第4章

第16話

 それから約二週間、僕は部屋から出ることは愚か、風呂に入ることも自らの手で食事をとることもできずに、ひたすらベッドの上で過ごした。なぜか傷の回復速度が緩やかになっているようで、包帯を変えるたびに全身の弾痕とその処置跡が新鮮にズキズキと痛んだ。

 その間こっそり地球とやりとりしたところによると、どうも僕の精神が一時的にひどく摩耗しており、それが傷の再生速度に影響を与えているのではないかとのことだ。地球の言もなんとも歯切れが悪い。ここにきて予想外のことが起こり続けているからかもしれない。


 毎日朝と夕方の二回、包帯を巻き直しがてら僕の処置をしてくれた彼女が一緒に体を拭いてくれる。食事に関しても彼女が介助してくれて、それ以外の時間もなるべく僕のそばにいてくれる。どちらかといえば信用できない人間に対する見張りの意味合いが大きいと思われたが、今は誰かと一緒にいたほうが気が紛れるし、ありがたかった。


 彼女と当たり障りのないことを中心に様々な話をした。

 遠回りに聞き出したところによると、やはり彼女はキジマとマコトの間にできた娘であるようで、名をエリという。こちらの人間には主に「エンリ」という発音で呼ばれているらしい。僕も正体を明かすまではそれに倣うことにした。

 もっとも、僕の顔を見れば日本人だと一目瞭然であろうし、だからこそ初対面で日本語で話しかけてきたのであろうが。


 彼女は予想通り医者らしく、現在は戦場医として世界中の戦地をぐるぐると医療巡回しているらしい。ここは中東のはずれにある村で、彼女が医療行為で見返りを与える代わりに滞在を許してもらっている、とのことだった。


「お父さんとお母さんは、今、どうしてるの?」


 なるべく不自然でない程度に探りを入れる僕に、エンリは特に頓着するようでもなくサラサラと個人情報を話してくれる。


「日本で療養中。大戦が酷かった時、兵隊としてあちこち連れ回されて二人ともかなり無茶したみたいでね。体の傷は先端医療でなんとかなったんだけど、心的外傷がひどくて」

「…その、今も悪いの?」

「たまに戦場の光景がフラッシュバックするみたい。幸いにして夫婦仲は良くて、今は互いの存在を支えにしてなんとか生きてる感じ。でも、もう殺し合いは真っ平だって言ってたな。戦争の空間は異常だって」


 そういえば僕は、あれほどひどい戦場をたらい回しにされたにも関わらず心的外傷どころか精神病の片鱗すらもないな、と改めて気づいた。慣らされていた、という以上に、なぜか心が異様に強靭な素材に作り変えられてしまったような感覚。もしかするとこれも、再生力と同じく体のミュータント化がもたらしたなんらかの作用なのかもしれない。


 今日も彼女は夕方になると民家の一室であるらしいこの部屋を訪れ、僕の包帯を変えて味の薄いスープと肉片を食べるのを手伝って、はけていった。その間際、扉の向こうからちょこっと首を覗かせて言う。


「私のこともいいけど、あなたのこともそのうち話してね。別に誰だって病人扱いは変わりないけれど、この村に滞在させてもらう以上あなたの身の上を把握しておく義務があると思うから」


 ぴっと僕の方に人差し指を向け、「おやすみ」と言って今度こそ去っていく。キジマとマコトの縁者だからか知らないが、やけに聡いところがあるし僕の正体についても概ねアタリはつけているんではないかと思われる。そもそも胸に埋め込まれていた東の大国の軍事IDを見られている。…傷が治ったら、ここから去るべきかもしれない。


 しかし、エンリともっと話がしたかった。あれからキジマがどう過ごしていたのか、マコトとはどういう馴れ初めだったのか。二人のもとでエンリがどのように育ったのか、二人からどんな言葉をかけられーー僕のことはどのように語られていたのか。

 僕は思った以上に弱っていると見える。エンリが僕に向けてくれる静かで温かな眼差しの中に、いつの間にか失ってしまった二人の面影を見ていた。代替品にしてしまってはいけない、と何度も思い直したが、もうこれ以上親しい人間との別れを繰り返したくないという思いが勝る。

 不老不死の身である以上、いずれ必ず別れはやってくるのに。


『今日も傷、完治しなかったね』

「もしかしたら血を失いすぎて、ミュータント化の触媒が一時的にかなり減少してるのかもしれない」


 誰かが聞いている可能性も考慮して、なるべく小さな声で地球の言葉に応じる。


「ほら、再生力の強化はそもそも血を媒介にもたらされたって話だったろ」

『うーん、今までも大量出血からの大量輸血って場面はいくらでもあったし、それだけではない気がするけど…まあ今は考えてもわかんないか』

「それより最近ずっと何か言いたげだけど、何を隠してるんだ?」

『いや、それは…』


 珍しくモゴモゴと口籠る地球を訝しく思ったその時、乱暴に戸が蹴りあけられて大柄な男性が部屋に押し入ってきた。服装からして現地軍の一兵卒だと思われる。エンリと村の人が男の体に必死で組ついて押し留めようとしていたが、訓練を受けた兵を一般人が制止するのはまず困難であろう、筋肉量が違い過ぎる。


「お前、神兵フユーキだな」


 現地語で何か怒鳴り始めたので枕元に置かれていた翻訳機を耳に押し込むと、通訳された音声が流れ始める。


「そうだけど、なにか用?」

「しらばっくれるな。お前の存在が我が軍にとってどれほどの脅威か…わからないわけではあるまい」

「それでわざわざ一人で会いにきてくれたんだ? 確かに僕は君たちの敵だったけど、見ての通り全身傷だらけでね、気持ちも弱ってる。今は相手にならないと思うよ」


 この手合いは下手にでるととにかく増長する。その経験則からあえて強気の姿勢を崩さずに打って出たが、効果あったようで相手は心持ちはなじらんだようだった。そもそも僕とサシで向かい合っていることすらプレッシャーなのだろう、すでに夜になり日が遮られた中東部において、考えられないほど汗びっしょりである。


「ふん。確かに今のお前なら俺一人でもなんとかなりそうだ。記念に首をとって帰ろうかな? お前の祖国のサムライみたいにさ」

「冗談が言えるうちに帰りな。僕をヤってもお母さんは君を抱きしめてはくれないよ」


 下品な冗談に応じると、男はゲラゲラと笑い出し、何を考えたかそのまま村人とエンリをかき分けて去っていった。自分一人で処理できるヤマではないと判断したのかもしれない。


 心持ち青白い顔をしたエンリが、目で説明を求めてくる。…潮時か。これ以上隠し通すのも現実的ではない。

 覚悟して首をすくめると、エンリはわざわざ傍の村人を部屋から追い出して、ベッドの脇に腰掛ける。こうなれば仕方がない。僕はただありのまま、全てを話した。


 真剣に聞き入っていた彼女は、話がキジマとマコトとの別れの下に差し掛かった時だけハッとした顔をした。しかし、そのほかのことはやはり概ね予想をつけていたらしい。

 話が終わると淡々と頷き、今まで以上にきっぱりした声で言う。


「あなたのことだから、この村から危険を遠ざけるために動こうとしているんだろうけれど、さっきの男も義勇兵で、正規軍の兵ではないわ。装備や兵員を流し合う関係みたいだから正規軍の装備を纏っていたけれど。彼が本陣に報告をしたところで、取り合ってもらえないと思う。今はフユキ一人に人員を割く余裕はこの国にはないからね」

「随分軍の内情に詳しいんだな」

「生きていくために…ね。私はどっちの軍勢にとっても敵をも治療するありがたくない存在だから。情報は何よりも身を助けるの」

「…まあ、僕はどのみちこの傷じゃあここから逃げることもできない。まだいてもいいと言われるならありがたいけど」


 これは紛れもない本音であった。エンリはふっと微笑み、右腕を曲げて力こぶを作ってみせる。


「私は医者だから。患者を投げ出したりはしないよ。とにかく完治するまで管理下にいてもらいます」

「…改めてよろしく頼む」

「あっそれから…」


 彼女は思い出したように付け加えた。


「私のお父さんとお母さんのこと、もっと聞かせてもらってもいい?」


 今度は僕が吹き出す番だった。そりゃあいくらでも話してあげるよ。話したいんだ。

 僕の親友だった人たちのことを。

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