第1話

 振り返ると気忙しい小学生時代を経て、僕は中学生になった。この間もちょっとした怪我を負うたびにあの、恨みがましい誰かの声が頭に響く状態で、僕は次第になるべくやんちゃをしないよう、傷を作らないように用心して過ごすようになっていた。

 あれから世界は、今にも第三次世界大戦が勃発するのではないか、という緊張にずっとさらされている。中東諸国の内紛が激化し、その火種が周囲のあちこちの国々に波のように広がっていき、僕の国、日本も再軍備の案がいよいよ本格的に国会で議論されている。

 今はまだ、この国の一般市民の生活は変わり映えしない平和で退屈なもののままであったが、それもいつまで続くか。考える頭のある人間は口々に「このままでは日本、ひいては世界が危ない」と囁きあっていたし、僕たち子どもの間でも、徐々にこれから訪れる暗黒の時代に対する不安が波及しつつあった。


 とはいえ、僕の頭の中はもっぱら、最近頻発するようになった「真昼の黄昏現象」の件が占めていた。


 あれから、一ヶ月に数回、時には数日と置かず、世界各国の真っ昼間の空が赤く染まる現象が見られるようになっていた。一回で済めば陰謀論やら天文学的確率で起こる現象やらで片付けられていたものを、こうも頻発すると流石にマスメディア側も誤魔化しが効かなくなってきて、日夜この現象について討論する番組を流していたりする。

 そうして「いかにもありそうな平和な結論」でなんとか世間をなだめようとしていたが、ネットでもこの事件は頻繁にインフルエンサーたちの話題に上り、彼らは事態を面白がっているので、より刺激的で危うい仮説が次々と打ち上がっている。


 例えば衛星軌道を逸れた衛星たちが度々大気圏に落下してくるようになり、それが巨大な火となって世界を照らしているのだ、とか、太陽の内圧が増していてフレアが膨張し、爆発を起こしているのだ、とか。

 どれも絶妙にありそうではあるものの、今ひとつ説得力に欠ける仮説である。中には「兵器の実験過程で生まれた新たな兵器運用がすでに始まっており、それが世界の空に影響を与えている」なんていう突拍子もない理論をぶち立てるものもいて、ネットは連日その話題で持ちきりである。


 まあ、僕に至っては真昼の黄昏現象が起きるたびに、怪我もしていないのに例の声が頭の中に響いてくる状況が続き、しかもこちらは怪我云々と違って僕がどれだけ気をつけようとどうしようもない。

 昼過ぎの授業中、昼食後の眠気でうとうとしているところを黄昏現象と例の声に揺り起こされる、ということもたまにあり、僕の生活は地味に逼迫され始めていた。




 といっても、他の点ではごく緩やかで平穏な日々を送っていた。怪我をして傷を作らないよう気をつけるようになった結果、僕は大半の自由時間を本を読んだりネットで情報系の動画を見漁ったりして過ごすようになっており、それらは僕に、知的な刺激に対する喜びを教えてくれた。

 野山を走り回っていた幼稚園時代とは違い、静かに部屋の中で読んだ本について考察したり、哲学的なことを考えてはその内容をネットで細々と発信するのがライフスタイルとなっていったのである。


 まあそんなわけで、小学校低学年までの僕とは、明らかに異なる文化圏に属するようになり、付き合う人間のタチも変わっていった。


「よっ、フユキ。今日も早いな。まだホームルーム十分前だぜ」

「決して早くはないと思う…」


 その頃特に仲良くしていた、同じクラスのキジマである。下の名前はみんな呼ばないからもう覚えていないし、当時も大して気に留めていなかったと思う。

 キジマはどちらかというといわゆるヤンキー寄りのグループに属していて、僕とは違って交友関係も広く、派手で刺激的な毎日を送っている。テストの日に遅刻してきて教師に再試験を直訴しては放課後お説教を喰らったり、人気のある女子生徒、それも先輩に告白して見事振られ、翌日にはその噂で学校が持ちきりになっていたり。

 まあ一昔前の不良なんかはもっとやばいことを平気でしていたようだが、僕たち世代になるとキジマくらいの生徒でも十分に「ワル」だ。

 しかしこの年頃の学生はちょっとワルいくらいがモテる。キジマの周りにもいつも同じようにちょいワルの生徒たちがたむろっていて、彼は男女関係なく人気がある。


 そんなキジマが僕に興味を持った理由はよくわからない。まあ、おそらくいつも席に着いて静かに本を読んでいる隠キャが、彼のような陽キャの「面白いものセンサー」に引っかかるのだろうと思う。


「なあ、例のネトゲ、攻略に詰まってんだよ。あの“霧の塔“のステージさ」

「ああ、あそこはみんな苦戦してるらしいな…。っていうかキジマ、僕と違ってゲームなんか興味ないだろ。やってて面白いか?」

「面白いぜ。最近のゲームはよくできてんな、まるで実際に自分がその世界に入り込んだかのような没入感」


 年寄りのよくできたセリフみたいな言葉に僕は思わず笑ってしまう。そんな僕を見てキジマはキジマでニヤッと笑うと、わざとらしく目の前で手を合わせて僕にゲームのアドバイスをせびるのであった。

 こうした日常も悪くない、と今では思う。ただ、やはり僕の意識にかかるのは、あの…。


 生徒がザワザワし始める。目の前のキジマも、窓の外の何かに気を取られているらしく、僕の話も右から左でそちらに釘付けになっている。


「…?」


 つられるように見上げた屋外の空、この何年か、当たり前に見られるようになった光景がそこにあった。まだ九時を少し回った刻限だというのに、青空が赤く染め上げられていく。


「おい、フユキ、見ろよ…なんだ、あれ?」


 キジマの言葉で僕もそれに気づいた。空の一部に黒い穴が空き、赤く染まる上空の中でその空間だけがぽっかりと暗い。


「空に穴が…」


 驚嘆するキジマの声に被って、またあの声がした。


『ああ、もう我慢できない。私の怒りを見せてやる…』

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