第20話

 カーテンの隙間から漏れる朝日を浴びて、僕はゆっくりと上体を起こした。時間の感覚が曖昧だが、かれこれ十時間近く眠ってしまったらしい、よほど疲れていたのだろう。

 隣のベッドでは、いつの間にか部屋に上がっていたらしいリグが何本かの空になった酒瓶と共に横たわっている。そのスゥスゥという体に似合わぬ可愛らしい寝息を聞きながらベッドから起き上がって部屋に備え付けられている流しに向かった。…十数年ぶりに頭と体が軽い。


 顔を洗って髪を整え、このところ剃る余裕がなかったので無精髭状態になっていた髭を剃り落としていると、部屋の扉が控えめにノックされた。返事をしつつ鍵を開けると、扉の向こうにエンリが立っている。


「おはよ、昨日はよく眠れた?」

「おかげさまで。暫くぶりにこんなに寝てしまった」

「いいことじゃない。宿についてすぐ寝ちゃったみたいだったからそのままにしておいたんだけど」


 エンリはこれでも女性なので、もう一部屋隣に宿を借りてそこに寝泊まりしてもらうことにしていた。個室に何部屋か空きが出ていて助かった、宿周辺の治安や防犯設備、部屋のグレードにもよるが、安い宿は大抵すぐに宿泊客でいっぱいになってしまうので運が良かったと思う。

 昨日キャラバンの連中の話を傍で聞いていたところによると、この数十年の戦争の激化で隊商の行き来にも強い制限がかけられ、キャラバンのチーム数そのものが減少傾向にあるらしい。この街のように隊商の中継地として栄えた街やその宿も、すっかり商売上がったりなのだと言う。

 僕たちにしてみれば、人との接触が増えれば増えるほど身の危険に注意を払わなければならない状態であるし、そのような意味でも行幸である。


「これからの話がしたいんだけど」


 というエンリの提案を受け入れて、なかなか目を覚さないリグを揺り起こして男部屋で各ベッドの上に腰かけて顔を突き合わせた。


「とりあえずあの村から距離をとる方向で進んできたけれど、そろそろ目的地を定めないと…永遠に砂漠を彷徨い続けるわけにはいかないし」

「俺はあんたらについていくことを決めているから、いく先は別にどこでもいいぜ」

「それなんだけど…僕にちょっと希望というか、行きたい場所があって」


 僕の言いたいことを察したらしいエンリが意味深に頷く傍で、何もわかっていない様子のリグが首を傾ける。ちょっと言葉に詰まってから、続けた。


「日本に行きたいんだ。僕の古い友人ーーエンリの両親なんだけどーーに会っておきたくて」

「へえ、あんたらそういう繋がりなのか。珍しい組み合わせだとは思ってたが」

「この国でエンリと会ったのは偶然なんだけどね」

「そう言うと思ってたし、両親にも伝えられる範囲でフユキのことは伝えてあるよ。二人とも会いたいって言ってる」


 エンリが「これでね」というように携帯をかざす。僕の頭にキジマとマコトとの日々が走馬灯のようによぎった。彼ら、特にマコトを危険な目に遭わせたばかりか、娘であるエンリすらも僕の事情に巻き込んでしまって、二人には罵られる覚悟をしている。

 が、それでも彼らに会って、一言伝えたかった。…これまでの詫びと、礼を。


「俺は異存ねえが、特にフユーキが東の大国に追われてる現状はどうするんだ? 普通に会いに行ったらそいつらにも危険が及ぶんじゃねえか?」

「それもちょっと考えたんだけど、日本にいくルートの途中で東の大国の軍首脳部に立ち寄れたらと思ってる。…僕の軍の籍やデータをちょっと改竄することができたら、多少時間が稼げると思うんだ」

「…あぶねえ橋だな…」

「私はかまわないよ。戦場を歩き回ってる以上、いつ死ぬかわからないのはいつものことだし、何よりもフユキにはお母さんたちに会ってほしい」

「まあ、俺もその点では同感だ。俺の命はあんたの好きに使ってくれ」


 彼らの申し出が嬉しかった。が、それ以上に、大きな責任を感じたのは事実である。ここから先はもう間違えることは許されない。人の命を預かるのだから。


「ありがとう。じゃあ、ここから日本へのルートだけど…」


 軍から持ち出したオフラインのデバイスを視覚に同期させて、ルート計算された結果をエンリとリグの持ち出したデバイスにも同期させる。


「改めてよろしく頼む」


 殊勝に頭を下げた僕に、二人はくすぐったそうに笑って見せた。



 チェックアウトの際の支払いは、二人が各々「自分がもつ」と言ってくれるのを振り切って、僕が引き受けた。軍に所属していた際に支払われていた多額の報奨金を、こう言う時のためにこまめに貴金属に換金していたのである。例の作戦の際に全て身につけていたわけではなかったから、持ち出せたのはその一部であるが、当座の路銀は僕が賄えると思われたし、二人が僕のために命をかけてくれる以上僕に差し出せるものは全て差し出したかったのだ。

 現状、金品という形でしかそれを為せないのが不満なほどであった。


 昨日までとはまた別のキャラバンに渡りをつけて、護衛する代わりに同行させてもらう約束を取り付けた。三人、それぞれ荷車の上で揺られる。


 キジマとマコトにはエンリが話を通しておいてくれるとのことで、直接通話してもいいんじゃない? と提案されたが、断った。まだどういう顔をして二人と話せばいいのかわからないでいる。

 二人はもう四十代前半に差し掛かっているはずだし、いつまでも高校生みたいな僕を見て困惑しないとも言い切れない。エンリがどこまで事情を話してくれているかはわからなかったが、こんなわけのわからない体になってしまった僕を、受け入れてくれるかどうかは正直、自信がなかった。


 それも含めて実際に会って話さなければならない。そこから先、僕が何をしてどこにいくにしても、キジマたちに会うことをしなければ、進めない気がしていた。


 キャラバンは数日かけて砂漠を横断し、僕たちは久しぶりに中東の外の地を踏み締めた。平地に点在する尾根がずっと先まで連なって、僕たちの前に起伏を描いていた。

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