第25話
その日も壁の隙間から差し込んでくる日の光で目覚めた。どこで寝ても死なないのだから結果は同じだと、この百五十年ほどは人の住めなくなった廃墟を転々と寝ぐらにしている。
たまに雨が吹き込んできたり、通りがかったごろつきに襲われたりといったイベントも発生するが、そんなもの僕の再生体質の前には大した問題にもならない。ごろつきに至っては金品や食料をわずかながら所持しているもので、そいつらを適当に痛めつけて追い剥ぎまがいのことをした挙句市政の情報を吐かせた上でようやく解放する、という慈善事業をやっている。まあ、悪党退治だ。
今に至って、もう僕に他人を益しようとか、世の中に貢献したい、みたいな思いは綺麗になくなっていたが、それでも地球とふたりぼっちで生きる上で苛立ちや鬱憤は募るわけで、そういうものを適度に発散する相手としてそこらの子悪党を選んでいる。
僕がそいつらを容赦なく殴る蹴るする様をどういう風に見ているのか、地球は相変わらず余計なことは言うまいと咎めることもなく、結果それがさらに僕の苛つきを増長させるのであった。
僕の方がよほどたちの悪い悪人である。
その朝も、顔に当たる日光を避けながら身を起こし、あくびを一つ二つする間に下卑た笑い声が聞こえてきた。この生活も長いから一発でわかる、また子悪党の類がこの近くで僕を狙っている。
痛みはほとんどなく傷も再生するとして、ただやられっぱなしも癪なので、このところは先手を打ってこちから殴りかかることにしている。ボロボロの毛布を蹴飛ばして素早くあたりを見回した。
多方の予想通り、すぐそこの建物の影に数人の人だかり。しかし何か妙だ、こちらに対しての敵意や害意を感じない。
「お嬢ちゃん、俺たちみたいな人間の相手をしたことはあるかい? ないだろう」
ニタニタと笑いながら、手にした錆だらけの刃物を誰かに突きつけて、ごろつきのうち一人が言う。周囲を取り囲むようにして立つそいつの仲間らしき連中が、舐め回すように何かを視姦しているのがわかった。
あーあー。なるほど。このパターンね。
心から面倒くさかったが、かといってここで見捨てると流石に僕の夢見が悪くなる。渋々そっちに向かってわざと足音を立てながら歩いていくと、ごろつきどもが一斉にこちらを見てなおのこと馬鹿にした笑い声を上げるのであった。
「なんだ兄ちゃん。この子の先客は俺たちだぜ、悪いが他をあたりな」
「いい。お前らと会話するつもりはない。今からお前らに八つ当たりするから、怪我したくないやつだけ逃げろ」
「何を…」
そいつは二の句を告げる前に顎の骨を砕かれて、悲鳴を上げることすらもできずに地面に転がった。他の奴らが口々に驚きと怒りの声をあげ、僕に向かってきたが、まあ大して結果は変わらなかった。そいつらがより痛い目を見ただけである。
『相変わらず容赦がない…』
この二百年、どんどん手心がなくなる僕のやり口を見ていた地球が、思わずといったようにうめいた。僕はそれにため息だけ吐いて答え、今しがた連中が取り囲んでいたーー少女に手を差し伸べる。
「災難だったね。まあ、僕に拾われたところで大して状況は好転しないけど」
「…あ。あ…」
あまりの恐怖に言葉もないらしかった。僕の差出した手をなおもガタガタと身を震わせながら見つめることしかできない少女を前に、やっぱりこうなるんだよな、と僕はまた深々とため息を吐き出し、その子の切り裂かれた衣服の上から上着だけかけてやる。
「君に幸運が残ってたら、まあ無事に人のいるところまで辿り着けるだろう。せいぜい達者でね」
そうして歩き去ろうとする僕の背に、いまさらのように少女が縋り付いてくる。
「あ…。ありがとう…」
「…やめてくれ。本当に八つ当たりしただけなんだ」
久方ぶりに聞く人からの感謝の言葉。少女はなおもボロボロと涙をこぼしながら、叫ぶ。
「ありがとう! ありがとう…!」
「うるさい。とりあえず近くのスラムまで送ってやるから勘弁してくれ」
『なんだかんだ善人なんだよなあ』
昔ながらの無神経な地球の物言いに気持ちを逆撫でられながらも、僕も同じ感想を抱いていた。こんな境遇に身を落とそうとも、僕は誰かを積極的に害しようとはしなかった。今僕が痛めつけた連中と僕との間には、そういう"差"がある。もちろん僕には食料を買うだけの金銭があるし、戦前にきちんとした教育を受け、他人に愛情を持って育てられた。
そう言う"地盤の差"だ。
そう、僕はどこまで行っても、まともな感性を持つ文化人としてのサガから逃れられない。いっそ苛立ちのままに暴れまわれたら、この気持ちも晴れるだろうに。中途半端だ。僕は。
少女をすぐ近くの村まで送り届けてからも、モヤモヤは晴れず、むしろどんどん膨らんでいった。別れ際に少女が僕に向かって何度も頭を下げる、その光景が何度も、何度もフラッシュバックして。今までの僕を責めるように。
『フユキ。わかってるんだろ。君は君が思うほど、落ちぶれちゃいない。落ちぶれられないんだよ。何よりも君の友人たちからもらったものを覚えているから』
「…」
『わかってると思って言わなかったけど、君はもっと広い世界を見て回るべきだ。…時間はある。生きよう』
「くそ…」
毛布にくるまってゴロリと石の床の上に転がる僕に、地球はちょっと呆れた様子で言葉を止めて、おやすみ、と囁くのだった。
その日一日中寝返りを打ち続けた僕は、日が沈み、あたりが真っ暗になるのを待って勢いよく立ち上がった。
「わかってるんだよ、くそ」
そうしてわずかな荷物をまとめると、街の方角に向かって歩き出した。
『盛大な反抗期だったなあ』
「うるさいな…」
『まあ、そう言う時もある。人生七転び八起きってやつだよ』
「あー、うるさい、うるさい!」
もう少しまともに生きてみようと思った。みんなが、僕を信じてくれるから。
そうして、僕の死を求める旅が始まったのだった。
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