第8話
目の前に、真っ赤な空が広がっている。その空からは転々とビルが逆さまに生えていて、その上それらのビル群は小さく振動しながら雲のように空を流れていた。眼下には焦土と化したボロボロの街並みが、地平線までずっと広がっている。僕が今いる場所はどこかのビルの屋上らしかった。
明らかに異常な光景だったが、どこか既視感を感じて、しかしその正体もわからない。
ただただわけもわからず涙が目から溢れていた。
悲しい。…悲しい。
赤い空に垂れ下がっていたビルが、次々に地面に向けて落下してくる。粉々に砕けて弾け飛ぶコンクリートとガラスの破片。僕はその只中に、ひたすら立ち尽くして…。
「フユキくん…フユキくん!」
その声でやっと目が覚めた。
僕は今日も疎開先で突っ込まれた訓練学校の教室の一角に突っ伏していて、連日キジマとのやり取りで夜更かししていた疲れもあってそのまま眠ってしまっていたらしい。隣の机から僕の体を控えめにゆすっていたマコトが、ふっと息を吐きながらさらに囁く。
「今日自習だけど、あんまり堂々とサボってると後でお説教くらうよ? ただでさえ私たち疎開組は肩身が狭いんだから」
「あ、ああ…」
先ほどまで見ていた光景が夢であったことに芯から安堵しながら、教材として配布された動画がこれも教材として渡されているタブレットの上で滑らかに動くのを目に留める。
ここでの授業はもっぱら体づくりであり、今日の午前中のような座学も定期的にあるものの、そこでは概ね思想教育というか同盟国以外の国は全て敵で、警戒すべき相手なのだと頭に叩き込む戦時教育が中心となっている。今見せられている動画でも、敵国がいかに残虐な手段で同盟国、ひいては日本の人々を脅かしているか、というドキュメンタリーが、チープな演出とやけに耳につく音楽と共に淡々と流されていた。
今時小学生でもこんなものに騙されはしないだろうと思っているが、何しろ何もかもが特殊な状況に移行している。食料も自由時間も制限されて、それが全て敵国のせいなのだと教え込まれれば、僕やキジマですらいつしか敵国兵に向けて戸惑いなく銃の引き金を引くようになるのかもしれない。…正直、そう思うと恐ろしかった。
それは隣で同じ動画を見せられているマコトも同様らしく、この思想教育の授業中、彼女はずっと眉間に深い皺を寄せている。彼女なりになんとか現状に抗おうとしているのだ。その姿は僕に、多少なり現実に立ち向かう勇気をくれていた。
「おーし、お前ら、昼飯にするぞ。その後午後の訓練に移行するからな、ちゃんと食っとけよー」
ガラガラと扉を明けて教室に顔を出した教官がいつものように気だるげに言い渡し、生徒たちはもっぱら唯一の娯楽となった食事の時間の訪れに歓声を上げる。マコトもさっさとタブレットの電源を切ると立ち上がり、僕の肩をポンポンと叩くのだった。
「よかった、ちょうどお腹減ってきたとこだったんだー。さ、フユキくんも行こ、今日もちゃんと食べてよね」
「わかってる…」
僕とてこんなどうしようもない動画を延々観せられる作業よりは、食欲が湧かずとも何か食べていた方がずっといい。マコトに倣ってタブレットと付属のイヤホンを教官に返却し、購買に向かう。
この学校には僕らの他にも何組か、都市部からの疎開組がいるが、彼らも含めた生徒全員の昼食は国が管理する食料の配給から成り立っている。疎開組も含めてどの生徒も家に帰ればそれなりの食事にありつける状態で、ここの給食はぶっちゃけ人気がない。育ち盛りの子どもたちに食わせるものとしてはそもそも量が足りないし、メニューも乾パンやビスケットなどの、賞味期限が切れかけた非常糧食がメインなのである。特に現在大きな戦力になっているわけでもない子どもに食わせるものとしてはそれくらいが妥当だ、という国の判断なのだろう。
今日も僕と真は、配給のバナナ一本とクラッカー数切れを受け取り、そそくさと購買を出た。
「今日こそ一緒に食べようよ。いつも一人で食べてると味気なくてさー」
「…マコトだったら、ここでもすぐ友達くらいできるだろ。なんで僕にばっかり構う…」
「それは…」
中庭で今日もささやかに昼食を終えようと歩き出す僕にてくてくとついてくるマコトは、僕の疑問に滅多に見ない難しい顔になった。
「最初はキジマくんに言われたから仕方なくだったな、正直。フユキくん、東京で中学に通ってた時もいつもキジマくんと一緒か、一人でいてさ。この人には友人や知り合いは必要ないんだろうなって思ってた。一人でも生きていける人なんだろうって」
「…」
「でも、ここでしばらくフユキくんを見てて思ったんだよね。この人も寂しいだけなんだろうなって。人と一緒にいると、分かり合えないことが余計に寂しいからあえて一人でいるんだなって」
「…僕は…」
たまにやけに鋭いことをいうやつだ。咄嗟に図星を突かれて反論できず口をもごもご言わせる僕に、マコトはちょっと笑って見せた。
「私もそうだから、わかるんだ。言葉や態度だけで全てを分かち合うのは難しい。でもさ、だからってわかろうとすることをやめちゃったら、そこまでじゃない? 私はフユキくんのこと、もっと知りたい」
「…勝手にしろよ」
僕の言葉を拡大解釈して、今日は一緒に食事をとってもいい、という意味だと理解したらしい、マコトはパッと笑顔になると、食料を手にした手と逆の空いた左手で僕の右手をとる。
「やった。行こ行こ、いい場所は人気があるから早めに抑えないと」
「あ、ああ」
「よそもんが随分勝手しよるな」
聞こえよがしな不躾な声が響く。
マコトと共に振り返ってみると、この村の元々の住人である男子生徒数人が嘲るような、蔑むような視線をこちらに向けていた。
「俺らの先祖さんが代々守ってきた土地にいきなりきよって、その上青春ドラマかいな。ええご身分やな」
「何、君たち」
「何、はこっちのセリフやきに。お前らがきてから学校も変わってしもて、毎日毎日兵隊さんの真似事じゃ。お前らのせいじゃ…」
「そうじゃ、父ちゃんも母ちゃんもゆうとる。この戦争はお前ら都会もんが始めたんじゃろ」
「不満があるのは私たちだって一緒だよ…でも」
「うるっせえ! ここの言葉でしゃべれや、都会もんが!」
マコトが不用意に突いたせいで、逆上したらしかった。男子生徒の一人が足元から小石を拾い上げてこちらに放る。勢いづいた他の生徒も彼に倣い、足元から小枝や石を拾い上げて次々とこちらに投げてよこす。
「でていけ! でていけ都会もんが!」
「いたっ…」
石の一つがマコトの額にあたり、微かに皮膚が裂けて血が滲む。嬉しそうに歓声を上げる田舎の生徒たち。
目の前が真っ赤に染まるのを感じた。
気がつくと猛然と彼らに向かって突進していた。初めはその僕に対して集中的に石と小枝の砲火を続けていた生徒たちも、僕の剣幕に次第にたじろぎ、散り散りに逃げていく。
「待て…! 何も…何も知らないくせに…!」
「もういいよフユキくん!」
なおも彼らに追い縋ろうとする僕を、マコトが引き止める。振り向くと彼女はボロボロと涙と流していて、僕は流石にギョッとした。
「みんな怖いだけなんだよ…不安なだけ…。だから…」
「ああ…うん」
『フユキ、大丈夫!?』
「大丈夫、大丈夫」
僕にもいくつか小石が命中していたらしく、額に触れると微かに指に血が付着する。心配する地球の声に、マコトの言葉に応えるようなフリを取り繕って応じると、地球がホッと息を吐き出した気配が伝わってきた。
『本当に人間って、なんでこんな時にこんな…』
「フユキくん…怖いよ。私も怖い…」
マコトの体がカタカタと小刻みに震えていた。
「どうなっちゃうの、私たち。このまま戦場に送られて死んだり殺したりするの?」
今まで彼女の中で押し殺していた不安がどっと噴出したのだろう。どうすればいいのかわからず、僕はぎこちなく彼女の肩を抱いた。
「わからない、けど、マコトは…大丈夫…」
食事を摂ることも忘れて、僕たちは小一時間身を寄せ合っていた。
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