神の名において許したもうⅧ
木曜日の午後。おやつの時間に、わたしはあの少女から、珍しく声をかけられた。
「寮母先生は、知りたいことはありませんか?」
「知りたいこと?」
「そう。寮母先生の昔のこととか」
わたしはそっとマグカップをテーブルに置いてから、少女の顔を見た。あいかわらず感情が見えない表情であったが、冗談や気まぐれ・・・・でしている質問でないことは理解できた。
「あなたは、昔のことが気になるの?」
少女は首を振る。
「本当は、昔のことなんて、知らない方がいいかもしれない。頭の中にいるわたしが、そう言っているの」
わたしは、自分の秘密を漏らさないように、言葉を選ぶ必要を感じた。これは直感でしかないが、この少女は、何かを理解している。あの中年女性の言葉を思い出す。――彼女は神の子だと。
「そうなのね。そうねえ、先生はあまり――昔のことを気にしてないかな」
「本当に?」
少女の目は不思議なほどに真剣だった。
「そうね。だって今は、この園やあななたちのことで、頭がいっぱいだもの」
いつの間にか、十歳にもならぬ少女に対等の話をしていた。
「――わかった。寮母先生がそう言うのなら、別にいいよ」
少女は自分の席に戻ろうとする。わたしはつい、少女を呼び止めてしまった。
「どうして、そんなことを聞いたの?」
わたしの問いに、少女は少しだけ微笑んだ。――あの古アパートで最後に見せた、安らぎの笑みである。
「わたしは鍵を持っているの」
「鍵?」
「そう、寮母先生が閉じる鍵を持っているように、わたしは閉じる鍵と開ける鍵を持っているの」
少女はそのまま自分の席へと行ってしまった。
夜になると、わたしはベッドの中で、少女の言葉を繰り返してみた。何度も何度もだ。もし、少女の言う言葉が真実であるのなら、少女はすでに自分のしたことを思い出している。あの古アパートで起こしたことを、知っているということになるのだ。
もしそうであるのなら、少女は何故、あんな平静でいられるのだろうか。わたしにはそれが理解できない。あんな凄惨な過去を思い出しておいて、何も感じないはずはない。仮にそれで清々とした気持ちになれたとしても、人を、母親を殺したことに、幼い少女が冷静でいられるのだろうか。
推論からは結論は出ない。だが、わたしは、もう一度、少女の記憶を消さなければならない。――可能であれば、「開ける鍵」までを封じたい。そう思いながら、わたしは、明日の自分を迎えようと、目を閉じた。
(続)
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