神の名において許したもうⅡ

 山手線の最も新しい駅からバスで小高い丘を上がっていくと、比較的新しい教会がある。かつては古びた建物であったが、大規模開発によって日照権が必要になった隣のビルのデベロッパーにそれを売却することで、建て替えることができたらしい。  

 教会の代表たるY牧師は、その余った資金を利用して孤児院を作った。「いのりの園」という名前の、特殊な孤児院である。


 大学を卒業した去年から、わたしはその「いのりの園」で寮母先生をしている。孤児たちは不幸な事故や事件に巻き込まれたな子供たちで、わたしが現場に向かい、子供たちの記憶を「祈り」によって消してから、この孤児院に連れてきている。

 Y牧師はある日、わたしに、「君には『許された者』と呼ばれる、人の記憶を消せる能力が神から与えられていている。その力を子供たちに使って、凄惨な過去を忘れさせて新しい人生を送らせてあげるのが、君の使命なのだよ」と言った。かつてのわたしも、Y牧師からそうしてもらった一人であるので、Y牧師にそれが使命だと言われれば、わたしは進んでそれを全うしたいと考え、わたしの時代にはなかった、この園に働きに来たのである。

 

 先日にわたしが古アパートから連れ出した少女も、この「いのりの園」で暮らしている。記憶を消したとはいえ、生来の性格までは変えることはできず、誰とも話すこともなく、静かに本を読んでいる。何故かこの教会でボランティアをしてくれている、軽度の知的障害がある中年女性だけには懐いているようで、日曜のミサには必ず中年女性と一緒に礼拝堂に来て、Y牧師の講和に耳を傾けている。少女の年齢でわかるとは思えなかったが、今日も、その中年女性と真剣に聞いていた。本日の講和はマタイによる福音書 第25章14~30節からで、「タラントのたとえ」というものだ。――Y牧師曰く、神が与えたもうタラント才能は、与えられたことに応える為に、自らの力で伸ばしていかなければならないものである、と。Y牧師は、とても優しい笑顔で信者と孤児たちに説いてるが、内容など理解できない大半の孤児たちは、このあとに、いつもより少しだけ豪華な昼食のメニューのことだけを考えているように見えた。その中で、あの少女だけは、「タラントのたとえ」を噛みしめるように聞いていた。

 講和を終え、賛美歌を歌い終わると、Y牧師はわたしの顔をチラリと見てから退出した。――君のタラントは、世に尽く為に神から与えられたものだよ。昔のわたしにそう言ってくれた時と、何も変わらない笑顔を残して、礼拝堂から出ていったのだった。


(続)

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