第10話 喜桃




 鳴き声すら発せないポメラニアン化した黒龍。

 黒龍を黙って傍観し続ける白龍。

 長い時間続いたこの静寂を破ったのは。


「黒龍~!これを!わしが愛情をとびっきり注いだ桃を!これを食せば!即刻癒されて!そなたは黒龍の姿へと!戻れるはずじゃあ~!」


 大きく広げた両腕で大きな大きな桃を抱えた大仙人であった。


「さあさあ早く!あっ」

「あっ」


 白龍を横切って爆走していた大仙人は、根っこに足を引っかけて、しかし踏ん張ったおかげで倒れずに済んだものの、大きな大きな桃が吹っ飛んでしまったのだ。


「あああ~!地面に落ちたらもう!あの桃はお終いじゃあ~!」

「私が取りに行きます」


 四つん這いの状態になった大仙人に言葉をかけた白龍は、元の龍の姿に戻って飛翔。大きな大きな桃を難なく空中で掴んでは、地上へと降り立って人化し、ポメラニアン化した黒龍の前に立った。

 大仙人と白龍の突然の出現に、よほど驚いたのだろうか。

 瞳が落っこちそうなほどに目を見開いているポメラニアン化した黒龍に、白龍は膝を曲げて、大きな大きな桃を近づけた。


「大仙人が手ずから作った桃ならば、あなたもきっと元の姿に戻れる。さあ」


 白龍は大きな大きな桃をポメラニアン化した黒龍の口元に近づけたものの、ポメラニアン化した黒龍は、顔を背けた。白龍はまた近づけた。黒龍はまたそっぽを向いた。また近づけた。そっぽを向いた。

 まるで食べたくないと言わんばかりだった。

 白龍は眉をひそめた。

 黒龍は桃が大好きだったはずだが、もしやポメラニアン化した事で嗜好が変わってしまったのか、もしくは、桃が大きすぎて不信感を抱いているのか。


(いや、私が持っているから、だろう)


 白龍が大きな大きな桃を大仙人に持ってもらおうと振り返った時だった。

 腹に腕を回されたかと思えば、強く抱きしめられて動きを止められた。

 白龍は大きく目を見開いて、そして、やおら目を眇めた。

 大きな大きな桃を持っていなければ、腹に回された腕を強く握りしめていたかもしれない。

 だから、よかった。

 大きな大きな桃があって、よかった。


「ごめ。ごめん、なさいっ。ごめんなさいっ俺。俺、あなたと。俺、義弟に、なりたいっ。あなたの。義弟になりたいんだ!」


 泣きじゃくりながらの告白に、白龍は胸を痛めた。

 嘘ではない、ように聞こえるが、何故だろう。

 黒龍の腹の底からの声には聞こえなかった。

 聞こえは悪いが、言わされているようにしか、聞こえなかったのだ。


(そうだ。私が、言わせているのだ。すまない。すまない)


 言ったところできっと、黒龍は否定する。

 俺が本当にあなたの義弟になりたいと、強く否定をする。

 そして、そうして言われてしまえば、


(私は、罪悪感を抱きながらも、喜んで、受け入れる。離れてほしくないから)


 最悪だ。最悪だ。


「俺っ!あんな桃で!精神的な重圧が解消したと思われたくない!あなたっ!あなただけだ!俺に!精神的な重圧をかけられるのも!精神的な重圧を解消できるのも!あなただけ!俺の心を占めるのは!白龍!あなただけだ!」


(そうだ。私が黒龍の心を蝕む。最悪だ)


「はあ~~~もう~~~。本当に。黒龍は白龍が大大大好きじゃの~~~」


(そうだ。黒龍は本当に私が大大大好き………ん?)


 大仙人の声が聞こえたが、空耳か。

 恐らく、確実に、そうだ、空耳だ。

 黒龍がまさか。


「そうだっ。俺は。俺は!」


 続けられた黒龍の愛の言葉に、白龍は抱えていた大きな大きな桃を抱き潰してしまった。











「最悪だ。あんな。気が動転しながらの告白。最悪だ」

「………」


 大きな大きな桃を台無しにされて絶叫する大仙人に謝り倒した白龍は人化した状態で今、同じく人化した状態で膝を抱えていじける黒龍の背中を見つめていた。


(私は、嬉しかった。と、言いたい。が)


 正直に言えば、まだ同じ気持ちになっていない状態でその言葉を伝えていいものなのか、悩んでいる。

 ずっと、義弟になってほしいと思っていたのだ。

 まさか、伴侶になってほしいと思われていたとはまったくの想定外である。


(しかし、嫌な気持ちが微塵も湧いてこない時点で、答えは出ているのだが。さて)


「………白龍。あの。俺、」


 いつの間にか眼前に立っていた黒龍に目を丸くしながら、白龍は何だと尋ねた。


「あの。俺、あの」


 言葉を噤んだ黒龍の次の言葉を、白龍は待った。

 黒龍は目を右往左往させていたが、覚悟を決めたのか。真っ直ぐに白龍を見つめて、言った。


「ごめんなさい。俺。本当に。伴侶になりたい。義弟は、嫌だ」

「………」


 もしやこれも言わせているのではないだろうか。

 もしや自分も義兄では嫌だったのだろうか。


(いや確かに、黒龍の義兄になりたかった。黒龍に義弟になってほしかった。はず。だが)


 不安定な心模様に一抹の不安を抱きながら、白龍はそっと黒龍の頭に手を添えて、時間をくれと言った。


「私はあなたを知った気でいた。私は私自身を知った気でいた。ゆえに、あなたと話して、あなたを知りたい。私自身も知りたい。その上で、返事を言いたい。それでいいか?」

「………うん!」


 厚い雲の切れ間から覗く日差しのように、晴れやかな笑みを浮かべた黒龍を前に、白龍は微笑を浮かべながら思った。




 いつかの日か、何の迷いもなく、黒龍の胸に飛び込める時が来ればいい。




(もしかしたら、そう遠くない、やもしれぬ)


 その時はまた、仙界に混乱をきたしてしまうのだろう。

 しかし、揺らぐ事はない。

 黒龍と一緒ならば。


(大仙人には、心配と苦労をかけるが。時間をかけて、それらは無用と証明すればいいだけだ)


 白龍は龍の姿になると、黒龍に行こうと言った。

 黒龍もまた龍の姿になると、白龍と目を合わせて、一緒に飛び立ったのであった。











(2024.2.22)



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葉牡丹 藤泉都理 @fujitori

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