第30話
それから数日、ホテルを拠点にしつつ街をあちこち歩き回った。観光という名目で情報収集をする算段であったが、疲れ切ってホテルに戻り、柔らかいベッドに身を沈めるたびに、また血まみれの兵士に追いかけられる夢を見てハッと目覚める、を一時間の間に数回は繰り返した。
兵士は時に、エンリやリグ、キジマやマコト、そしてチェンの姿をとり、口から血を吐きながら僕に呪詛を囁く。
三日三晩悪夢にうなされてよく寝付けずに過ごし、まあ死ぬことはないのだがさすがに心身が疲弊してどうしようもなくなった。どうやらこの街に来たことと、あまりにも寝心地のいい環境で休もうとしていることが引き金になっているらしい。自覚はなかったが、僕はまだチェンの死や、軍役時代に築き上げた死体の山の記憶を消化しきれずにいるのだ。
何も手を打たねば衰弱していく一方である。四日目には食事もまともに喉を通らなくなり、このままでは物理的に参ってしまうと思われた。
まだここでの情報を満足に集められたとは言いがたかったが、背に腹は変えられない、街を辞すことにする。
その間、僕が汗びっしょりになって目覚めるたびに、地球がいかにも何か言いたげにもごもごと言葉を練る気配を感じていた。しかし、僕の方に地球を気遣う余裕は今はなく、とにかくまともに少しでも眠りたい。
この街に来て一週間目の朝、僕は隈で真っ黒く染まった自身の目元を鏡で確認してため息を吐きつつ、端末で知事に教えられた番号にコールした。すぐさま知事が電話口に出ると、事情を聞いては「それは残念」「もっとおもてなしさせていただきたかった」などとあからさまなお世辞を述べ立てる。
僕はと言えば、冗句に冗句で返す余裕も、おべんちゃらに乗っかる余裕すらなく、とにかく言葉少なに「いいです、いいですから」と言って押し切り、通話を終えた。
『ねえ…フユキ』
チェックアウトの手続きを終えると、ついに意を結したというように地球が話しかけてくる。しかし今は一刻も早く街を出たい。
「ごめん…後でいいか?」
咄嗟に拒絶の言葉が口をついて、僕はいささか後悔した。地球がまた重い沈黙のとばりを下す気配がしたからである。
とはいえ、地球を慮っている余裕も今はない。この街のタクシー会社に連絡して回してもらっておいた車に乗り込み、後部座席の柔らかなシートに深々と身を沈める。運転手が気を遣ってあれこれ話しかけてきたが、「すみません、寝かしてください…」と言い切って、目を瞑った。
すぐに真っ暗な眠りのとばりが意識を覆う。随分いいタクシーであるらしく、シートの寝心地も悪くはなかったのだが、あの夢を見ることはなく、僕は一週間ぶりの深い睡眠に飲み込まれていった。
その代わりとでも言うように、別の夢を見た。あの時キジマたちに会いに訪れた集合住宅の一室で、キジマ、マコト、エンリ、リグが食卓を囲んでいる。卓上には湯気を立てる艶々の手料理が並び、彼らはせせこましく会話を交わしながらそれら料理に手をつける。
僕はといえば、食卓からしばらく離れた闇の中に佇んでいて、そっちに近づこうとするものの前進すればするほど彼らから遠ざかっていく。やがて闇の中からチェンの声がする。
「お前はこちら側の人間だ。明るい方になんて、行けやしないよ」
誰かが額に触れる感触がしてガバリと跳ね起きると、運転手の中年男性が僕の顔から吹き出す汗を拭ってくれようとしたところらしかった。
「…あっ。お客さん、大丈夫ですかい? 随分うなされておいででしたけど」
「いや、すみません、大丈夫です。今どこですか」
「とりあえず街外れまで走らせましたけんどね。ここから先は道が悪くなるので、別の交通手段を使っていただいた方が…」
「…わかりました、ありがとうございます」
『フユキ、顔が真っ青だよ』
地球の気遣いに対して、なんとか苦笑いを作って返しながら、運転手に金を握らせると、僕はフラフラと歩き出した。運転手はしばらく心配そうに僕の方を見ていたが、やがて頭を振ると車に乗り込み元来た道を戻っていった。
『大丈夫? そこらへんでちょっと休んだほうが』
「問題ない、ただの寝不足だ」
『でも…』
「なんでもないっ!」
地球がびくりと身を震わせる気配がして、悲しげに言葉をつぐむのがわかった。なのに、僕にはもう地球に少しの配慮をする余裕すらなく、今すぐ休息を取りたいもののまたあの夢を見せつけられる恐怖を思うと、気もそぞろになる。
重い足を引き摺りながら、とにかくこの街から離れよう、と荒れ果てた街道を進んでいった。
お前はこちら側の人間だ。
明るい方になんて、行けやしないよ。
あの夢のセリフが何度も、何度も、リフレインして。
やがて疲れ切ってその場に倒れ込んで少し眠ると、また同じ夢を見てうなされ、しばらくのち飛び起き、また歩き始めては力尽きて気絶する。そんなことをぐるぐる繰り返した。
脳が焼き切れるかと思うほどに熱かった。それ以上に、もう心がもたなかった。
幾度か同じことを繰り返したのち、僕はついに起き上がることも出来なくなり、岩石砂漠の砂地の上で動けなくなった。また訪れた夢の世界で、血まみれのチェンがこちらを指さして笑っていた。
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