第29話
次に目が覚めるとすでに太陽は高く高くのぼり切ったところであった。すっかり気が抜けてしまっている、寝坊なんて軍役時代にはあり得なかったのに。
小声で「おはよう」と呟いてみるが、地球は引き続き自分の中の葛藤に忙しいらしく、挨拶に対しても返答はなかった。しばらくは一人にさせてやるかーーこの言い回しが適当かはわからないがーーと思い、ルームサービスを頼もうと部屋に備え付けられている内線を手に取る。
と、それがけたたましく鳴り出して、どうやらフロントからの連絡を告げていた。
「…はい」
『フロントでございます。当街の知事の手のものが受付にいらしていますが』
「…知事の? 手のもの?」
この業界も長いので尋常じゃない怪しさを端々から感じ取ったが、とはいえ今の僕をどうかしようと思うなら一個小隊くらい率いてこなければ話にならない。こっちには隠し持って入国した銃もナイフも、防弾チョッキもあるし。
前もってそれらを身につけたのち、堂々とフロントに降りていくと、その場に居合わせた数人の人間が目に見えてざわつくのがわかった。…視線のやり方や急所の庇い方、武器の意識の仕方などの反応から見て粗方素人ばかりである。
「まさか本当に…でも生体コードは一致してる…」
「今更そんなことに驚いてんですか?」
このクダリも二度目なので慣れたものである。しかし相手にとっては本当に新鮮な驚きであったようで、恐る恐るといったように近づいてきた白衣の女性が僕の頭やら肩やらをぐりぐり撫で回した。
「ちょっと…」
「触診した感じ、一般的な人体と大差ないね…」
「高性能サーモグラフィーで見ても、電波透析でも異常、見つかりません」
「ちょっと…!」
完全に蔑ろにされているので多少なり怒りを発露した僕に対し、その場の人間は雷に打たれたように直立し、その後恐る恐る離れていった。もう怒髪天の僕である。
「お前ら、知事の飼い犬か? お前らのボスとママは真っ当な対人マナーも教えてくれなかったか?」
「す、すみません…あの伝説の神兵フユーキが三百年ぶりに顕現したというので浮き足立ちました…」
「なるほど? つまるところ、お前らの目的はなんだ。簡潔に話せ」
わざと怒気と殺気を視線に絡めて睨め付けると、相手は明らかに狼狽し、先ほど僕の頭をベタベタ触ってきた女性がガタガタと震えながら白衣のポケットから端末を取り出すのだった。
"国立医科大学 附属医院 外科 研究医 ルズ"
やがて送られてきた電子名刺を僕の端末で確認すると、まあそのような肩書きが記されていた。
「僕を研究したいってことか」
「まあそのー…はい。ちょっとだけ血をいただいて…保管用とサンプル用に本当にちょっとだけ…」
「いいよ」
「イイヨ!?」
いちいちどよめくな。
とりあえずもう一度怒気を強めてその場を納め、せっかくなので健康診断がてらうちの病院にお越しになりませんか? という勧めに面白そうなので乗ってみることにして、僕はまた一昨日のように黒塗りの車に揺られていた。
僕の隣に腰かけた先ほどの女性ーールズが、興奮気味にずっと質問を投げかけてくるのをいちいち相手してやりながら、窓の外の風景を流し見る。…やはり相当な近代都市になったなという感想だ。ここ二日間程度では到底回りきれないほど見るべき箇所が多いように思う。
ルズが勢い余って自分の研究内容をベラベラと喋り始めたが、あいにく僕には一言も理解できず、全く何の生産性もない時間はその後二十分ばかし続いた。永遠にも感じる苦痛の時間だった。
そうして車は郊外に出てとある巨大な建築物の前で停車したのだった。
流石に警戒心が前に出る僕に気づくこともなく、ルズ始め病院の医局員たちは我が物顔でその建物の中に侵入していく。どうやら入り口に生体コードの読み取り機器そのものを設置しているらしく、建物を出入りする人間はすべて記録されているようだ。当然のように高精度の監視カメラもそこかしこに備え付けられており、また一つのセクションを通過するたびに駅の改札機みたいな機械に端末をかざして自分の生体コードを開示する必要があるようだった。
かなり厳重な施設、ということらしい。
やがてたどり着いたのは、僕の時代、日本でもよく見た一般的な診察室らしき部屋で、ルズは僕に診察台に座ることを促してから、「お茶飲みます?」なんて聞いてくる。
「お茶はいい…。検査の前に僕にも聞かせて欲しいんだけど、君らの界隈で、僕はどんなふうに噂されてるんだ?」
「ああ、そこ気になりますよね。それはもうやばい伝説になってますよ、奇跡的でこう…神。鬼神。勇猛にして果敢、烈火の如く…みたいな」
「一個もわからん…」
彼女と会話するのは諦めた。僕が白けているうちに彼女は、試験瓶三本分ほどの血を手際よく取り、「ありがとうございました! 結果が出たらお伝えできる分はお伝えします! 多分!」なんて曰う。
「せっかくなので院内を見学して行きますか?」
と言われ、本来なら情報はいくらでも欲しいところであったが、これ以上この話の通じない人間と一緒にいるのも正直煩わしい。丁重に断っては施設の外に逃げた。
『あ、フユキ…』
「おお、おはよ」
『おはよう…』
地球の声に、心底助かったという気持ちになる。しかし地球の言も相変わらず歯切れが悪く、僕は釈然としない気持ちになりながらとりあえず街を見て回るかと歩きだしたのだった。
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