神の名において許したもうⅩ
わたしは、Y牧師によって閉じられていた記憶を、少女に開けられてしまった。包丁を持っているので、逆らうことはできなかったのだ。
――かみのなにおいてゆるしたもう。
少女のその一言で、わたしの過去の記憶が、洪水のようにわたしの中へとなだれこんでくる。わたしは、恐ろしいくらいに、閉じられていた過去を知っていく。
「――そんな」
わたしは全てを知ってしまった。原罪は中学三年生の時間にあった。だが、その罪深さ故に、それ以前の記憶を丸ごと消す必要があったのだろう。少なくとも、Y牧師はそう判断したようだ。
「思い出した?」
少女はわたしをまっすぐ見て、そう言った。
わたしはその記憶に間違いがないだろうことは理解していた。だから、驚き、嘆き悲しみたい気持を必死に抑えて、先に解決したい疑問を、わたしは少女に問うた。
「どうして、あなたがこのことを知っているの?」
「そうだよね。不思議だよね」
少女は自分の部屋に戻り、ボロボロになった一冊の日記を持ってきてわたしに見せた。
「それはあの人――わたしが殺した人の日記。『あるもの』とは、これのこと。わたし、辞書で一生懸命、日記の漢字を調べたの。そうしたら、寮母先生のことが書かれていたの」
ページをめくると、そこには中学生時代のわたしの写真。そして――ひとりの赤ちゃんがいた。
「わたしはあの人から、ひどいことばかりされてきた。何でだと思う?」
わたしは無意識に、震える手をおさえながら、少女の記憶を消そうとした。
「やめて! わたしの記憶を消さないで! ちゃんと、わたしと、自分のしたことを見てよ!」
少女は怒った。その怒りには正当性があって、間違った行いをしようとしたのは、わたしの方であった。
「ちゃんと見てよ。寮母先生。いや、わたしの――おかあさん」
少女はわたしを見て、涙を流す。そして、泣きながらもう一度、「おかあさん」とつぶやいた。
わたしの原罪は、わたしが想像していたよりも罪深く、そしてかなり悪辣だった。中学校三年の冬。わたしは父の子を身ごもってしまったのだ。――それも父の意思ではなく、わたしが望んでのことなのである。それは、戻ってきたわたしの当時の記憶と、少女が殺した、「わたしの母」の日記から証明されていた。当時、わたしは父に恋をしていた。思春期としては異常な感情であったのだが、わたしの情念は常識を超えてしまっていた。わたしは母のいない合間に、父と情を交わしていたのだ。数え切れぬ回数の悪魔の所業に耐えられなくなった父は、自分で命を絶ってしまった。その後、わたしは自分の妊娠を知ることになる。半狂乱になった母を嗤いながら、わたしは異常な執着心をもって父の子を産もうとした。やがて、わたしのお腹が隠しようもないほど大きくなると、母も現実に耐え切れなくなったのか、家を飛び出してしまった。それは仕方のないことだと、理解はしたが、保護者がいないと、わたしは出産どころか生活もできないことに、愚かながら、その時やっと気がついた。
そんな、少しだけ現実を感じるようになったわたしの前に現れたのが、父の友人であった、当時のY氏なのだ。Y氏はわたしが堕胎するには遅すぎることを知ると、出産をさせてくれた。その結果が、今、目の前にいる少女ということになる。
Y氏はわたしの母を見つけ出し、少女を――わたしの娘を孤児・・として育てることを了承させようとするが、わたしの母は、わたしの娘を自分が育てると言ってきかなかった。Y氏にはどうすることもできず、わたしの娘を預けた。そして、わたしに対しては、それまでの記憶をすべて消してから、わたしの為に、里親を探すことにしたのだった。
(続)
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