羽化

幽彁

命の音がうるさい季節にて、価値観の牢獄より。



近隣の中学校と比べてだっさい制服、かわいい子が着れば逆に斬新でおしゃれなデザインのような気がしてくるものだから不思議だ。

アスファルトの通学路には熱気と、虫の死骸と、女子中学生の校則に守られて防御力の高い白い細い脚。

夏の極彩色の中でひどく浮く真っ白な顔は、こちらを振りかえってふっと微笑む。色白美人、というには白すぎて気味が悪い。触れたら赤く腫れてしまいそうな気さえする。

ふと、きれいな庭の民家の塀にへばりついた幼虫の体から頭だけ成虫のセミが出ている変なセミが目についた。


「どうしたの?」


「いや・・・セミが」


指さしてから、セミ苦手じゃないかな、と焦り始めたが彼女は意外にもセミに鼻先が付くほど顔を近づけて、「なにこれ?」とお茶目に笑って見せた。見たことのない笑い方だった。


「失敗しちゃったんだ、馬鹿だなぁ」


笑いながらどこか泣きそうなのはどうしてなのだろうか。





彼女は今日も学校に来なかった。彼女の机の中には教科書が残ったままで、誰かが先生に注意されて机の中に雑に仕舞ったぐしゃぐしゃ皺だらけのプリントがはみ出して。

初めて気が合う子を見つけたって思った。私と近いなって、少し話してすぐにわかって、彼女もそう感じたみたいで、なんとなく一緒に居ることが増えて。

近くになって見えたのは、素敵な微笑みがよく見るとずっとこわばってたこと、学校を出れば少年みたいに無邪気に、ほんとに素敵に笑うこと、同じクラスのあいつとその周辺の人たちをずっと怖がっていること。

私もなんとなくわかってた、彼女と仲良くするほどに、あいつがこっちを睨むこと。

だからプリントも綺麗にたたんで仕舞ってあげられなかった。

やだな、どうにかしたいのにどうやったって身動きが取れない。




「ねぇ、きみって最近江田さんと仲良くしてくれてるよね。」


帰り道、一週間前くらいに見た失敗したセミがまだそこに居るのに目を奪われていると、後ろから声がかかった。どこかで見た覚えのある、多分同じ学年の女の子。


「は、はい」


「私、一年の時江田さんと同じクラスだった、須賀っていうんだけど・・・あの、江田さんとあんまり仲良くしない方がいいよ」


「・・・え」


「かわいそうだとは思うんだけどさ、江田さんっていじめられてるじゃん?私いじめアンケートにそのこと書いたんだけど、先生対応してくんないし、横田達にばれて私もいじめられてたんだよ。江田さんの靴隠すの手伝ったら許してもらえたんだけどさ。だから、気を付けて」


あいつが江田さんをいじめているのは確からしい。ずっと目をそらしていたもやもやがやっと像を結んだ。あまり見たいものではなかった。





学校から配られて、適当に部屋に投げてたいじめ相談ダイヤルの書いたカードをベッドの下に見つけて、電話をかけようとして、電話が掛けられないことに気づいた。自分の部屋も無いし、両親のいない時間なんてない。どっちか必ず家にいる。うちの親はきっと友達が虐められてるなんて言ったら、巻き込まれたら困るから関わらないで、と言うだろう。

でも、どうしよう・・・やっぱり無謀なんだろうか、いじめをどうにかするなんて。

両親の言う通り「子供は通る道」で「そのうち解決する」のだろうか。「そのうち解決する」として、それを見逃していいんだろうか。今彼女は苦しんでるのに。





どうしても渡さなくちゃいけない書類があるから、と先生に彼女の家の場所のメモと封筒を渡された。個人情報をこんなに簡単に渡していいのだろうか、渡した生徒がいじめっ子で、家を知っていじめに行くとか考えないんだろうか。

下校途中、いつも彼女私と別れてが曲がる道を曲がって、おしゃれな一軒家に「江田」の表札を見つけて、深呼吸して、うろうろして、思い切ってインターホンを押した。


『はーい?』


やさしそうな女性の声に少し安堵して、うろうろ迷っている間ずっと考えていた文句を唱えると、ドアが開いて、声から想像した通りの明るそうで優しそうな猫柄のエプロン姿の女性が出てきた。よく似て色白だけれど、彼女のようなはかなさは感じない。


「わざわざありがとうね、河野さん。雪がよくあなたのこと話してたの。よかったら雪に顔を見せてあげてくれない?きっと雪も元気が出るだろうから」


封筒を受け取った後、彼女のお母さんに導かれて階段を上がり、鍵のついた部屋をノックした。扉には「ゆきのへや」と可愛らしい手作りの看板が下がっている。

扉が開く。


部屋から出てきた彼女のゆったりしたパジャマの袖の隙間からのぞいた手首には、赤い線が横に二本、三本。息をのんだ。思ったよりずっと状況が悪い。

相談されてもいないのに勝手に見てしまったのが申し訳なくて、見なかったふりして「おはよう」と声をかけると、すこし萎れた笑顔で微笑んだ。





最近、須賀さんとよく一緒に帰る。須賀さんは口では関わらない方がいいというけれど、助けられなかったのがずっと引っかかってるみたいだった。最初はひどいと思ったけれど根はいい人なんだろう。誰だって自分の身が可愛い。

須賀さんはよく話をした。いじめの内容、彼女の好きなもの、横田さんの性格とか、そんな話。

須賀さんによると彼女は本当に漫画みたいな壮絶ないじめを受けているみたいだった。なぜばれないのかというと、一年から引き続き担任の和田先生と横田さんが親戚同士で、いじめを隠しているかららしい。


彼女の両親は本当に明るい人で、明るいからこそ彼女の気持ちが理解できないらしい。いじめられたならやり返せばいいじゃない、とか、話せばわかってくれる、本当はいい子なんだから、とか。まだ彼女に行動を起こすエネルギーがあると思い込んでいて、自分で解決させようとするからあてにならない。

先生は論外。

じゃあ、頼れるのは自分だけじゃない?

後はもっと上で、広い、警察とか、世間に直接届けば・・・


・・・あ、いいこと思いついた。






わざと横田さんを呼び出して、「横田さんってショートカット微妙に似合わないよね」と言った。横田さんは短気だから、すぐにキレた。

当然次の日から物を隠されたり壊されたりし始める、ちゃんと大事なものを持って行って壊させて、こっそり学校にスマホを持って行って、シャッター音を鳴らさないやり方を調べて朝から待ち伏せしていじめ現場の写真を撮った。掃除ロッカーに隠れる作戦は音でばれそうだし、他の教室に潜んで、横田さんが来たら廊下からこっそり撮るのは普通にばれそうなので、向かいにある旧校舎の教室のカーテンを閉め切って、その隙間から窓越しに写真を撮った。

たくさん煽るようなこと言って、殴らせた。苦しかったけれど、全て手のひらの上だと思うと惨めな気持ちも少しましになった。

痛い、苦しい、けど誰にも言えない。彼女はこんな気持ちだったんだな。

今すぐやめたいけど、リアリティを出すには一年くらいいじめられるのが好ましい。でもそこまで持つ気がしないから、三学期の真ん中くらいで決行しよう。


江田さんがもっと追いつめられる前に。


ちゃんとした封筒をと、ちゃんとした便せんに、ちゃんとした文章をわざと筆跡をぶらして必死そうに書いて、涙で滲ませた。


肌寒い日だった。屋上には鍵がかかって登れなかったから、早朝の四階の教室のベランダの、やる気のない低い柵に手をかけた。





どくどくずきずきする頭に遠くサイレンの音が聞こえる。

やった、これからどうなるかは分からないけど、ひとまず意識ははっきりしてるし、計画はいい感じだ。


考えたことがあったんだ、ニュースでとある学校で生徒が自殺したことがきっかけでいじめ対策が強化されたり、いじめっこがちゃんと加害者、犯罪者として認められるようになったのを見て、「自殺は逃げじゃなくて、命を賭した攻撃で訴えなんじゃないか」って。

考えたことがあったんだ、ふと死にたくなるほど一人ぽっちで辛かった時期に窓の外を見て、「ここから飛び降りたら死ぬかな、いやでも、校庭の木に引っかかったらぎりぎり生き残っちゃうかな」って。


「自殺未遂」を意図的に起こしてしまえたら、それって最低限のリスクで最高の火力で攻撃できるってことなんじゃないかなって。


どうせ私が死んだって、化けて出ないか心配されるくらいで誰も大して悲しみはしないんだ。友達は十四年も生きてきた割に全然いないし、クラスメイトで友達だと思ってた人は大体「河野さんって優しいよね」って言って都合のいい時に、自分が一人になりたくないときに呼びつける誰かの代替品にしかしてくれなかったし。クソどうでもいい。勝手に「同級生が死んじゃった、悲しい、怖い」ってピーピー喚いていればいい。そんでいじめを見て見ぬ振りした責任につぶされてしまえ。私はお前らに何の恩義も借りもねぇんだ、心のケアまでしてやるもんか。親だってきっと愛してくれてはいるけどまだ妹がいるから立ち直れる。誰もそこまで悲しまないから、リスクが少ない。なら私がやるべきだ、弱者のふりをして虎視眈々と牙を研いで、捨て身で噛みついてやるなんて、最高にかっこいいじゃないか。偽善でも自己満足でも愚かな選択でもなんでもいい、彼女が救えれば。




誰かの洟をすする音で目を覚ますと、真っ白な天井と、真っ白な顔が見えた。


「河野さん!!」


前見たときよりさらに悪くなった顔色に、何も言わずに申し訳ないなぁと思いながら笑い返して、最高にクールな私の計画のあらましを話すと、ひとしきり謝られて心配されて怒られて、泣かれた後しばらく経って、ぐしゃぐしゃの顔で穏やかに話し出した。


「でも、変わったね、河野さん。私びっくりしちゃった。

・・・ああ、そっか。河野さんは成功したんだね、私と違って」


「何に?」


「羽化。ほら、綺麗に伸びた翅が見えるよ。・・・覚えてるかな、前に見た羽化に失敗したセミ。あのセミみたいに、私は羽を伸ばそうとして、うまく幼体から出られずにもたもたしてるうちに、そのまま皮膚が固まって動けなくなっちゃった。けど河野さんは思い切りよく殻を破って綺麗に伸びた翅を伸ばして、私のとこまで飛んできてくれた・・・あ、でもセミに例えるとちょっとアレだね、嫌かな」


「うん。大分絵面がやばいね、気持ち悪いことになってる」


「じゃあアゲハ蝶にしようか。私が好きだからアオスジアゲハで」


「もしかして虫好きですか」


「うん!」


「やっぱちょっと仲良くなれそうにないかも」


「噓でしょ」


顔色は悪いけれど、とびきり素敵に江田さんは笑った。

きっと彼女の心の傷が癒えるのには時間がかかると思うし、私は怒られるだろう。

学校側がちゃんと対応してくれるかだって正直分からない、でも、江田さんは確実に味方でいてくれる人がいることが分かったと思うし、私にも友達ができた。

もう怖いものなんてない、


「ところで河野さんの下の名前ってなんだっけ」


「噓でしょ」


やっぱり前途多難かもしれない。






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