第4話

 翌日、僕は学校を休んだ。

 頭の中がごちゃついて仕方がなかったのだ。そもそも怪我をするたびにあんな声が聞こえるということが前提として異常なのだった。ずっとそうだったから日常として慣らされてしまっていただけで、僕はすでに十分すぎるほどおかしい。


 しかし、過去僕の訴えを一言で無碍にした両親に再び相談する気にはならなかった。ひとまず「腹が痛い」と仮病を使って両親と学校側を誤魔化しつつ、ひたすらベッドの上で布団をかぶってぐるぐると現状を振り返った。バックライトが点灯した携帯のモニターに、つらつらと「真昼の黄昏」現象に対する特設考察サイトでの議論が流れていく。

 今ではこうした特設サイトや掲示板のスレッドまとめがいくつも展開されるほどこの件は世間の注目を浴びている。半年ほど現象そのものが鳴りを潜めているために一時期ほどの活発さはなかったが、それでも日夜この手の掲示板に書き込みが寄せられている。


 文章を幾度も推敲し、悩みに悩んで、僕も一つの投稿を送信するのだった。


ーー黄昏事件のたびによくわからない声が聞こえる、という友人がいるんだけど、どなたか似たような経験をお持ちの方、解決法をご存知の方はいませんか?


ーー個性アピール乙。精神病院行け。


ーー私も同じ声が聞こえます。これはメシアの思し召しであり、世界が成り代わろうとしている導きの声なのです。このメールアドレスに連絡ください。一緒に世界を救いましょう。


ーー上の書き込みじゃないけど、精神科にかかった方がいいですよ。専門家に相談するのが一番です。



 言いたかないが、どいつもこいつも…という気分になる。もとよりネットなんかにまともな回答を期待してはいなかったが、ここまで梨の礫だと怒りを通り越して呆れてくる。

 とはいえ、おかげでだいぶ気持ちは落ち着いてきた。少なくとも文章として現状をまとめたことで、ある程度自分の置かれている現状を客観視できたのだと思う。そう、こういう時に求めるべきは不特定多数からの支援ではなく、ごく親しい、信頼できるただ一人の言葉であろう。


 ようやく気持ちが決まって、僕はそのまま携帯で学校に連絡し、腹痛が治ったので午後から登校する旨を伝えて布団から這い出た。絆創膏を剥がしてみると、昨日負った手の擦り傷の上には薄い瘡蓋が張っており、ひとまず次に怪我をするまではあの声も聞こえないだろうと安堵した。

 そうして朝食兼昼食のパンをなんとか飲み下して、カバンを手に家を出たのである。



「フユキ! どうしたんだ、腹痛って聞いたけど」


 昼休み中らしい学校に着き、教室の扉を潜ると、すぐにキジマが僕に気づいて駆け寄ってくる。「いろいろあってさ…」と歯切れも悪くいう僕に、何かを察したらしいキジマは、そうか、と短く返してボリボリ頭を掻いた。


「そういや、お前このところ変だったもんな。大丈夫か? 俺じゃ助けになれないか?」


 友人の優しさに、涙が溢れそうになった。流石に腹痛で遅刻してきた生徒がいきなり泣き出したとあっては一日二日の噂では済まないとグッと耐えたが、心の中でこの友人がいてくれることに深く深く感謝したのである。


「その件で、ちょっと相談があるんだけど」

「おお、ここでできる話か?」

「いや、できれば放課後、茶店にでも入って話したい」


 自分でもわかるほど神妙な顔をしていたと思う。キジマまで真面目な顔になって頷き、その後昼からの授業をなんとかこなして、僕たちは学校のほど近くにある喫茶店に入店していた。

 店は、昼下がりとあってまばらに席が埋まっており、中には遅い昼食をかき込んでいる客もいて、ほどほどに混雑していた。寄り道は校則違反であるから、あまりにも人が多すぎてもよくないが、客が少なくても僕たちが悪目立ちしてしまう。これくらいの混み具合がちょうどいいと思われた。


 それでも勤めて目立たないようにスマートな仕草で席に着くと、僕とキジマはそれぞれセルフサービスのアイスコーヒーを啜る。


「で。なんだ、相談って?」

「いや、あんまり大きな声で言えることじゃないんだけどさ」

「いいぜ、フユキのいいように話してくれ」


 キジマのこうした態度のいちいちがありがたい。それでも緊張から妙な汗をかき、僕はクルクルとグラスに刺さった紙ストローを弄んだ。


「声が聞こえるんだ」

「声…?」

「そう、誰のものかもわからない声。気がついた時にはそうだったから、多分生まれつきなんだと思う」

「それはあれか、この前話した天啓がどうのってやつか?」


 探るようにこちらをみるキジマの視線が、グサグサと肌の表面に突き立った。


「多分、そうなんじゃないかと思ってる。で、昨日ついにその声と会話しちゃってさ」

「…意思の疎通が取れんのか。やべえな」


 そこで互いに言葉が途切れ、しばらく考える顔をしたキジマは、カリカリとこめかみを掻いて頭を振った。


「その声、今も聞こえんのか」

「いや、僕が怪我をした時と、真昼の黄昏現象が起きてる時だけ聞こえるんだ」

「なるほどな…。しかしそうなると、下手な回り道をするよりも本人に聞いてみるのが一番早い気がすんな」

「本人…って声の主?」

「そう。どうせ大人に言ってもこんな話信じねえ。周りの奴らですら馬鹿にするだけでまともなアドバイスもくれねえだろう。かといって専門家を頼るにしても、俺たちにそんな伝手はねえ」

「うん。…っていうか、キジマはなんで信じてくれるの?」


 こんな突拍子もない話を。そういった僕を、今度はおかしそうに見て、キジマは笑うようにふと息を吐き出した。


「短い付き合いだけど、お前がこの手のタチの悪い冗談を言うようなやつかどうかはわかってるから。言い方からしてもだいぶ一人で悩んだんだろ。…大変だったな」


 今度こそ僕は耐えきれなくなってしまって、ぼたぼたと涙をこぼした。キジマは居心地悪そうに笑いながら、それでもおしぼりを差し出してくる。

 それで目をぬぐい、僕は決意するのだった。


「そうだな、本人に…声の主に聞いてみる」

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