第22話

 翌日、僕たちは軍首脳のある都市を出て、その足で東の大国の中でも東方の果ての湾岸線に向かって歩を進めていた。

 ここまでの旅程も然りであるが、公共交通機関を使うとそこから足がつく可能性が高かったから、ほとんど徒歩での移動である。体力のある僕とリグはともかく、環境で多少鍛えられただけのエンリは非常に辛そうだった。申し訳ない思いになる。


「ふう…頭痛い…」

「二日酔いだね。あんなに飲むから…」

「なんで二人は平気なの…? 私と同じかそれ以上に飲んでたよね!?」

「俺は元々酒強いし」

「僕は代謝が高いから酔いが抜けるのも早いし」

「詐欺だ…」


 とはいえ流石に倒れられては敵わないので、頻繁に休みをとっている。昼近くになったので、ちょうどよく立ち寄った農村の農家に掛け合って水と食料を少し譲ってもらい、そのまま近くの木陰で休憩することにする。今日の昼食はパンと水。

 チェンの偏食に付き合っていた僕は粗食には慣れっこであったし、エンリも戦地をぐるぐる回っていたから食料が足りないことは日常であったようだ。リグはリグで貧しい生活をしてきたからむしろ僕らと合流しての数週間、定時に食事にありつけることがありがたいくらいであるらしかった。

 そんなわけで誰一人文句を言うこともなく、ボソボソと賞味期限ギリギリのパンを齧る。


「なんだかんだ俺の出番がないまま日本に着きそうだな…」

「私より役に立つとかほざいてたのにねえ」

「そう言うエンリ先生の活躍の場もなかったがな」

「何だって!?」

「やめろ。喧嘩で体力を使うな。この先まだ長いんだから」


 いつものようなじゃれ合いを始める二人を宥めつつ、それでも僕の顔も相応に緩んでいる。なんだかあれから、妙にふわふわとした心地である。もっぱらの心配の種であった東の大国からの追手もこれでしばらくは誤魔化せるだろうしーー軍籍データの書き換えの際、足取りを追えないように僕のパーソナリティの項を意図的に設るという工作を施しておいたーーあと数日もすれば湾岸線に到達し、そこから一日船に揺られれば日本につく。…そうしたら、キジマとマコトに会える。

 その期待から自然、さまざまな追想と妄想を重ねていて、僕は心ここに在らずといった有様になっていた。


 そのような僕のことを、エンリは終始例の察した顔でニヤニヤと眺めているし、リグはリグで僕の機嫌がいいことを喜ばしく思っているらしい。そりゃそうか。同行者にはニコニコしていて欲しいもんだよな。

 そういえば、チェンは大体しかめっ面をしていたな。だから、彼が笑うと嬉しかった。その僕の気持ちと同じものを二人も感じているのか。


「ありゃ、こんなところで何してんだい」


 通りがかった荷馬車から、初老の男性がこちらを見下ろしていた。


「あんたら都会の人だろ? ここらじゃ見ない顔だもんな」

「あっ、ちょっと用があって立ち寄っただけです、今は休憩させてもらってて。すぐに立ち去るのでお構いなく」

「そう言うことなら乗せてってやろうか? 代わりに都市部の話を聞かせてもらえるとありがてえな。ここらはネット回線も来てなくて情報が遅くてねえ」


 建前上こう言ってはいるが、都会の人間が珍しくて構ってやりたくて仕方ないのだろう。この反応、トクさんの親切と近しいものを感じる。特に裏もなさそうなので、


「ではお言葉に甘えて…」


 同行させてもらうことにした。

 随分おしゃべりな人で、こちらの話を聞きたいと言っていながらやれ孫の成長がどうだの奥さんが最近目に見えて冷たくなっただのそちらの世間話を延々垂れ流してくる。エンリがいちいちうんうんと言って聞いてやるので、余計に話が進むらしかった。

 エンリはどこに行っても誰とでも馴染めそうだな。さすがキジマたちの血。


 エンリを荷車に乗せてもらって、僕とリグは馬車と並んで歩き、その日は随分と距離を稼いだ。


 そうして夜間に立ち寄った村で場末の宿を借りつつ、なんとか沿岸に備え付けられた港にたどり着いたのだった。


「船かぁ…船苦手なんだよなあ…」

「リグ、船酔いするの?」

「また嬉しそうに聞くな」


 わちゃわちゃし始める二人を半ば放置しつつ、密航の手取りをつける。ここでも足取りを辿られないために公共のフェリーなどを使うわけにはいかなかったし、かといって地元の漁船では境界領域を越えられない。

 この手の港には人民を海外に亡命させるためのコーディネートを生業にしている人間が必ずいる。先日情報屋グールからその伝手の情報も買ってあり、特に難儀することもなく話をつけて、海を渡った。まあ、日本海軍ーーその頃には自衛隊ではなく正式な軍備が敷かれていたーーに見つかれば一巻の終わりではある、が、その程度のリスクは込みの密入国である。


 漁船に偽装したクルーザーに乗り込み、海を行く。リグがずっと甲板のヘリに捕まってゲロゲロ吐いていたが、そのほかは特に問題はなかった。


 なんだか、あっけないもんだ。


 あの頃はどうやればキジマたちと再会できるか、かなり真剣、かつ絶望的な想像をいくつも膨らませていた。そもそも大国軍から逃れる手立てが見つからないでいたし、その限り生きて会うことはもうないのではないかと暗い妄想を繰り返していた。

 あまりにも希望がないので途中から考えるのをやめ、ひたすら殺戮の世界に身を委ねることでなんとか暗い思考の果てに落ちていく自分を繋ぎ止めていた。


 それが、こんなふうにひょんなことから希望が叶ってしまったりする。

 チェンが死んだことも含め、世の中、次に何があるか本当に予想がつかない。でもそれを楽しみながら生きていくしかないんだろう。運命は誰にとっても等しく過酷だ。


 やがて二十数年ぶりに日本の国土を踏み締めた僕は、大きく深呼吸を繰り返した。

 久方ぶりに嗅ぐ、故郷の匂い。日本特有の濃厚な湿気をはらんだ空気に、独特の文化を反映した港町の家々が並ぶ。

 今になって体が小さく震える。これは、武者震いだろうか?


「行こう、母さんたちにはもう話つけてあるから」


 彼女にとっても久々の帰郷である、わずかだが緊張をはらんだ声でエンリが言い、キョロキョロと物珍しそうに周囲を見回すリグを伴って、僕たちはキジマたちの家のある内地に向けて歩き出したのだった。

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