第5章
第21話
東の大国の国土にこっそり侵入ーー正式なパスポートを所持していたのがエンリだけなので、結果不法入国であるーーしてからは、流石に慎重に歩を進めた。世界的に見てもかなりの国土面積を誇る国である、国の端々まで監視の目が行き届いているわけではなく、点在する農村や未開に近い山中などはこうなると非常にちょうどいい中継地であった。
軍の首脳部が置かれている第二の大都市にそっと入り込むと、エンリとリグを宿に残して単身、街を突っ切る。
僕たちの現在の知名度を考えれば、別行動をとったところで決してエンリが安全になるわけではない。途中から後をつけられていて、戦力である僕とリグから離れたところを奇襲され、人質に取られる、なんていう展開が最も危惧すべきものだった。
それだけにエンリにはリグという護衛が必要だった。正直なところ、あの大国の軍の、それも中枢部を奇襲するのだから動かせるコマは僕自身含め多ければ多いほどよかったが、致し方ない。それに、二人で作戦に及ぶと思うとどうしてもチェンとのあの最後の強襲作戦が頭にちらついた。僕はいいとして、リグを守り切れるかわからないのだ。
だったら自分一人の方がまだ色々なことの踏ん切りがつく。
軍部にいた頃にパイプを作っておいた情報屋のもとに向かう。チェンを伴わずに尋ねるのは初めてだったが、裏世界の情報ならなんでもござれのその男はあらかじめ僕の動向を探っていたらしく、いかにも「ようやくきたか」と言いたげな顔で住居の扉の向こうから顔を出した。
「また随分危ない橋を渡ってるネエ…」
ねちっこい喋りが懐かしい。
「まあ、入りなヨ。今から何をしたいかは大体わかってる、チェンの旦那に随分良くしてもらったよしみだ、今回は手を貸してやるヨ」
「話が早くて助かる。報酬はこれくらいで…」
携えていた貴金属と宝石の中から二つ三つ高めのものを見繕って差し出すと、情報屋ーーこの界隈では“グール“と呼ばれている。死体になってでも金にしがみつく、という意味の蔑称だーーは、口の端を歪めて僕の手からそれらを奪い取った。
「ヒヒッ…いいお得意さんとこれで仕事納めかと思うと惜しいネエ」
「僕も命が大事だし、それは君もだろ。軍に堂々と反逆するんだ、この国にはいられなくなるんじゃないのか?」
「それはそれで匿ってくれる組織があるんだヨ。あんたはそんなこと気にしなくていいサ、そもそもそんな余裕ないダロ」
「まあね…」
作戦の打ち合わせを軽く終えると、僕はすぐさま行動を開始した。この国、特にこの街に滞在する時間は短ければ短いほどいい。
軍の首脳が置かれている巨大な施設は、街のど真ん中に堂々と居を構えていた。これに侵入して敵だらけのフロアを突っ切り、サーバルームに侵入して一定時間かかるデータの書き換えを行う。…そんな作戦であるならば例え不死身であろうとも到底無理無謀である、が、ことはもう少し簡単だ。
この施設の中枢コンピュータは、施設内のあらゆる電源、モニター、カメラ、扉の開閉を一元してコントロールしている。つまり、中枢につながる扉のうち一つにでも辿り着けば、そこから回線を辿って中枢コンピュータに侵入することができる。
そこに情報屋の伝手で制作してもらったプログラムーー要するにウィルスーーを走らせれば、この作戦は完了である。
もちろん中枢コンピュータのセキュリティは相応に高いが、僕が軍内部から持ち出した情報を加味し、僕の軍籍情報だけを素早く書き換える、という条件を徹底することでなんとか五分程度時間を稼げば書き換えが終わる、程度の妥協点を見た。
それならば僕一人でなんとかなし得なくもない。
施設を囲う有刺鉄線付きの巨大な壁を、見張りの目を盗んで乗り越える。ハシゴを立てかけるわけにはいかなかったが、鉄線がほころんで垂れ下がっているものを掴んで登ればなんのことはない。その頃には再生力も随分もとに戻っていて、鈍い痛みがあったものの鉄線の棘が刺さった部分からすぐに傷が塞がっていった。
この程度の警備の穴ならば常套的に見つかるのは過去にここにいた経験からわかっている。
ここからの経緯は省くが、まあ危なげなく作戦は終わり、見張りにも見つかることなく、誰一人殺すこともなく僕は再び塀を乗り越え、エンリとリグの待つ宿に戻っていった。腐っても大国随一の工作兵としての経験と勘の賜物であった。
「ただいま…」
ずっと気を張り詰めていた疲れから流石にぐったりと宿のベッドに倒れ込んだ僕に、テーブルにかけて呑気に晩酌と洒落込んでいたらしい二人が酔っ払い特有の歓声を上げる。
「おかへぇりー! 大変だったねえ、フユヒも一杯やろうれー」
「フユーキ、こいつ、酔わせると陽気になって面白えぞ」
「お前ら…」
言いたいことが口の中で大渋滞したが、しかし次の瞬間、僕は吹き出していた。一度笑い始めると止まらなくなり、そのままベッドの上で体を曲げてゲラゲラ笑い続ける。
「お? フユーキもどっかで飲んできたのか?」
「フユヒ、ご機嫌へれー?」
二人の困惑もよそに、僕は笑い続けた。この二十年の軍在籍期間、心から笑うことなどなかった、その分を一夜で取り戻してしまった気分だった。
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