第6話

「お姉さんだ……」

「歩いてたら、公園からシャボン玉が見えたから、もしかしてって思ったけど、やっぱりあなただったのね」


お姉さんがわたしの方にゆっくりと近づいてくる。わたしは思わず立ち上がってしまい、お姉さんのことを静かに見つめた。


「お、お久しぶりです……。わたしのこと覚えてくれてたんですか……?」

「忘れるわけないでしょ?」

お姉さんが笑った。


「えっと……。あの、わたし、大学受かりました!」

大学ではお姉さんみたいにクールな女性になろうと頑張っているけれど、やっぱりお姉さんの前に立つと、心の底からはしゃいでしまい、クールは装えなくなってしまう。


「よかったわね、おめでとう」

お姉さんが淡々と祝ってくれるから、わたしは頬を膨らませた。

「本当におめでとうって、思ってます?」

「思ってるわよ」

お姉さんは苦笑いをしながら、わたしの頭をソッと撫でてくれた。


「よく頑張ったわね」

「お姉さんの方こそ、本当に女優になるなんて凄いじゃないですか!」

「あなたのおかげで、また頑張れたからね。あれから、本格的な社会人向けの演劇サークルに入り直して、また演技を磨いたのよ。おかげで仕事終わりにシャボン玉を吹く時間、なくなっちゃったけれどね」

あの日から公園で会えなくなったのは、お姉さんが毎日演技を磨いていたからなのかと納得した。


「ね、わたしも久しぶりに吹きたくなっちゃったから、借りても良いかしら?」

答える前に、わたしの手元にあった吹き棒を取ってしまった。もちろん、拒むわけなんてないから、別に持って行かれて構わないのだけれど。


お姉さんの口元に、わたしがついさっきまで吹いていた吹き棒が触れる。口をすぼめて、丁寧に吐かれた呼吸と一緒に、シャボン玉がゆっくりと空に浮き上がる。長い呼吸と共に出来上がったシャボン玉は一つ一つが大きかった。わたしの作ったものよりも、より陽の光を反射させて、綺麗だった。


「凄いなぁ」とわたしはぼんやりと見上げる。2、3分ほどシャボン玉を吹き続けたお姉さんはわたしにシャボン玉を返した。

「やっぱり久しぶりに吹いたら、気持ち良いわね」

お姉さんがグッと伸びをした。


「でも、ちょっとまだ口寂しいわね」

「わたしもちょっと吸いたいですし、喫煙スペース探しますか?」

公園でタバコを吸うのは良くなさそうだし。


「あなたも吸うようになったの?」

わたしは頷く。

「あの日お姉さんにもらった吹き棒に残っていたタバコの風味が忘れられなくて……」

「体に良くないからやめた方がいいわよ」

「お姉さんだって、まだ吸ってるくせに」

まあね、とお姉さんが苦笑いをした。


「でも、せっかく再会したんだし、今くらいはタバコはやめてもいいんじゃない?」

「お姉さんからタバコ吸う流れにしたんじゃないですか」

わたしが呆れると、お姉さんは首を横にふった。


「別に、タバコが吸いたいなんて言ってないわよ? 口寂しいって言っただけ」

「ほとんど同じ意味じゃないですか……」

呆れたわたしを見て、お姉さんは微笑んだ。

「同じ意味じゃないわよ」


お姉さんがわたしに顔を近づけながら答えたかと思うと、次の瞬間、わたしの唇に温かく、柔らかな感触が触れた。ソッと触れたお姉さんの唇の感触と、漂ってくる、濃いめのコロンの香り。唇が触れ合った時間はほんの一瞬だったはずなのに、とても長い時間に感じられた。


「い、い、今のは……?」

「お互いに口寂しかったみたいだから」

クスッと妖艶に笑うお姉さんの口元から目が離せなくなった。さっきまで綺麗な真っ赤な唇がわたしに触れていたなんて、信じられない。


現実感を失ってぼんやりとしているわたしのことは気にせず、お姉さんがくるりと背を向けてしまった。

「さてと、わたしはまた撮影があるから、行くわね」

「え? あ、はい……」


わたしはしっかりとしたことは何も言えなかった。キスだけして去っていくなんてズルい、と心の中では強く思っているのに、それを上手く言葉にはできなかった。去っていくお姉さんの後ろ姿を見つめながら、いなくなった後も暫く誰もいない場所をぼんやりと見つめることくらいしか、今のわたしにはできない。


「また恋心上乗せされたんだけど……」

わたしは大きくため息をついた。これでまた、暫く恋人はできなさそうだ。お姉さんのキスの味を知ってしまったのに、他の子のことを愛せるわけがなかった。次に会った時には、ちゃんと連絡先を聞かないとな、なんてことを思いながら、お姉さんの口紅が上乗せされた吹き棒を、また咥えたのだった。

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シャボン玉のお姉さん 西園寺 亜裕太 @ayuta-saionji

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