第23話

 その時は案外唐突にやってきた。山間部を抜け、内地にたどり着くと民家が点々と連なる街に出る。そこからはもうあっという間で。

 気がつくと目的地であるその公営住宅の前に立っていた。戦場で体や心を悪くした者が療養も兼ねてつっこまれている団地だそうで、外見は綺麗だが巨大な住宅棟にかなりの数の部屋が押し込まれていることが伺える。屋外のベンチにぼんやりと腰掛けている住人の姿がまばらに見受けられた。…こんなところで生活しているのか。


 意味もなく後ろめたさを感じて足が止まる僕の背を、エンリは優しくトントンと叩いた。


「大丈夫だよ。行こ?」

「…うん」


 エンリにかかると僕など本当に外見相応の十代男子みたいだ。不覚にも励まされてしまって、グッと握り締めていた手を開く。手のひらに汗がじっとりと滲んでいた。


「…エリっ」


 と、たどり着いた三階の角部屋の扉を勢いよく蹴破って飛び出してきたのは、小柄な中年女性であった。


「ああっ、もう、また痩せてる!」


 女性は面食らう僕とリグの目の前でエンリを羽交締めにすると、ぐりぐり頭を撫でまわし始める。ぽかんとする僕の視線を居心地悪げに受け止めて、なんとか女性の腕の中から抜け出したエンリは、女性と、その後について部屋から出てきた中年男性に僕の方に注意を向けるよう仕草で促すのだった。


「…キジマ。マコト」


 あえて確かめるまでもなく一目瞭然であった。どんなに歳を取ろうと、僕がこの二人を見間違えるはずがない。

 しかしどう再会の喜びを分かち合えばいいかわからずにいる僕に、実に二十年以上の時を経て再会したキジマとマコトは、数度目を瞬かせてから不意打ちのように柔らかく笑って見せる。


「久しぶりだな、フユキ」

「やだ、全然変わってない。私たちばっかり歳取っちゃって…」


 この二人には敵わない。マコトがゆっくりと近づいてきて僕の手をとり、きゅっと握りしめる傍らで、キジマはキジマでこちらの肩にそっと手を添える。

 …彼らのあの頃と変わらぬ気遣いに、ついに僕は耐えきれなくなってボロボロと涙をこぼした。


「なんだ、お前、泣き虫は変わんないな」

「世界でも有名なのにね、神兵フユーキ?」

「だって…僕…僕は…」

「慌てんな。時間はいくらでもある。しばらくこっちに滞在していくんだろ、その間にゆっくり聞かせてくれ」

「とにかく上がってよ。狭い家だけど、くつろげるスペースくらいはあるから」


 しばらく涙は止まらなかった。今まで押し殺してきた感情が後から後から溢れて、小一時間僕は泣き続けた。エンリとリグは心底意外そうな目で僕を見ていたが、その眼差しすら温かく、何よりも僕の目の前に、キジマとマコトがいる。

 柔らかく溶け出していた心はさらにふにゃふにゃとふやけて、落ち着いた僕は四人を前に積もる話を始めた。日が落ちようともちっとも話題は尽きず、夕飯をご馳走になり、しばらくぶりに客用だという柔らかい布団で眠りについた。深い深い眠りの底で、「よかった…よかったね、フユキ…」という地球の声が、真っ赤に染まった夢の世界の中、何度も何度もリフレインした。



 目が覚めると、いかにも平和な一般家屋の天井と壁、品のいいこぢんまりとした家具たちが目に飛び込んできて、僕は一瞬自分の状況がわからず混乱した。

 が、隣に目を向けるとリグが例のスゥスゥという可愛らしい寝息を立てていて、なんとか記憶が舞い戻ってくる。客間という建前の、普段物置として使っているらしい部屋には狭い一室に押し込まれるようにさまざまな家財が並んでいて、そのいちいちが現在いる空間の平和を有らん限りに叫んでいた。


 正直、居心地が悪い。

 つい最近まで命をとるかとられるかという空間で寝起きしていたのだ。こんなにも穏やかな眠りを貪り、敵襲の心配のない場所で目覚め、果てはこれから友人と朝食の卓を囲むのである。今までとの温度差に眩暈がした。


 僕の発する気配で覚醒したらしいリグが、彼は彼で気配に対する過敏さを捨てきれないテイで目を覚まし、僕と同じくあまりにも安穏とした空間に置かれている自分を意識してキョロキョロとあたりを見回した。


「なんだか、場違いなとこに来ちまったな…」

「わかる。おはよう」

「はよ。やっぱり俺だけでも適当な宿に泊まればよかったなあ」

「そう言わないでよ、僕一人でこの部屋に寝泊まりするの、正直キツい」


 僕の一転して柔らかな物言いに、リグはなお居心地悪そうに笑う。やがて起き出してきたエンリたちと食卓を囲み、マコトとキジマが一緒に作った朝食を摂るなどして緩やかに時間は過ぎていく。


 キジマが気を回して、僕の両親の行く末も調べてくれていたらしかったが、今も地方の内地で療養しつつ暮らしていると聞いても別に会いに行こうとは思わなかった。僕がこの国に戻ってきた目的はもう達せられてしまった。東の大国の軍部をいつまでも欺き続けるのも難しいだろうし、これ以上滞在するのはリスクしかない。


 その日の昼、僕はこっそりと荷物をまとめて、気配も消して家から忍び出た。


「行くのか」


 唯一僕の足音に気づいたリグが、ヌッと僕の背後に立つ。


「せめて一言別れを言ってもいいんじゃねえのか」

「そんなことしたら、辛過ぎて離れられなくなる」

「でもよ…エンリ先生も、親二人も、あんたのことを…」

「十分なんだ。これ以上彼らから何も受け取れない。僕からは何も返せないのに」

「…」


 リグは何か言いかけて、やめては長々と息を吐き出すのだった。


「俺はここに残るって話でいいんだよな?」

「うん。引き続きエンリたちの護衛を頼みたい。今から去ると言っても、僕とコンタクトをとった事実を軍部がどう解釈するかわからないから」

「…あんたは、これから先一人で大丈夫なのか」

「なんとかなる」


 その時、久しぶりに心からの本音が出た気がした。


「僕は、もう、平気」

「…そうか」


 渋い顔で頭をかくと、リグはポツリと「気をつけてな」とだけ言って、背を向けた。僕も、団地の非常階段に向けて歩き出した。

 心が晴れ晴れと青かった。見上げた空もどこまでも青々として、ただ、何かが胸に突き上げて、僕は目からこぼれそうになるものを耐えながら階段を下った。大地を踏み締める頃にはいつもの僕に戻っていた。


 歩き出す。

 ここからは、本当に独りの旅路。

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