第10話

 またあの夢をみていた。空から逆さまに映えたビル群が悠々と空を流れている。足元の大地からも転々とビルが聳え立っていて、しかしそのほとんどはヒビがあちこちに入ったボロボロの姿だ。

 どこからか聞き慣れた声がした。


ーーダメだ。フユキ。それは、ダメだ。


 何がダメなのか、誰の声なのか思い出そうとするが、ただ目の淵に涙が溢れるばかりで感情のコントロールが効かない。やがて天からビル群とその瓦礫が降ってきて、周囲はコンクリートと鉄骨とガラスの破片でごった返す。


 …ああ。結局、また。



「良い加減起きろ、もう傷は治ってるはずだぞ」


 誰かが乱暴に僕の体を揺するので、ようやく目が覚めた。しかしその途端、鋭い痛みが胸を貫く。

 思わずうめくと、僕を揺り起こしたらしいその人がわざとらしくため息を吐くのが空気の振動で伝わってきた。うまく開かない瞼をそれでも無理やり押し上げると、薄暗い天井が視界に舞い込んでくる。


 ここはどこだ。何があった。気を失う前後の記憶が曖昧だ。


 とにかく周囲を見回してみようと身を起こそうとするが、僕の手足は横になっているベッドの支柱に鎖で繋がれていて、それがガチャガチャと音を立てただけでほとんど身じろぎもできなかった。一体これは…。


 僕がいかにも疑問符だらけの顔をしていたからか、傍にいる誰かはまた嘲笑うようなため息を吐き、僕の頭の後ろに手を添えて起こすと水を差し出してくる。そうされて初めて喉がカラカラであることに気づいた。グラスから必死で中の水を飲み干す。


「落ち着いたか? まあわけがわからんのも無理はない。我々も全てを把握できた訳ではないしな」


 その誰かーー背格好や声から男性であることはわかったが、言葉のイントネーションがどことなく妙であるーーは、僕の身をまた横たえたあとこちらにも良く見えるようにひらひらと手のひらをかざして「わけがわからない」というジェスチャーをしてみせる。咄嗟に言葉で疑問を呈して良いのかどうか、迷った。鎖で拘束されていることからして、どうも友好的な相手とは思えない。

 それでも彼はベラベラと一方的に喋り続けてくれる。


「君の体は驚異的だな。いや、多少血やら細胞やらをとって調べさせてもらったんだが、細胞分裂の速度が異常だ。それでいて分裂回数にも制限があるように思われない。

 …ああ、君は学生だったな、まだ難しいか。つまり、怪我の治癒力、再生力といってもいい。それが異常だということだよ」


 そこまで言われて、フラッシュバックのように直前の記憶が舞い戻ってきた。そうだ、僕は胸を打たれたはずだ。あの痛みは忘れようもない。だとすると今の体を襲っているだるさと吐き気、痛みもそこからくるものか。

 しかし、胸を打たれて今も生きている…? あれからどれだけ時間が経ったかわからないが、確かに心臓に弾丸が達した感触があった。命が潰えていく感覚も鮮明に残っている。どういうことだ。傍の人間の言からすると、僕はその状態から回復したということか?


「その様子を見ると、君にとってもその体は予想外の代物であるらしいな。まあ、時間はある、ゆっくり調べさせてもらうさ。なにしろ人類が長年追い求めた“不死“を実現する手がかりかもしれないんだからな。あ、銃弾は手術で摘出したよ。傷口に癒着しても厄介だからな。君の体はもはや君だけのものではない」


 彼は相変わらず一方的にそんなことを宣うと、また深々とため息をついた。態度のいちいちが癪に触る男だ。


「一応、君の意思確認もしておこうと思う。それほど幸福な選択肢は与えられないが、まあ好みの地獄を選んでくれ。

 一、人体実験の検体になる。これは想像を絶する苦痛が伴うだろう。君のあらゆる人権は無視され、体を切り刻まれて、無数の試験薬を投与される。まずまともな死に方はできない。

 二、うちの軍部に所属する兵士となる。まあこれもまともな死に方では逝けないだろう。君の場合は特に、その回復力を持って歩兵の盾になるような登用の仕方をされると思う。とはいえこちらは兵士としての権利だけはどうなり保障される。私はこの道を進める。

 三、今すぐ舌でも噛んで死ぬ。これが一番楽な道だろうな。少なくとも真っ当に人間として死ねる。しかしその場合…」


 男はまた僕に見えるように、何かの紙片をチラチラと目の前にかざした。…マコトとクイチさんが写った写真だった。


「その場合、君の代わりに彼らが酷い目に遭うことになる。君が我々に協力するならば恩赦を与えてもいい、という上のお達しでね、一か二を選んでくれるならば彼らは無傷で解放してもいい」


 あまりの絶望と怒りでかっと血が上った。しかし目眩がする以上のことはなく、いかに腹が立とうともこの男を殴ることは物理的にも立場的にも不可能である、と、残った理性が叫んでいた。

 口を噛み締めると、唇の端が切れて血の味が滲む。…しかし、その血もすぐに止まり、口の端の痛みはいっぺんに治ってしまう。治る直前に“星“が喚く声が微かに聞こえた気がしたが、何をいっているか聞き取るには至らなかった。

 こうなると現状ーーこの男の言うことを受け入れざるを得ない。


「さあ、どうする?」


 愉悦に歪んだ口元から不快な声が紡がれる。選択の余地などあろうはずもなかった。


「わかった。あんたらに協力する。…できれば二の方で」

「ぬるい返事だ。…まあ、良いだろう。教育を施す機会はこれからいくらでもあるしな」


 男は写真を枕の傍に置くと、今まで手にはめていた革の手袋を外して、僕の手のある方にスッと右手を差し出すのだった。


「私はチェン。一応軍の外交官なんてものをやらせてもらっている。君との交渉役、兼世話役に任じられたものだ」


 そうして僕がその手を握ろうとしないのを見越して、先にガシッと手を取る。


「まあ、よろしく。きっと長い付き合いになる、良い関係を築いて行こうじゃないか」


 その言葉が皮肉だと感じられるくらいには、この短時間で彼のことがよくわかっていた。僕の不満げな表情を見て、彼はさもおかしそうに笑った。

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