第18話

 翌日の夜。僕は闇に乗じて村を出た。

 ネットを通して僕の居場所が東の大国の軍部にも筒抜けであることは分かっていたが、どういうわけか向こうからコンタクトをとってくることもなく、おそらくは自分たちが飼い殺したと思い込んでいた存在が、「真昼の黄昏」現象と繋がる神にも並ぶほどの存在ーー市井の人々の誤解だがーーだということに恐れをなしているのだと思われる。「首輪」であったチェンの遺体も回収できていないし、胸元に埋め込まれていたGPS付きのIDもエンリが破壊してくれている。情報不足で動くに動けないのだ。

 しかし事実関係を整理してすぐにでも回収、ないし口封じにやってくることが予想されたし、向こうが攻めあぐねてくれているうちにさっさと身を隠すのが最善だと思われた。


 ヨボヨボと別れの言葉を述べる村長に深く頭を下げて逗留していた民家を出ると、そこにエンリが待っている。


「私も一緒に行く」


 彼女は開口一番そう言った。僕に言い訳やら説得やらをさせる気もないらしい。深々とため息を吐き出した僕は、眉間に皺が寄っていることを自覚して、チェンのが移ったかな、なんて場違いなことを考えた。

 今まで出会っては別れてきた数々の人々の癖や思想は、結局僕の中に生きているのかもしれない。

 人間は互いに影響を与え合いながら暮らしている。この世界に住まう限り、他人とは無関係ではいられない。どうしたって誰かを守ったり守られたりしながら生きていくのだ。…そんなことを、この数日ぐるぐる考えていた。


「分かった。何言っても無駄だろうし」

「そういう言い方は…」

「あーあーあー! 言い争ってる猶予はないんだよ! 文句言うなら置いてく!」

「…はい」


 そうして僕たちは思わず吹き出して、笑いながら仮初の宿を後にした。

 強い光源がないからか、空には日本では目にしたことのないほどの無数の星々が散らばっている。その下を、互いに大きな荷を背負ってエンリとともに歩きながら、僕の頭はそれでも混乱していた。


 考えるべきことが多すぎる。

 どうすればチェンの思いを引き継いで、遂げてやれるのか。彼が僕に託したものをちゃんと後世に繋げたい。キジマとマコトにはいつどうやって連絡を取ればいいだろう。もう合わせる顔もないように思う。エンリのことをちゃんと守ってやれるのか。これ以上僕のせいで誰かが傷つくのを見たくない。東の大国に対するケジメはどうする。正式に軍を抜けるにしても、なんらかの処置をしなければこちらが延々口封じの危機に晒されることになる。


 ぐるぐると思考が脳内を回るのにかまけて、周囲への注意が欠けていた。

 村外れ、不意に物陰からぬっと這い出してきたものが僕たちの道を遮る。


「来たな、神兵フユーキ」


 現地軍の装備をつけた大柄な男であった。既視感があったのでよくよく思い出してみれば、一週間ほど前に病室に殴り込んできた義勇兵の男だ。

 咄嗟に荷物を放り出してエンリを庇いながら戦闘体制をとった僕に、男はジェスチャーで「落ち着いてくれ」と伝えながら、武器を手にしていないことを示すように両腕を掲げる。


「まあ待ってくれ。色々説明しなければならんが、俺はあんたについていきたいだけだ」

「ついてくる…? なんのために」

「あんたの評判は予々耳にしていた。百戦錬磨の神の兵。天の祝福を受けた肉体に、あの真昼の黄昏現象すらも操るという」


 大仰な文句を唱える割に、男の目には知性と野心が迸っていた。


「あの時、全身包帯まみれで横たわるあんたを見て震えたんだ。ティーンズにしか見えない風貌をしていながら、数々の戦場を死に物狂いで生き残ったものの目をしていた。この俺が気圧されるほどに」

「要するに僕に憧れたから弟子になりたい、的な?」

「まあそう言うことだ。あんたのことはある程度調べた。東の大国に追われる身なんだろ? そこの医者に比べれば俺は武力として役に立つぜ」

「私も医療を提供できるからあなたたちの役に立つけど」

「エンリ、ややこしくなるからちょっと黙っててくれ…」


 また考えるべきことが一つ増えた。思わず頭をガシガシと掻くが、そんな典型的なポーズをとったところで妙案の浮かぶはずもなく、かといって決断しなければ延々ここで足を取られることになる。すぐにでもこの村を後にしなければ東の大国、果ては敵対関係にあったいずれかの国から今にも刺客がやってくるかもしれない。そこの茂みから急に銃弾が飛んできても文句を言えない立場なのだ。


「…分かった。とりあえずは保留にしておくから勝手についてくるといい。ただ、変なそぶりを見せたら即殺すからな」

「話がわかるぜ、フユーキ」


 ワッと盛り上がる男に胡乱な目を向けて、エンリは何か言いたげにしていたが彼女にも僕の混乱がある程度理解できたらしい。ちょっと肩をすくめると僕らに先を促すのだった。


 時間が惜しいので歩きながら自己紹介やら情報交換やらしたのだが、男の名は「リグ」というらしい。それもつるんでいる傭兵仲間の間でつけられたあだ名らしく、元の名前は本人もわからないとのことだ。


「俺のお袋は娼婦だそうでね。従軍慰安婦としてさる大戦に同行した折に、間違いを犯して俺を産んだのさ」


 リグは自分の身の上にはさほど頓着がないというように平気な顔をして語った。


「そうして生まれながらに俺は軍のごろつきどもに育てられた。お上品じゃない話も色々とあったがまあ、俺を捨てたお袋と俺を産ませたクソ野郎への復讐心で生きてきたのよ。力さえあればこの世界に何か爪痕を残してやれるんじゃないかと思ってた。そこにあんたの話を聞いた」

「悪いけど、僕はリグが思うような大した人間じゃないよ」

「かまわねえさ。結局俺は、酒や薬みてえに強い俺を酔わせてくれる何かを求めてるんだ。それさえ手にすれば世界すら獲れる。そんなありもしねえ夢を見させてくれる何か。あんたの“神話“はそれに遜色ねえ」

「…だいぶ大仰な話になってきたな…」


 僕とリグの話を心から胡散臭いという顔で聞いていたエンリが、「まあ」と僕らの話に割って入る。


「わからなくはない話よね。私も両親をめちゃくちゃにした戦争をなんとかしたくて戦場医なんかしてるわけだし」

「おお、勇ましいな医者先生。あんたとは話が合いそうだ」

「そうかも。エンリでいいよ。私もリグって呼ぶ」

「よろしくな、エンリ先生」

『漫才トリオ完成だねえ』


 いきなり意気投合し始める二人を見て目眩がしてきた僕に、傷が治りきる瞬間を狙ってまたも地球がとんでもない発言をぶっ込んでくる。先々のことを思い遣って、気分が暗くなった。

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