第3章

第11話

 戦場は随分と煮えているらしかった。兵站用のヘリに揺られながら、今日もぼんやりと角膜に直接表示される文面を流し見る。

 戦時中もマイクロデバイスの実用化を目指す研究が続いていたようで、この十年ほどでそれらの研究はいよいよクローズドテストを経て実地運用が始まっていた。角膜に移植したマイクロチップに電流やらを流して文字情報を投影する、というデバイスもしばらく前から実用試験が行われており、こと僕みたいな人間はその試験運用にもってこいなわけで、こうしてほぼ有無を言わさずモニターとして試用を任されているのである。


 僕の傍では、すっかり相棒となったチェンが、軍用レーションをモソモソと食んでいる。相変わらず不味そうに飯を食うな、と思い、なんだかおかしくて吹き出してしまった。チェンがさも心外だ、という顔でこちらを見る。


「今日は随分機嫌がいいようだな。気をつけろよ? いかに“不死者“と言えど、君は肉体の組成的には普通の人間と変わりないんだ。銃弾が当たれば痛いし、爆弾で吹っ飛ばされれば再生が追いつくかわからない」

「その説教もあと何度聞けるだろうね。なんだかんだ長い付き合いになってきたけど」


 あえてじゃれついてみせる僕にチェンはますます渋い顔をして黙ってしまう。

 こうして彼を揶揄って遊ぶのがこの何年かの小さな楽しみの一つになっていた。


「お二人さん、お熱いランデブーはそこまでですぜ。まもなく本作戦開始地点に到達しますぁ」


 東の大国の中でも南部訛りの強い母国語でヘリの操縦士がつげ、流石に僕の顔も引き締まる。角膜には相変わらず今回の作戦の要項が彼らの国の言葉で流れていく。この何年か、チェンにつきっきりになってもらいつつこの国の言語教育を徹底されたおかげで、それなりの読み書き、会話はできるようになっていた。まあ、チェンの授業のやり方は非常に回りくどく、要領を得ないものであり大部分の日常会話は他の兵士たちとのやりとりから学んだのだが。


「私は今回も君との通信を請け負う立場だ。まあ、重要度も危険度も低い作戦だし問題ないと思うが…はしゃぎすぎるなよ?」

「毎度似たような文言で注意しなくてもわかってるよ。じゃあまあ、行ってくる」


 小学生がおつかいを任されるような気軽さで目線を交わして、僕はヘリの搭乗口を押し開けた。気圧と風圧で壁に阻まれるかのように体がヘリの内部に押し込まれる。

 が、そんなものは無視して飛び降りた。


 さほど高度を伴っていなかったために、僕の体はすぐに地面に打ち付けられる。酷い音がして、あちこちの骨が折れ臓器が潰れた感触があった。しかし僕は構わず立ち上がる。

 すぐさま体の再生が始まり、骨がバキバキと元の位置に戻る音を立てる。その様を見て、その場に配置された敵国兵が息を呑むのが空気の振動で分かった。


 今回の作戦は、敵国が東の大国内に築いた陣地の奪還。それも、相手の戦闘体制が整う前に手早くやれ、とのお達しである。


『全く、フユキに任される作戦ってどれもこれも雑だよねえ』


 この何年かですっかり雑談相手になった地球の声を聞きながら、雑に足を前に踏み出す。


「まあ、コストをかけたくない気持ちはわかるよ。残機が無限の兵士がいたら僕でもこういう運用をする」

『この何年かですっかり可愛くなくなっちゃってまあ…』


 敵兵が慌ててこちらに銃を掃射してくるが、その弾丸が肉を抉る側から傷が再生していき、心臓部はセラミックの板を貼った防弾チョッキで守られているのでびくともしない。

 普通に歩いて敵前線基地に到達すると、手早く敵兵を射殺して基地の全権を乗っ取る。実に簡単なお仕事であった。


「あ、チェン、敗残兵の扱いはどうするんだっけ」

『それも作戦要項として君の目に表示されていたはずだが…。まあいい、帰ったら説教だ』

「はいはい、で?」

『今回のオーダーは敵の全滅、だ』

「了解了解」


 僕を見て血相を変えて逃げ出す兵士をいちいち全て撃ち殺していく。…いつから銃で人を撃つことに躊躇いがなくなったのか、もう覚えていない。最初は一発撃つごとに吐き気と眩暈に襲われた記憶があるが、それももう遠い昔の出来事に思えるのであった。


「基地内は概ね制圧したよ。何人か逃したから、そっちの後始末はお願い」

『了解、お疲れ』



 あれからもう十年か、としみじみする。東の大国に囚われ、その軍に属する一兵卒として訓練を受け、程なく戦場に投入された僕が見た世界は、今まで暮らしてきた平和ボケそのものの生活とは訳が違っていた。

 そこでは命の価値が驚くほど軽い。逆に、情報や物資などの価値は人の生命のそれよりも重く、死んでも守らなければならないものが異様なほどにたくさんあった。日本では命ほど重いものなど何一つないと教えられていたのに、あんなものはその命を脅かされない生活を送っていた僕らの、ただの怠慢だったのだった。


 今では僕の役割をよくよく承知している。この意味のない戦争を早期終結させること。そのためならば自らの手で何人でも屠ってやる。そうして、あの平和ボケした日常に帰るんだ。キジマやマコトとともにある、あの…。


『悲しい、ね』


 “星”がふとこぼした一言が、心からどうでも良かった。僕の命も、心も、紙切れよりも軽い。

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