神の名において許したもうⅦ

 水曜日。わたしは手紙を書いている。自分の両親宛ててだ。正確には両親ではなくて、わたしを育ててくれた里親である。わたしには中学生までの記憶がない。わたしの今の覚えている記憶のスタートは、当時はまだ牧師でなかったY氏に連れられて、里親の家を訪ねるところからである。


 里親の両親は穏やかな人たちで、子供に恵まれていなかった。本来であれば、わたしのような高校生を育てるのではなくて、小さな子供を預かるはずであった。

 Y氏は、「支援はするから、この子を大学まで行かせてやって欲しい」と、里親に頼んだ。里親は何がなんだかわからないわたしを見て、「私たちと暮らしたいかい?」と言った。わたしはY氏に言われた通りに、お願いの言葉を述べて、里親に拾ってもらった。だから、里親には、感謝してもしきれない気持ちでいる。ただ、どうしてもスッキリとしないのは、わたしが何者であるのか、わからないということだ。子供たちのように幼い記憶を消されたわけではなく、それなりの時間が経った記憶を丸ごと消されている。当時のわたしは、一年遅れで高校生になっていて、それなりに勉強や運動のできる、生まれたばかりの赤ちゃんであった。おそらく、「いのりの園」にいる子供たちと同様、何か不都合な過去があって、Y氏に記憶を消されたのだとは思う。それが理解できたとしても、十五年の空白は、わたしが戸惑うには十分な時間であった。

 

 わたしは、自分が元気でやっていることや、里親の母のリュウマチの具合はどうかとか、里親の父の家庭菜園は問題なく収穫できているかとか、そんなどこにでもある、ありふれた現状や心配を文字にする。そして、そんな優しい里親の二人に、今まで育ててくれたことを感謝し、神の名のおいて生きることを許されているのを忘れません、と書いて、手紙を閉じた。

 手紙に封をしながら、考えてみる。中学生のわたしには、どんなことがあったのだろうか。あるいは、どんなことをしてしまったのだろうか、と。ふと、あの少女の顔が頭の中に出てきた。――あの子のように、薄暗い部屋の中で誰かを殺したのだろうか。あるいは、誰かに殺されかけたのだろうか。思い出せない過去を何度も想像しても、帰ってくるのは空白。真っ白な記憶の世界だけなのだ。

 もしY牧師に聞いたとしても、絶対に教えてはくれないだろう。わたしだって、仮に子供たちが過去に疑問を覚えて聞かれたとして、答えることはないであろう。――そもそも、彼らは、わたしが「許された者」であることを知らないのだから、そんな機会は永遠に来ないのではあるが。

 わたしはそんな詮無き過去への想像を終わらせて、椅子から立ち上がり、郵便を一括管理している事務室へと向かうことにした。――里親の、健やかなる生活を願いながら。


(続)

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