神の名において許したもうⅢ


 たとえ記憶が消えようとも、神がわたしを完全に許したわけではないことを、月に何度かの涙によって思い知らされる。深夜にわたしは目を覚ますと、目のまわりが涙で濡れていた。何に対してかを理解できない涙が、こうしてわたしに襲いかかってくる。起きる前には暗い夢を見ていた。黒い影がわたしを包んでいて、誰かが叫んでいる夢だ。わたしは息のできない苦しさを感じながら、その声に何か応えようとするが、できない。――わたしのむすめ。そんな言葉を返したような気がする。だけど、わたしは何もできぬままに、ただ、恐ろしい夢から醒める。――わたしには、どんな罪があったのだろう。わたしは何とか思い出そうと、無駄なあがきをしてみるが、結果は、何も思い出せないという、虚しい事実だけだった。

 以前は、子供たちもわたしと同じ思いをしているのか心配になったが、わたしが記憶を消した全員に聞いてみても、わたしのように知らない過去に涙する者は一人もいなかった。全員が過去のない、明るい未来だけを見ていることに、わたしは安堵しながらも、自分のこんな現象に、子供たちもいつか同じようになってしまうのではないかと、心配になる気持ちを捨てることができないでいる。

 涙を拭き、時計を見てからもう一度、目を閉じる。――わたしはいい。どんな罪があったとしても、どんな辛い過去があったとしても、わたしにはするべき使命があるのだ。だから、わたしは自分が何者であったとしても、己の使命を信じて、ひとりでも多くの子供たちを救い上げたい。わたしは、いかなる時も、そう思っているのであった。


 月曜日。午前中に教会の事務長から呼び出される。事務室に行くと、わたしに不信感を隠さない事務長が、S警察署のO警視からわたし宛に連絡があったことを告げた。事務長はY牧師の右腕として、この教会を支える重要な人物で、敬虔な信者でもあるが、わたしの力を快くは思っていない。礼節上は大人の態度を保っているが、正直な性格が故に、表情には嫌悪感が出てしまっている。わたしは彼を責める気など微塵もないので、お礼を言ってから、S警察署に向かった。


 S警察署のO警視は、あの少女のような子供をわたしに託す為に、年に何度か事件や事故が発生すると、こうして連絡をしてくれる。O警視はY牧師と大学の同期らしく、Y牧師からの信頼の厚いわたしにも、好意的に接してくれた。わたしが記憶を消した後の処理にも抜かりがなく、まさに「できる男」という感じの人なのだ。

「やあ、毎度、突然で悪いね」

 待合室にO警視が入ってくると、頭をかきながらわたしにそう言った。それから、おきまりのように対象の写真を見せる。

「この子ね。目の前で家に火をつけられてから、両親を殺されてしまってんだ。現在は誰にも何も話さない状態らしい。身寄りもないみたいなので、どうか助けてやってはくれないかな?」

「ええ。もちろんですとも」

 わたしは五歳前後の少年の写真を見ながら、すぐにそう答えた。


(続)

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