第15話

 随分久しぶりにあの夢を見ていた。

 地平線まで真っ赤に染まった空から逆さまにビルが生えていて、僕は地面から聳えるビル群の一つの、どうやら屋上に立っている。誰かの声が耳元でずっとうるさいが、何を言っているのかよくわからない。それよりも、悲しい。悲しくてたまらない。


 そうだ、最近何かすごく嫌なことがあったんだ。二度と忘れないってくらい苦い思い出。なんだったっけ。

 確かずっとそばにいてくれた人が…。



 はっとして目を開けると、クリーム色の天井が目に入った。全身が酷く痛む。こんなに体が痛いのは久しぶりだ。いつぶりだっけ? そもそも僕は何をしていたんだったか。


「目が覚めた?」


 僕が寝ているらしいベッドを上から覗き込んできた人影を、咄嗟に勘違いしてチェンだと思い込んだ。あの、初対面の頃の記憶が蘇ったのである。

 彼の名をつぶやいた僕を痛ましそうに見たその誰かは、「違う」とだけ言って僕の額にかかっていたぬるいタオルをそっとどかして新しい冷たいタオルに取り替える。


 いまだ現実に戻ってこれない僕に、その誰かーーどこか見覚えのある女性だったーーは努めて穏やかな声を取り繕っている、というふうで話しかける。


「身体中にいくつも弾丸が入っていたから、処置しておいたよ。私が発見した時にはもうほとんど傷が塞がっていたから取り出すのが大変だった。あと、胸によくないものが埋め込まれていたからそれも摘出して壊しておいた。…随分酷い目に遭ってきたみたいだね」


 彼女の話している言語が日本語であることに気づき、次いで彼女が白衣を纏っていることにも気づいた。医者なのだろうか。

 とにかくさまざまな情報が渋滞して上手くものを考えられず、ずっと黙考したままの僕を、その女性は静かな眼差しで射抜く。


「今は多くは聞かないけれど、あなた、砂漠の真ん中に倒れていたんだよ。たまたま私を乗せたキャラバンが通り掛からなかったら、あのままのたれ死んでたと思う。回復力が普通じゃないみたいだけれど、空腹でね。お腹空いたでしょ?」


 彼女の言葉にうっすら直前の記憶が舞い戻ってくる。ズキリズキリと痛み始める頭と胸に手をやろうとするが、体がだるくて腕を持ち上げることすら叶わない。


「もう四、五日は寝っぱなしだったから体力が衰えてるんだよ」


 こちらの考えを先読みするように彼女は言い、枕元に身を乗り出すと、僕の半身を抱えて起こす。またあの時の記憶がちかちかとフラッシュバックした。

 彼女が差し出してくるコップから、中の白い液体をなんとか飲み干す。


「栄養剤を入れたスープ。あんまり美味しくなくてごめんね、調味料が限られてるから…」


 確かにあまり味がしなかったが、温かいそのスープが腹に満ちると、また眠くなってきた。その様子をまた言わずとも察したらしい彼女は、僕の体にふわりと毛布をかけ、その上からポンポンと手を打つ。


「今は睡眠と食事が一番大事だからね。無理せず寝て。起きたらまた少し元気になってるから」


 まるで包まれるような安心感と温かさに触れるうち、意識が遠のいていく。完全に眠りに落ちる直前、傍のテーブルに置かれた写真たてが目に入った。どこか面影のある男女と、小さな女の子が写っている。


 眠りに落ちる直前の意識で確信していた。彼女は、キジマとマコトの縁者だ。

 そうしてその思考も何もかも、闇に覆われていった。

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