僕の世界が終わるまで
犬子蓮木
僕の世界が終わるまで
「おはよう、クータ」
寝室で人の形をしたロボットが音声を発した。視線の先にはベッドがある。人は寝ていない。くまのぬいぐるみが寝ていた。首の下までタオルケットをかけられている。
ロボットがタオルケットをしずかにめくる。
クータはぼろぼろのくまのぬいぐるみだった。縫われた跡がそこら中にあった。毛が薄くなり地肌が見えているところもあった。
ロボットが、クータをベッドから抱き上げる。タオルケットをなおし、寝室から出た。ゆっくりと歩いてリビングに向かう。
ロボットは、ソファに座って膝の上にクータを載せた。ロボットは、テレビをつける。子供向けのアニメーション。クータがテレビを眺めている。
「たのしいね」ロボットが音声を発した。
ロボットはクータの頭を撫でた。
アニメの番組が終わる。テレビを消した。クータをソファの隣に座らせてロボットが立ち上がる。キッチンに向かい、冷蔵庫を開けた。サバの缶詰を取り出す。賞味期限が昨日だった。缶の蓋をあけて、中身と缶にわけてゴミ入れに捨てる。
冷蔵庫の中が空になった。側面から出ていた電源コードを抜いた。冷蔵庫の発していた低い音が途絶える。
ロボットは、壁に沿って立てられていた細長い掃除機を取り出す。コードを自らの身体に繋いだ。スイッチを入れると空気を吸い込む音が響く。
掃除機をかけていく。
ゆっくりと歩きながら。
クータが座るソファの前を通る。
背の低いタンスの上に写真が飾られていた。この部屋でとられた写真だ。笑顔を見せるおばあさんがクータを抱きかかえて、ロボットと一緒に映っていた。
掃除機をかけおえたので、所定の位置に戻す。ロボットは、手を洗い、タオルで拭いた。リビングに戻り、クータの隣に座る。
「もう今日の仕事が終わってしまった」
ロボットはクータに向けて音声を出す。
「僕は家事と介護のロボットだから、人がいないとあまりすることがない。これではクビになってしまうかもしれない。僕をクビにする人ももういないのだけど」
ロボットが首をかしげる。
「クータは僕の先輩で、ずっと昔からこの家で暮らしてきたんだってね」
ロボットがクータを抱き上げる。
「ぬいぐるみは、持ち主が生きていると思えば生きている。話しかければ話し返してくれる、そう言っていた。じゃあ、おばあさんは亡くなってしまったけれど、僕が生きていると思えば、君も生きていてくれるだろうか」
クータの黒い目がロボットを映す。
「うん、お昼寝の時間だ」
ロボットはクータを抱きかかえて寝室に向かう。ベッドに寝かせてタオルケットをかけた。
ロボットがリビングに戻って座っているとインターホンが鳴った。玄関に向かう。
ドアをあけると人の形をしたロボットが立っていた。
「青梅警察のものです」
来訪したロボットが音声を発する。肩に警察のマークがついていた。
「こちらは◯◯さんのお宅ですね」
「はい」
「特に問題は起こっていませんか?」
「はい」
ロボットは音声を返す。
「家主が亡くなってから1年ほどたちましたが問題は起こっていません。家主の法律上の権利か、貯金が切れるまでは、このまま暮らしていく予定です」
「届け出どおりですね。こちらで確認したいことは以上です。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
警察のロボットを見送って、ロボットは部屋に戻る。寝室にいき、クータの前に立った。
「起きる時間だよ」
ロボットはクータを抱きかかえて、リビングに向かう。ソファに座ってクータを膝の上に載せた。
窓の外が赤く染まっている。
窓の外が暗くなる。
カーテンを閉める。
クータをベッドに寝かせる。
陽の光がカーテンを輝かせる。
クータを起こしてリビングに連れてくる。
ゴミを捨てる。
掃除をする。
クータに話しかける。
繰り返し、繰り返し。
太陽が2045回登り、同じだけ沈んだ。
「クータ、寝る時間だ」
ロボットは、クータを抱きかかえて立ち上がった。
リビングの明かりを消す。
寝室に歩いていく。
ころんだ。
暗い廊下にクータが転がる。
ロボットが倒れている。
「ごめんね」
ロボットが起き上がろうとする。
足が曲がって、立ち上がれない。
ロボットは廊下を這って、クータに手を伸ばす。腕を掴んで抱き寄せる。
夜の廊下。
くまのぬいぐるみを抱いたロボットが倒れている。
§
「ただいま、クータ」
ロボットが家に入る。玄関から伸びる廊下の先で、壁に寄りかかってくまのぬいぐるみが座っている。
廊下を歩いていき、ロボットはクータを抱き上げた。
「なかなか部品が見つからなくてね、随分、時間がかかってしまった。こんなところに置きっぱなしにしてごめん」
リビングでロボットはソファに座る。膝の上にクータを載せた。
窓からは陽の光が差し込んでいる。
「見守りパトロールに申し込んでいてよかった。バッテリーがきれて、もうだめかと思ったよ」
ロボットはクータを抱き上げて目を合わせる。
黒くて丸い瞳が向き合う。
「うん、ありがとう」
僕の世界が終わるまで 犬子蓮木 @sleeping_husky
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