の前の道路で1万円を拾った。わざわざ交番に届けるのも面倒だったし、裸で落ちているお札に落とし主が現れるとも思えなかったので、悪いとは思ったけど貰っておく事にした。




 ●




 あれから数ヶ月経ったある日、地元の友人から連絡があり居酒屋で会う事になった。

 俺(洋(ひろし))と聡(さとし)と孝昭(たかあき)の3人だ。

 俺は最初、今月は資金が苦しいから誘いを断ったものの、孝昭に思わぬ臨時収入があったそうで、おごってくれるというので行く事にした。3人は小学校から中学までの同級生で、社会人になった今も年に数回会って飲んだりカラオケへ行ったりしている幼なじみの悪友たちである。

 会って話す事はお互いの近況報告などで、その後は昔話。特に同学年で人気のあった女子が今どこで何をしているのか、結婚したとか独身だとか、毎回その手の情報話で盛り上がっている。


「そういえば、俺こないだ当たり屋に合ってさ1000円ぼったくられたよ」


 と言うと聡が目を丸くして驚いた。


「えー? お前もか? 俺も先月、当たり屋に合って5000円ぼったくられたよ」


 なんだって? 聡もか? 同じヤツかな?


「俺が合ったのは、髪が薄くてギョロ目でさ、きたねー格好したホームレスみたいなオヤジだったぜ」

「まじかよ? 俺もそんなヤツだった! USアーミーみたいなジャケット着てたな」

「そうそう、ボロボロの小汚ねえジャケットな」


 同じだ! 俺だけでなく聡にもたかっていたのか。驚いた。これであいつは「当たり屋」としてこの近所で稼いでいる悪質なヤツだと確信した。


「俺がそいつに車で近づいたらさ、ドンってぶつかって倒れたんだ」


 聡はもろにぶつけたようだ。


「慌てて車を降りてみたら、そいつしゃがんで何かを拾っててさ、見たら眼鏡だったんだよ。で、俺が大丈夫ですか? って言ったら『怪我はないけど眼鏡が落ちてレンズが割れた』って言って、そのあとなんかネチネチいろいろ言うからさ」


 まったく同じだ。しらじらしくまわりくどく話を続けるんだよな。


「警察呼んで事故証明もらって保険で弁償するって言ったのに、なんか断るんだよね、そいつ。でさぁ、もう面倒くさくなって『現金5000円で勘弁してくれませんか?』って言ったら、そいつ二つ返事でOKさ。金を渡したらすぐにどこかへ行っちまったし」


 なるほど……俺は1000円で済んだけど聡は5000円持ってかれたわけか。


「ところがだ、その数日後、電車に乗ったんだけど……」

「え? まさかそいつに会ったのか?」


 俺は先走って聡に訊いていた。


「いやそうじゃなくて、電車に乗ったら、不思議と俺が乗った車両には俺しか乗っていなくてガラガラにすいていたんだ」

「へー珍しいな」

「だろ? 日曜日の朝だったけど、いくら何でもすき過ぎだろ? それでふとみると座席に雑誌が置いてあった。何かのマンガ雑誌だったけど。誰もいないし誰かの忘れ物? というより捨てていったんだろうと思って、俺はその雑誌を拾って読み始めたら……」


 聡はもったいぶって俺と孝昭を見回した。


「なんと! 雑誌に5万円の現金が挟まっていたんだ」


 えー! 俺は驚いて聡を見たが、何故か孝昭は無表情のままリアクションがなかった。


「たまたま電車には誰も乗ってなかったし、しっかり貰っておいたよ。うはは! 5000円損したけど5万円拾ったから助かったぜ。洋はどうだった?」


 あ……そういえば俺も道で1万円拾った事を思い出した。


「まじ? ……あれ? 俺が5000円ぼったくられて5万円拾ったろ。洋は1000円で1万円?どっちも10倍じゃんか?」


 どういう偶然だ? あの男に渡した金が後日10倍になって返ってくるのか? そんな事あり得ない!?

 すると今まで黙って俺と聡の話を聞いていた孝昭が口を開いた。


「そうか、驚いたな……二人ともあいつに会ってるんだ? 実は俺もそいつに会ったぜ」

「えー!」


 俺と聡は絶叫した。


「やっぱ車に当たられたのか? お前はいくら渡したんだ?」


 聡が慌てて孝昭に訊いた。


「10万、渡した」

「えー!」


 俺と聡は再び絶叫した。今度は俺が慌てて孝昭に訊く。


「10万って? どんな手口でぼったくられたんだよ? なんて言われたんだ?」


 すると孝昭が恐ろしい事を話しだした。


「先週、俺の会社の同僚で、高山ってヤツが死んだんだ。単独の交通事故だった。車を運転中に何もない見通しの良い道路で猛スピードのまま電柱に激突した。即死だった。警察もスピードの出し過ぎと居眠り運転ではないかと判断して、ブレーキを踏んだ後がなかったしさ、それで単独事故で処理された」


 孝昭の尋常ではない真剣な話っぷりに、俺と聡はすっかりのまれて聞き入っていた。


「高山は事故ったその日の早朝に、俺たちが会ったそのギョロ目の男に、やっぱり俺たちと同じように、車に当たられたそうだ。高山は相手の話し方やぶつかった様子があまりにわざとらしかったから、すぐに『当たり屋』と思ったそうだ。それで男を無視して会社へ来た。」


 そうかもしれない。ちょっと気の強いヤツなら、あのギョロ目の男のしらじらしさで、おかしいと気付いたら相手にしないかもしれないな。


「高山は会社に来てから『今朝当たり屋に会ったけど毅然とした態度で突っぱねてやった』と自慢していたよ。ただ、高山が無視して車に戻ろうとしたらその男『かわいそうに……かわいそうに……』って何度もつぶやいていたんだとさ。」


 なんだそれ? どういう意味だ? その高山って人に同情でもしているのか? 何故だ?


「俺はちょっと心配になってさ、高山に『その男? 何か仕返しでもする気なんじゃないの?』って言ったんだけど、高山は返り討ちにしてやるって笑い飛ばしていた。その日の帰りに高山は事故って死んだんだ」


 う~ん、その事故死が当たり屋と結びつくのか疑問だけど、確かに偶然にしてはちょっと怖い話だよな。

 孝昭が話を続けた。


「なんか俺怖くなってさ、その当たり屋は事故とは関係ないとは思うけど、でも関係ある気もするし。最後に『かわいそうに……かわいそうに……』って言ってたって、それがどうも気味悪くてなぁ……そしたら3日前だよ、俺がそのギョロ目の男に出くわしたのは」


 俺の背中にゾクッと悪寒のようなものが走った。聡も表情をこわばらせたままだ。


「朝、車で走っていたらフラ~って誰かが道路へ飛び出して来た。俺は急ブレーキをかけたけど、ドン、って音がしてそいつにぶつけちまったんだ。慌てて車を降りていったら、そいつは大した事もなさそうでスっと立ち上がった。俺はギョッとした。死んだ高山から訊いていた男の姿にそっくりだったから。それでおまえら二人が、あと高山もそう話していたようにネチネチ金をせびるような事を言い始めたんだ」


 同じヤツだ。間違いない。俺もおそらく聡も、そう確信して孝昭の話を聞いていた。


「俺さ、なんだかものすごく怖くなって、ここで金をケチッたら殺されるんじゃないかと思って……それで持ち金を全部そいつに渡したんだ。その日の朝にコンビニで引き出したばかりの生活費10万……」


 いきなり聡が口を挟んだ。


「だったらさ~俺も洋もそいつに金を渡してなかったら今頃死んでいたのか? 金を渡したから10倍返しで金が戻ったってゆうのか? こちらの出方次第でそいつは悪魔にも天使にもなるってこと? ……あ?お前……まさか10倍の100万?」


 すると孝昭は財布から何かを取り出した。東京都の宝くじを1枚。


「今朝みたら1等の100万円が当たっていたよ」

「えー!」


 俺と聡は三度目の絶叫をした。


「昔さ、何かで読んだのかテレビで見たのか忘れたけど、貧乏神っていうのがいて、そいつはホームレスみたいな格好で人の前に現れて、その人を試すそうなんだよ。貧乏神はわざと困ったふるまいをして見せて相手の出方によって災いをもたらす、あるいは、自分に良くしてくれた人にはお礼をするとか……」


 孝昭の説明は、にわかには信じられなかったが・・・あのギョロ目の無表情な顔を、俺は今でも鮮明に覚えていて、決して忘れる事はできないでいる。


                 「当たり屋」~貧乏神のたたり~ END

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