SSまとめ

そのだ

第1話

 『眩光』


 僕はソレが嫌いだった。人々は向日葵と形容したが、僕は全くもって理解出来なかった。むしろ花の蜜を本能的に貪る虫に似ていると思った。ソレが周囲に与えるものは被捕食者に対する見せかけの罪悪感に等しかった。見せかけであるというのは、根底にある優越という自己中心的劣意を人情という善人の代物で塗り固めただけだからという理由ゆえであった。だからソレが周囲に与えるもう一つの害が許せなかった。ソレが無差別に害を振り撒く様は辟易として直視不能だった。三日月よりも正弦の小さな隙間から密かに視線を傾けることしか出来なかった。そんな微かな憎悪でもソレは感知し僕にまで害を渡してくることを恐れたからであった。僕はソレにこれ以上の関心を向けてはならなかった。冒頭の「嫌い」が眩んでしまうほどに無関心とは程遠く位置していることを自覚するには、僕は怨恨と羨望を増大させすぎた。






 『溺死』


 「欲しい」という渇望のままに手を伸ばし、虚無を掴み、己を増幅させ、底無し沼への恐怖を忘れる。魅力されてしまったが最期、堰を切った本能に抑制など効かぬ。不条理すら解さない少女も、世の権力を忌む青年も、憎悪を殺す母親も、解脱を信じぬ老翁も、透き通った真実に目を奪われて溶けていった。彼らは幸せに違いない。柔らかな気泡に微笑するまでの僅かな刹那、全ての柵から解放されていたからである。否、正確にはまやかしの柵からの逃避を自ずから許したのである。怒号、嘲り、誹謗、狂気、雑踏、金属音、蝉時雨、漣、──そして叫声。全ての柵を、己の素朴であって心痛な一声を、聞かないべくして透明を欲しがった。そして微笑し不意に発生した泡が、彼らの息の根を止めた。そうして底無し沼が帰着とされるのだ。







 『社会不適合者』


 深夜は素晴らしい。蛍光灯とネオンに彩られた商店街や、残業や夜勤などでぽつりぽつりと灯りを残す高層ビルが林立する中心部も、昼とは違う怪しげな色香を纏っていて勿論良いのだが、少し外れたところにある人気のない郊外は格別だ。藍を揺らす小川や太陽を失った雑草、薄汚れた電信柱とそこに貼られた色褪せたポスター。何よりもこれら全てを闇の唯一点に潜む気怠げな下弦がそっと見下ろしていることが情緒的である。太陽光とは違う、生命力を宿さない鋭い光を受けた彼らは温度を失い、宙のどこかを見据えて呆けている。その様子をじっくりと観察出来る深夜というものは、やはり我々にとって素晴らしいのである。どれだけ泣いて叫んで喚いて藻搔いて身を投げても、皆明日には忘れたふりをして太陽に笑顔を向けているだろうから。僕は咥えていた煙草を放って丁寧に踏み潰した。もうこれは不要だ。口角が自然に上がった。その所以も、今夜が全て包んでくれる。






 『故人』


 蝉が鳴いていた。容易に想像できるような、鼓膜を酷く震わすような騒々しい合唱ではなかった。途切れ途切れのジィ、ジィという弱々しい生命音だった。可哀想という感情よりも、それ以上の虚無が募った。脳裏を掠めた泣き顔の彼奴と、目の前の仰向けの蝉の姿が重なって見えた。傷む後悔を拭うごとく、僕はその蝉をそっと掬って切り株の上に置いた。






 『図書館』


 カーテンが風に靡いてふわりと舞い上がる刹那、腰掛ける彼女が窓の隙間から望まれる。その半径1メートルほどはまるで違う空間の様で、捲る紙の擦れる音や時折彼女の伸びをする仕草が美しいアニメーションの一画に見える。美しいあまりに、指で軽く弾いたのみで容易く瓦解してしまいそうだった。彼女は何も知らぬままで良い。否、知らぬままを保たなければならない。世に蔓延る数多の闇を、理不尽を、不条理を。それらに足を浸し、儚い白を見上げる僕らが、彼女を見つめながら紫煙を蒸している様を。どうか何も知らぬまま、お伽話に想いを馳せ続けて。






 『羨望』


 嫌いという言葉で形容するには少し短絡が過ぎる。しかしながら執着というには好意の欠如が甚だしい。では如何なのかと問われるならば彼奴の艶かしい白首をこの手で思い切り絞め、必死に生を吸い込もうとする唇に深いキスをし、ざまあみろと嘲ってやりたい様な感覚なのである。恋愛感情は無い。憎いわけでも、恨めしいわけでもない。ただ唯一慮られることは彼奴はとても魅力的で、対して自分は彼奴の首を絞められる様な綺麗さとは程遠く、むしろずんぐりとした薄汚れた蟠りを消費しきれず爪を噛んでいる状態である。素直に言おう、私は彼奴になりたくて堪らない。






 『無関係』


 鈍色の鎖が鉄棒にぶら下がり、ギィコ、ギィコと歪音を奏でる。視線は斜め下にそっと伏せる。見えるは自分の足と、端に少しだけ君の足。僕からは声をかけない。あくまでブランコをつまらなさそうに漕ぐ家出少年を装う。すると君はぽつりと言葉を零す。「もうお家に帰らなきゃだね。」名前も知らない君に、僕は同調の相槌だけを返す。堪らなくなってチラリと目だけを横に向けると、君の片目から流れ出たそれは斜陽を反射し綺麗だったのに、すぐに地面に溶け込んだ。明日はどれだけの痣を身体につけて此処に現れるのだろう。想像すると僕の片目からも一筋、涙が伝って消えていった。






 『声なき叫び』


 とりとめのない不安に少量の将来への期待をピリッと効かせたドレッシングを振り撒いたサラダはまだ胃に穴を開ければ食べることの出来る食感をしていたが砂漠のようなパサついた涙腺で研がれた白米は流石の嘔気がしてオアシス代わりの赤血球風味のカクテルをちびりちびりと嗜みながら未だキッチンの中で雑踏の騒々しさに勝る調理法で作られ途中の偽善をふんだんに練り込んだハンバーグを待っていたら不意に人差し指を掠めたカトラリーに施されていたシェフのとっておきの仕掛けと言っても過言ではない陰口仕立ての毒が全細胞を一瞬のうちに蝕みチップを払えることもなく息絶えてしまった。彼の注文した料理の名は学校のいじめと言ったそうだ。






 『微睡み』


 微睡みの最中天秤に掛けられるは浮上と沈降を往来する意識のぬるま湯のような心地良さと、その意識というものが理性の中で明日を嘆く虚無である。酩酊時は尚更である。体温を保持した掛布団と敷布団の狭間に位置するわけでもなく、赤子のように母親の手の内で家族愛を享受しているわけでもないのに微睡みは柔らかな優しい感情を増幅させてくれる。根拠も無しに己を大衆的な人民と違わぬ人間であると認め本能の求めるままの睡眠へと導こうとする。但し虚無は絶大である。かの一握りの理性が等身大を叫び誇張するせいで微睡みの優越は台無しである。深夜の繁華街に訪れるような、嘲笑で表される侘しさに他ならなくなる。幸福と自己嫌悪に揺れることを微睡みと呼ぶならば、それらに終止符を打つのは片手に酒瓶を持ったまま机に突っ伏することであり、起床というのは絶望以外の何者でもない。起床は非常に忌まわしい。奴さえなければ、微睡みは二度と降りかかることはない。






 『成功例』


 場転の美しい演劇は、やはり面白い作品が多い様に感じる。暗転時に微塵の音も立てず早く正確な装置切替が客の集中を途切れさせないことが理由として挙げられる。見せ場転を含む劇が高評価されるのも同じ所以であろう。だが客は知らないのだ。その零コンマの暗転時に何ヶ月の努力を費やし、非難の要素が多い指導にも盲目的に従い、スポットライトを浴びることをしない彼ら裏方が存在しているということを。客席に魅せられる劇は明転中が十割ではないことを。だから容易に責めることが出来るのだ。個人の人生を全て理解していると錯覚を起こす人間は、大抵氷山の一角を見ているに過ぎない。






 『星屑』


 塵積もれとてただの塵、一歩出せとも千里は千里。集大成を見据えれば、その質が問われる。些細な輝きでは無意味だ。大衆に掻き消され、埋もれゆくのみの末路。だから皆、酒に堕落する二十の前に己の至る部分に磨きをかけ一等星を目指すのだ。しかし理想とは程遠い現実を直面し淘汰された彼らは、一等星への僅かな嫉妬と羨望を抱えたまま壮丁と化し、等身大の名を持ち相応の余生を送る。と、たばこを蒸す僕は、深夜故にセンチメンタルな哲学的思考に耽ってしまうわけだ。人差し指と中指の内では汚らしい白棒が左右に首を揺らしている。先端からは灰色の天の川が形成され、お前は俺と同じ毒ガスなのだと嫌に嘲る。ああ、その通りだと思う。相応の人生は呑まれ、自身は名もなき星屑と化したのだから。






 『水葬』


 「死んだらね、フツーのお葬式はしなくていいから、あなただけに水葬してほしいの。」彼女が僕にそうお願いした時の表情は普段と違わず笑っていたが、拒否を許すまいとして固く握られたその細い両手からは冗談でないことの暗示に取れた。どうして、と問うも、君は答えなかった。「やればわかるわ。」遠くを見つめて、ぽつりと零すのみであった。彼女がどのような意図を含んでその言葉に及んだのか当時の僕には理解が出来なかったが、今となっては全てが手に取るようにわかる。彼女の真意も、言い淀む理由も。彼女を抱きかかえたまま素足を細波と浸す。ぴちゃり。腕の中で眠る彼女の温度は、足先を撫でる冷えた感覚と同様だった。己の体温もすぐに同化するのだと思うと妙な高揚感が背筋を舐めた。赤く擦れた彼女の首元に優しく唇を当ててから、僕らは海へと沈んでいった。






 『水銀』


 側から見れば「ソコ」は眩しさで眼孔を細めてしまうほどの魅力を放っていた。自分もその内に在ればきっと輝けるだろう。羨望で塗り固められた「ソコ」が纏う色香は一見甘美で、されど実のところ鋭利だった。まるで液体を掴む如く、夢物語を追わざるを得ない日々。息苦しさで目を開くが、重圧に耐えかねて目蓋が自然に閉じてしまう。繰り返す単純行動。たった76センチメートルの圧力で、私は溺れた。ぶくぶく、「ソコ」から堕ちる感覚は不思議と安心だった。これで解放されるのだと微笑さえ湛えた。かつての初々しい輝きが脳裏を揺蕩い、そこで私の時は終わった。






 『世迷言』


 「君に向ける感情は自棄酒に昏迷し宛てもない虚構を必死に造形しようとすることに似ていて、君がくれる感情は朝日が瞼を擽って脳裏をふわりと撫で上げる感覚と等しい。然れどそれは時に木板を打ち付ける釘となり、時に破り捨てたいのにすることの出来ないアルバムと化し、時に砂漠の中で指の隙間を伝い落ちる滴に変貌し、じわりじわりと僕を蝕む。厚く壁を隔てて君から逃れようとて無理難題、ボンド製の仕切りなどでは僕と君とその他数多を掻き混ぜ苦しめ、思い通りに動けやしない。進むべき道は愚か辿った経路すら曖昧に包まれ記憶にないのだから、瞬時毎が新鮮で残酷なのだ。」

 と、胸の内全てを君に曝して縁を切ってくれたらどれだけ楽か。でもそれは──僕の苦悶が悟られる日は、きっと来ない。君を想って眠れぬ夜に綴ったこの回りくどい告白は、送信を取り消され夜闇と共に消えゆくのだった。






 『ミント』


 ミントの香りが苦手だった。ほんの少しでも吸い込み体内への侵入を許したが最後、己の醜悪さを瞬く間に除去し真っ新な心に磨き上げられる感覚に、本能的に恐れが湧いた。反射的な咽せ返りと滲む視界は、情けない以外では形容し難いものだった。しかし情けない、というのはミントを苦手とする自己の弱さそのものよりかは幾分か違う的に矛先が向いているかと思われた。机上の淡い色をした飴を数え直した。ひとつ、ふたつ、……。六個から全く減りを見せぬというのに、数を唱えては君に耽るのみの自分が情けないのであった。君から貰ったミントの飴だった。口にすれば最期、君は薄汚れた自分を知って失望し二度と姿を現さないだろうことなど容易に想像がついた。ミントの香りを纏う穢れのない君は、ミントさえ慄く自分に劣情を抱かれたことなどはどうか気付かぬままでいてほしい。






 『不言色』

 あなたの恋は何色ですか、と問われたならば迷わず選ぶ色がある。青春劇の如く䙧みのない繊細な色でも、成熟した大人が互いに転がし合う様な情熱的で鮮烈な色でもない。何気なく日常に溶け入る凡庸さを盾に、己の核に潜むおどろおどろしい恋慕を隠す、そんな色だ。この劣情ははたして何を求め何処に終着するか、その答えの知らないふりが上手くなるばかりの、果敢ない可哀な色だ。一挙一動に左右され、嫉妬に絡めとられた自分は酷く醜い。悋気を増長し素顔が黒く塗られていく度に、それを解らせまいと見せる仮面の明度は高まっていく。脆弱な精度を保つ間は側に居られる、その安堵と苦悶に悩まされるも、必死に固めた仮面を自ら破る事は至難である。いっそ外野に終止符を撃たれたならば多少の諦念は抱くであろうというのに、二律に圧壊された自分を余所に状況は悠長に移ろう。嗚呼、肥大した言えぬ情慕を抱えたまま彼女の傍に存在し続けることを許諾するこの残酷な世界は、限りなく優しい。






 『春毎』


 春が鼻先をくすぐった。新緑と名残雪の入り混じった、爽やかで寂しげな香りだ。夜桜をベランダ越しに眺めながらプシュリ、プルタヴを開けた。

 この節目を幾年とも変わらぬ気持ちで迎えるのは慣れたものである。最初は人生の一部を共有しているだけで心臓が飛び跳ねていたというのに、いつしか貪欲さが芽生え、嫉妬の苦悶に蝕まれる日々が常と化していた。人生の共有では飽き足らず、支配欲に駆られたのだ。一言に愛と綺麗に片付けられるものではない。劣情と呼ぶに相応しいだろう。

 手元の缶を揺すればゆらり、中のアルコールが波打つ。胸中の感情も彼女の一挙一動でこのように上下していたあの頃の純朴さは何処へやら。今では少しでも長く共に過ごせるようにと、己の慕情に封をするだけの臆病さだけが先行する。このおどろおどろしい劣情も、いつかは愛に変わるのかな、なんて。泡沫の想起も胸に浮かんでは消えゆく。

「このままではダメだなぁ、俺。」

 呆れながら肩をすくめ、ゴクリ、感情の箍を外してみる。苦味と辛味、然れど仄かに混じる甘味。来春は溶けゆく雪の切なさではなく新緑の喜びへ共感を生ずるには、彼女の側にいるだけの優しいままではいられない。

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