第13話

 それからまた十年余りがあっという間に過ぎた。

 この間も数々の隠密作戦に駆り出されたが、戦乱の火は収束するどころかますます拡大しているように思える。争いが激化した国には他の国が援助という建前で兵器や支援兵を流し込む。結果、その地の戦況はさらにひどいものとなり、血で血を洗う泥沼状態に突入するのだ。

 最終的に双方兵や兵站が疲弊して事実上戦いが困難になるまで戦争は続く。そんな炎上地域が世界のあちこちに同時多発しているのであった。


 流しに向き合ってT字剃刀で髭を剃り落とす。細胞分裂、すなわち代謝の速度が異常なほど早まっているからか、このところ剃っても剃ってもすぐに髭やら髪やらが伸びる。

 爪の伸びる速度や体に垢が溜まる速度も早いので、日常的にシャワーを浴び、夜は浴槽に浸かって寝る前に爪を研ぎ心身を整えるのがルーティンになった。元々コツコツ積み上げていくのが得意なタチであったし、確かに面倒ではあるものの今ではほとんど気にすることなく淡々と日々をこなしている。


 流しの上に設られた鏡には、青白い僕の顔が鮮明に写っている。その顔立ちは、いくつかの治りきらない傷跡がついてはいるものの疎開時、つまり十代後半の頃に鏡で覗いた顔とさほど遜色がなかった。

 度々会話する中で地球が言うには、地球との会話という形でこの星とのリンクを繰り返した結果、僕の体は通話の触媒となっている血から徐々に作り替えられていったのではないか、という話で、まあつまりはミュータントとなってしまっているのではないかと言う。

 細胞分裂の限界数が限りなく無限に近づいた結果、老化現象もほぼほぼ失しており、これ以上歳をとることはもうないのではないかという予想である。


 僕は本当に不老不死の肉体を手にしてしまったのかもしれないのだった。


 と言っても、これらは地球が現在知り得ている情報から組み立てた、あくまでも仮説だ。実際心臓部を一瞬で吹き飛ばされれば僕とて再生する暇もなく絶命すると思われるし、酸の海に飛び込むとか、水に浸かって窒息死するとか、自殺の方法を考えればいくらでも思い至る。

 死のうと思えばいつでも死ねる、という事実は、最悪に近い現状の中で数少ない救いであった。


 もう一つの救いは、僕を待ってくれていると思われる人間たちの存在だ。

 キジマもマコトも、生きてさえいれば僕のことをひどく心配してくれていると思う。そうでなくとも現在は、チェンという相方が絶えず側にいる。

 出会いからのファーストインプレッションは最悪であったが、これだけ長いこと付き添っているとこのような極限下でも情が湧くもので、作戦から戻るたびにチェンがぶっきらぼうに「お疲れ」と労う言葉をかけてくれる実情に、僕は自分でも思う以上に救われているのだった。

 実際、チェンがいなければ今すぐ僕の武力と生命をかけてこの軍を内部から侵略して、僕を傷つけてきた人間たちに一矢報いてやろうという気にもなったかもしれない。その遠大な復讐を実行できるほどの力が、今僕には与えられている。


 だからこそ、その一介の青年の身に余る力を、正しく運用すべきだと現在は思うのである。

 力が与えられた以上は、そこに責任が発生する。僕の命を正しく使わなくてはーー。


「起きているか、次の作戦が間も無く開始されることになった」


 僕が軍部に与えられた専用個室に、控えめなノックと共にチェンが入ってきて今日も徴収を掛ける。洗面所から顔だけ出して頷くと、チェンはいつものように複雑そうな表情を浮かべてため息を吐くのだった。


 この何年か、彼の中でも葛藤が生じ始めているのが感じられる。僕という本来全くと言っていいほど戦争とは無関係の一般人を軍に徴用して命懸けの作戦に当たらせている罪悪感。それはそれとして僕の「手駒」としての強力さは彼も十分承知しているだろうし、その上で僕に友情めいたものを感じ始めていて、彼も揺れているのである。

 しかしそんな内心は不器用に押し隠して、彼は今日も必要事項だけを並べる。


「今回の作戦は中東のA国に拉致されたうちの要人の奪還作戦だ。軍の開発部の、それはもう重要な人物だそうでな、これまでにない規模の隠密作戦になる。

 様々な政治的配慮から、そいつが攫われた事実もなるべく公にならないようにやってくれ、との上層部からのお達しだ」


 すっかり取れなくなってしまった眉間の皺をなお深く刻んで、チェンはメモリーチップを僕に差し出す。


「詳細はいつも通りこの中だ。角膜のデバイスに繋いで参照しておいてくれ」

「了解」

「あ、あとな」


 もう四十代前半だという、心持ち老け始めた彼の野太い声が、珍しく震えていた。


「今回の作戦には私も一兵卒として参加することになった。まあ、よろしく頼む」


 彼の目に、ちらつき始めている死への恐怖と諦観が黒々と影を落としていた。


「…そんなにあぶない作戦なの」

「A国の拉致部隊ってのが、本国の言うこともまともに聞かないような暴走兵どもらしくてな。何せ気性が荒い。今回の作戦はレッドコードになる」

「…」

「心配するな。君は死なないだろう」


 仮に死ぬとしたら、私のーー最後まで言わずに言葉を切ると、彼は長く深いため息を吐き出して僕に準備を促すのだった。

 また大切なものを失う兆しが、彼の苦渋に満ちた顔にありありと浮かんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る