第2章

第6話

 西の大国の軍事侵攻開始から半年ほどで、ここ日本も含め、世界中が戦火に飲まれていった。

 西の大国と、その敵対国である東の大国のどちらに味方するか、つまり、どちらの勢力に属するかという意思決定が各国の首脳部で大まかになされ、次々と国家間の同盟が締結されていったのである。日本はかねてより同盟関係にあった西の大国に与することになったが、島国であるとはいえ位置関係的には東の大国に近いこと、またその上での戦術的価値から、明日にも国土が戦場になるかもしれない、という緊張状態に突入した。


 戦争状態に突入した上で特に狙われるのは、重要施設や重要人物の集中する都市部である。そこで、第二次世界大戦時と同様、この国の未来を担うべき学徒を田舎に避難、移住させる。すなわち「学童疎開」が粛々と実施された。東京に住んでいた僕らもその政策の対象となり、僕とキジマは家族とも別れ、それぞれ別の地方都市に送られてしまった。

 学校側としてもできる限り自校の生徒はまとめて置いておきたい、という思惑はあったようだが、まあ生活費やら移住空間の確保やら学校の定員やらで、二、三人ずつバラバラに疎開させるしか手がなかったらしい。


 また、緊急で成人以上の男女の兵役が突貫政策として実施され、僕らの両親やキジマの年の離れた兄なんかは、兵士として徴用されることになった。当然、そうなればもういつ戦場に送り込まれて死ぬかわからない。キジマと僕とて、送り出された地方都市が戦場になり、命を落とさない保証はない。これが今生の別だとしてもおかしくないのだった。



『また一人でいるのかい、フユキ。何かあってからの対応が遅れるから、なるべく集団で行動するよう言われたんでしょ?』


 ここ、本州南端の地方都市に移ってきてから一年半が経ち、僕は今日も学校帰りにお気に入りの場所となった街外れの木立の中に訪れていた。最近のルーティンで、持ち出したカッターナイフの刃を指先に当てると、わずかな量の血がこぼれ出すとともに「星」の声が頭に響く。


「友人とも家族とも別れてよく知りもしない田舎に送り込まれて、その上行動まで制限されるんじゃたまんないよ」

『そうは言っても君のためを思ってのことだし…。まあ、フユキの気持ちもわからなくはないけど』


 あれから僕たちは、数日と置かずこうして言葉を交わし合うようになった。キジマという大親友と離れ離れになった僕は、新たな土地でもうまく周囲に馴染めず孤独な思いをしていたし、孤独というなら銀河にポツリと浮かぶ天体である地球のそれは想像を絶するほどの寂しさを伴うであろう。

 そんなわけで、僕たちは「寂しんぼ」同士、互いを尊重し合い、身を寄せ合う関係となったのだった。


「あれ、今日ももう血が止まりそう…」

『最近傷の治りが早いね。まさか…いや、まさかね…』


 思わせぶりな地球の言葉に、疑問を呈しようとしたその時であった。ざざっと落ち葉を踏み分ける音がして、次いで僕の名前を何者かが大声で呼ぶ。


「フユキくーーーん!」

「…」


 思わず舌打ちした僕の視界に転がり込んできたのは、疎開前に同じ中学に通っていた、つまり僕と同中出身で、同じ疎開先に送られてきた女生徒、マコトであった。


「見つけた! まぁたここにいた」

「一人にしてくれっていつも言ってるだろ…」

「そういうわけにもいかないよ、みんな心配するし。フユキくんも馬鹿じゃないんだから、もう少しこう、協調性を持つ努力をさぁ」


 もう一度盛大に舌打ちした僕を上目遣いで見て、マコトは何にも構いもせずに僕の右手を取るのだった。


「さあ、そろそろお昼だし、家に帰ろ! 収穫の手伝いしたお駄賃に、今日のご飯はちょっと豪華にしてくれるんだって」

「食欲がない」

「食べられる時に食べとかなくてどうするのさ。いいから行くよ、ほらっ」

『青春だねえ』


 傷が治りきる前の一瞬の隙をついてとんでもない発言をぶっ込んでくる地球を恨めしく思いつつ、僕は今日も仕方なくマコトに手を引かれるのであった。


 マコトは、元の学校でいわゆるカースト上位に属していたような、とても明るく健気で、快活な少女だ。僕と違って大量の友達と取り巻きにいつも囲まれていて、キジマとも度々言葉を交わしていた。そのキジマに「フユキはこういうやつだから、疎開先でも気にかけてやってくれ」みたいなことをわざわざ仰せつかったらしい。

 その義理を果たすために、ここに移ってきてから僕の周りに絶えずまとわりついて、あれこれ世話を焼いてくる。


 キジマのことを思うといまだに辛い気持ちになるし、かといって彼の思いをそのまま汲んでやるのも癪だった。僕にとって、新たな人間関係をとめどなく築き、それらをコストをかけて維持していく、というあり方はかなりの倦厭感を伴うものであったし、そもそもこれからの世界で、大切な人を作ったり身近な誰かにもたれかかったりなどしていても、いつ別れがくるともしれないのである。

 そうした諸々の思いが、ただでさえあらゆることに消極的だった僕の行動力をがっつり削いでしまっていたのだった。


「あれぇ? 今日もフユキくんはマコトちゃんと一緒かい」


 街…というか人口と規模的にほぼ村の、僕たちの疎開先である比較的裕福な農家に帰り着くと、そこの家の女将であるトクさんがシワだらけの顔を歪めて笑いかけてくる。


「相変わらず仲良しだあねぇ」

「私にはフユキくんを守る使命がありますから!」


 これらの頭の痛くなるようなやり取りを日常的に浴び続けるようになった僕の気持ちも察してほしい。また気づかれないように舌打ちをした僕の仏頂面を見てなおニコニコと笑うトクさんは、冬支度として稲を束ねていた手を止めて腰を伸ばし、伸びをすると、僕らを手招く。


「じゃあ、作業もいいとこだしお昼ご飯にしようねぇ。今日は収穫したての米で餅を作るから、二人とも手伝っておくれな」

「わあー、楽しみ! お腹ペッコペコです」

「…ご馳走になります」


 他人行儀に頭を下げた僕にもはやツッコミも入れず屋内に引き上げていく二人について、渋々土間を潜った。茅葺の平屋の、老朽化した木材の匂いが今日もつんと鼻をつくのであった。

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