【ショートストーリー】雪降るカフェの幻想曲
藍埜佑(あいのたすく)
【ショートストーリー】雪降るカフェの幻想曲
その冬の日、降りしきる雪はやがて全てを覆い隠すだろうと、人々は予感していた。私は、ひときわ静かなカフェの片隅で、コーヒーを手にして窓の外を眺めていた。
カフェの奥には、古びたピアノがひっそりと佇んでいた。いつもは誰も触れないそのピアノが、今日に限っては何かを訴えかけるように私の目を引いた。その黒光りする重厚な蓋が、わずかに持ち上がっているようにさえ見えた。
私は思い立ったように席を立ち、ピアノのところへと歩み寄った。指先が冷たい鍵盤に触れると、突然、音楽が室内に満ち始めた。しかし、その音は私が奏でたものではなかった。
ピアノは、自らの意志で、澄み切った旋律を奏でていたのだ。音楽は、雪のせいで閉ざされた世界に、小さな窓を開けるようだった。私は、その音楽に導かれるまま、カフェの中を歩き始めた。壁の時計は動いておらず、コーヒーの湯気も静止している。時間が、ここだけ凍りついたようだった。
ピアノの旋律は続き、私の足は自然と踊り出す。まるで、誰かが私を誘うように。しかし、カフェには他に客の姿はなく、バリスタも姿を消していた。私は一人、音楽とともに踊り続けた。
やがて、音楽は静かに終わりを告げた。私は我に返り、周りを見渡した。カフェは元の静けさを取り戻し、時計の秒針は再び動き出していた。私のコーヒーは冷めてしまっていたが、心はどこか暖かった。
外はまだ雪が降り続けている。私はピアノに向かって小さく頷き、席に戻った。何が起こったのか、誰にも説明できない。ただ、私は知っている。このカフェには、時折、不思議が訪れるのだと。
その日以来、私は時々、そのカフェを訪れるようになった。
ピアノが再びあの旋律を奏で始めるのを、ただ静かに待ちながら。
(了)
【ショートストーリー】雪降るカフェの幻想曲 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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