第9話
それから数日が経ったが、マコトとは何も言葉を交わせていない。気丈に振る舞ってはいたものの、彼女もどこにでもいるか弱い少女だったということであろう、見るからにしょげた様子で快活さもなりを潜め、暗い顔で過ごす姿に僕も胸を痛めていた。
チャットアプリでキジマに遠回しに相談してみたものの、キジマの方もなんやかやでごたついているらしく、いかにも気のない文面で「とりあえずちゃんと話をしてみるのがいいんじゃねえか?」と言われるのみであった。
そりゃあその通りなのだろうが、“ちゃんと話をする“なんてことが堅実に実行できる人間であるならばそもそも今回のような件には至らなかったであろう。自分の不甲斐なさ、人としての足りなさを思い知って、ほぞを噛むのだった。
今日は定期的に設けられている課外の日で、僕たち疎開組は村の薪取りの手伝いをすることになっていた。
今時薪なんて何に使うんだ、とここに放り込まれた当初は訝しがったもんだが、家庭によってはいまだに火力で湯を沸かすアナログな釜戸風呂が使われているところもあるし、電力が制限されるようになった現状において焚き火というのは存外侮れない暖および灯取りの手段なのである。
「フユキぃ、もっと腰入れてやらんと手斧に振り回されてっぞ」
野山で枝を拾う作業から、それを使いやすいように細かくバラす作業に移行して、僕は慣れない刃物を振るって枝を割っていく。
枝拾いを含め、こうした作業では全身、特に普段使っていないような筋肉を満遍なく使うし、体力もつく。兵士を量産しなければならない現状に合致した訓練方法なのだろう。ついでに疎開組を養っている農家に恩を売ることもできる。なるほど、合理的だ。
よしなしごとを考えて苦痛を紛らわせながら淡々と斧を振るう僕の傍で、マコトもぼんやりと細い枝を手折る作業に勤しんでいる。まだ悩みが脳を支配しているらしいのが伺えた。
なんとかしてやりたかったが、しかして僕なんかにできることがあるものだろうか。
「うーし、日も上り切ったようだし、いったん休憩にすべか。昼飯食うだろ?」
僕とマコトの監視役としてついてきたクイチさんーートクさんの甥ーーが大仰に腰を伸ばしながら、そこらに捨て置かれていた荷物の方を親指で指す。同じく伸びをしながらため息を吐いた僕に、久方ぶりにちょっと笑った様子のマコトはそれでも押し黙ったまま頷くのであった。
「今日は餅米で作った大福だぞ。この前お前らにこさえるのを手伝ってもらったやつだぁ。ありがたく食え」
クイチさんは早速水筒からガブガブ水を飲みながら、こちらに大福を包んだ紙包みを投げてよこす。それを危うく取り落としそうになりながら受け取って、僕はなんとか声を張った。
「マコト、甘いもん好きだったよな? 食べようぜ」
「…うん。ありがと」
なんだか随分久しぶりにマコトの声を聞いたような気がする。こちらを慮るように笑う作り笑顔にはいまだ覇気がなかったが、マコトが僕の声に応えてくれたことが嬉しかった。
…なんだろう、この気持ちは。特にマコトには、なるべく絆されないように気をつけていた。こういうやつだから、一度仲良くなってしまえばそのまま終生の友人同士、みたいな仲になりかねなかったし、そうなってしまうと僕か彼女のどちらかがもう一方の死に様を看取ることになるかもしれない。それが恐ろしかった。
だけれど、こうして並んで大福なんか食んでいると、やはり僕も誰かと共にいたい、一人でいるのは寂しい、と思ってしまうものなのだと実感する。「美味しいね」なんて小声で言ってくるマコトのことが、今までになく愛しく感じるのであった。
「…? なんだか村の方が騒がしいべな」
クイチさんが伸び上がりながら麓を眺めては言う声に、「そうですか?」なんて適当に相槌を打つ。
…このまま、こうして生きていけるだけでも十分ではないか。自分のことを思ってくれる人たちと並走しながら、自分の命を穏やかに燃やして。
そうだ、これが幸せというものなのかもしれない。
「…っ。お前ら、走れ!」
急に慌て出したクイチさんの視線の方を見やると、村の家々から転々と煙が立ち上っているのが目に入った。しかし見慣れた光景である、昼間っから焚き火でもしているのであろう。
咄嗟にそんな呑気なことを考えた僕の鼓膜を、甲高い音が揺らした。
…銃声だ。思想教育の授業中に繰り返しみた動画の中での音声と、同じ。
真っ青になって僕たちに逃げるよう促すクイチさんに倣ってヨタヨタと立ち上がる。
何か恐ろしいことが起きようとしていることだけはどうなりわかったが、頭がうまく回らなかった。混乱した思考の端で、とにかくマコトのことだけは守らなければ、と言う意思が灯台の灯のように僕の行く先を指し示す。
「マコト、行こう」
僕と同じく急なことで思考がおぼつかないらしいマコトを、なんとか手を引いて立たせると、僕たちはしゃにむに駆け出した。しかし、どこに逃げようと言うのだろう。村という補給路を断たれてしまえば、結局どこまで逃げようと僕たちの死は確定している。
遠くから耳鳴りのように響いていた銃声が徐々に近づいてくる。ものすごい速度でその時が迫りつつあった。
「危ない!」
クイチさんの声で気づいた時には、少し後ろを走っていたマコトががくりとその場に膝をつくところであった。足を撃たれたのだ。
すぐそこの茂みから、武装した何者かが這い出してきて銃口を僕たちに向ける。クイチさんは間に合わない。
咄嗟にマコトを庇うように身を乗り出していた。
発射された銃弾が、吸い込まれるように僕の心臓部を貫く。景色が暗転する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます