地球と僕の一千年

山田 唄

第1章

プロローグ

 その異変に気づいたのは、僕が幼稚園も年中組に差し掛かったあたりだった。つまりは物心ついた頃にはすでに、であったことが言える。

 体に傷を作るたびに、何者かの声が頭の中に流れ込んでくるようになったのである。


 初めは自分に見えていない死角で、誰かが独り言でもぶち上げているんだと思っていた。幼い頃から多動の気があった僕は、当時外で走り回るのが大好きな子どもで、しょっちゅう転んだり何かにぶつかったりして擦り傷や切り傷を作っていた。その都度何かがシクシクと泣いているような、絶望と悲哀に彩られた囁きがどこからか聞こえる。


『ひどい…なんてひどい生き物なんだ』

『悲しい、悲しい…』


 いつも何かを惜しみ、悲しんでいるその声を聞いていると、僕まで物悲しい気持ちになった。声がするたびに「慰めてあげなきゃ」と思って慌てて周囲を見回すのだが、建物の影や幼稚園の庭の遊具内を覗いてみても泣いている者の姿などなく、あっけらかんと遊びに興じている同じ幼稚園の子どもやなんかが、不思議そうにこちらを見返してくるのみである。


 一度両親に相談してみたこともあるのだが、いかにも決めつけた調子で「あんたの気のせいじゃない?」と言われてしまい、それ以降誰かにこの話をしたことはない。

 そうこうしているうちに僕は小学生になり、それなりに忙しい日常にまみれてこの不思議な声のことを深く考えることは減っていった。



 そんなある日、“ソレ“は起こった。

 昼時の空が真っ赤に染まったのである。


 その頃すでに深刻な事態をもたらすようになっていた温暖化やらの環境異変、突如数カ国で始まった内紛や、エネルギー資源の枯渇問題。それらを受けて地球終末論を唱える論者がネットのインフルエンサーの中にも何人かいて、彼らはその「真昼の黄昏事件」を餌に、それはもう大層、かつ様々な論調で、この世界は終わりに近づいているのだ、と口々にネット上に流布した。

 口さがない人々がその論調を後押しし、拡散したおかげで、世に終末論ブームが巻き起こった。


 まあ、黄昏事件が起きたのはそもそもその当時真っ昼間だった世界全体の約半数を占める国だけで、残りは夜、ないし本当の黄昏、暁の最中であったわけだ。そうした残り半数の国々の人々はそれほど危機感を覚えていなかったようで、ネットでも彼らと黄昏事件を経験した国の者たちとで言っていることがまるで違っていた。

 当時からネット上を中心に、人民の思想を分断するような流れができていたのだが、この事件が決定的なものとなって世界は大きく二つに割れてしまった。「世界はまもなく終わる」という世論と、「何者かが世間を混乱に陥れようとしている」という世論と、である。


 その頃確か小学三年生の夏休みを謳歌していた僕も、真昼の黄昏事件を目撃した一人であった。

 青かったはずの空が、みるみる黒ずんでいき、次第に真っ赤に染め上げられる。その光景は実際何かものすごく恐ろしいもののように思われた。その裏に何かの意思を感じたのも確かである。


 しかしネット上の噂なんて、数日もてばいい方だ。その話題がセンセーショナルを巻き起こし、ネットニュースや配信者の話題をさらっていたのはせいぜい一、二週間といったところで、しばらく経つとみんなそんなことがあったことなど綺麗に忘れて、元通りの日常に戻っていった。

 そう、僕を除いて。


 黄昏事件を目撃したその時、何者かの強い怒りの声を確かに聞いたのである。


『許さない…絶対に許さないから…』


 あまりにもひどい害意にガンガンと痛み始める頭の端で、なぜだか僕は、その声の主がその事件を起こした張本人であると直感していた。

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