裏切り魔女の末裔を信じている
春季
第1話
窓のない、タイル張りの冷たい床。
電球一つぶら下がり、そこにベッドがあるだけのがらんどうな部屋で。
ユラ・ガウンズは暮らしていた。ある日は部屋にやってくるお客にその肉付きの悪い脚を開いて好きにさせたり、また雨の日は床に這いつくばって目の前の泥だらけの靴を舌で清めたりして金を稼いでいた。
青白い瓜実顔、切れ長で愛想の無い黒粒目、ほつれた糸のような黒髪のショートヘア。娼婦として生きていくには、あまりに恵まれない容姿だった。ただその白肌だけは粗細かくしっとりと吸い付くような質感で、時々はお客を喜ばせた。
城下町の端くれで、ひっそりと隠れるように営業している小さな娼館に、ユラは16歳になった冬に身を寄せた。幼い頃は、山の中間部にある薄暗い森の奥で、薬売りの両親と共に慎ましく暮らしていた。まだユラが10歳の時、薬草取りに出た父親が、山賊に襲われ殺された。そしてユラが14歳になれば、心労が祟ったのか母親も病気で死んでしまった。転がるように天涯孤独となったユラは、飢えと寂しさに耐えきれず、フラフラと山から街へ降りて来たところを奴隷商に捕まり、気が付けば同じ年頃の少年少女たちと一緒に市場で競りに掛けられた。
そこからは思い出すのも嫌になるくらいに地獄の様な日々だった。最初はとある貴族の御屋敷で下働きとして買われたが、主人からの性的な虐待に耐えきれず、遂に拒めばあっという間にゴミの様に捨てられた。街の片隅で膝を抱えて泣いていると、またいつぞやの奴隷商に首根っこを掴まれて、いつぞやの牢屋へと放り込まれた。そして今に至る。
暴力が当たり前の毎日で、思考を放棄しながら、その小さな身体と心を抉る鋭い痛みを何とか鈍らせて生き延びた。
ふと我に返った時、このままではあんまりな人生だな、と汚れたシーツの上でハラハラと涙を溢した。優しかった両親の声や体温はもう思い出せない。ユラの日常に在るのは、ろくに金を持っていやしない薄汚い男共の硬い肉と、汗と血と泥なんかが混ざった据えた匂い。この若い身体はなんとか健康で脚は動くし、買い物やらで娼館の外に出ることも許されている。逃げる場所なんてどこにもないけれど、ここにいても不器量な自分では稼げる金額もしれていて、厄介者扱いだ。今は一日に一人でも客を取れば食事を許されているけれど、最近は不景気なのか流行病のせいなのか、更にお客が減ってしまって食い扶持を維持出来るかも怪しくなってきた。
「このまま飼い殺されるくらいなら、山に戻って魔物の餌にでもなろうかね」
今まで、一人ぼっちでは死んでしまうと思っていたけれど、今日からはなんだか一人でも生きていける気がした。
独り言ちながらようやく立ち上がろうとした時、薄い天井からギシギシと足音がして、電球が揺れた。これは地下にあるユラの部屋にお客が来るときの合図であった。仕方がない。逃げ出すにしても、明日の朝がいいだろう。あの遠い山奥の森の中、まだ父と母と暮らした家は残っているだろうか。
「最後のお客さん、優しい人だといいなあ」
そういえば、今日はユラの18歳の誕生日だった。今までの辛い人生を乗り越える決意をして、涙を拭ったユラはその目元と唇に赤い紅を引いた。
****
私の人生には、とことん不運が付きまとうらしいね。
オーナーである狸おやじに連れられて来た男は、街で悪名高いゴロツキのリーダー格の男。しかも何やら目は血走り鼻息荒く、何やらブツブツと呟いている。明らかに様子がおかしい。恐らく、人体に良くない薬を服用しているのではないか。とにかくもこんな状態の男を相手に仕事が出来る訳が無い。案内もそこそこに部屋から出て行こうとするオーナーを追おうとすると、後ろから強い力で髪を引っ掴まれ、ベッドへと放り投げられた。その衝撃でボロの部屋全体が軋んで、電球はチカチカと慌てるみたいに光りながら揺れた。男の表情はよく見えないけれど、その口許には強い加虐の色が浮かんでいて、逃げ場を塞がれたユラは大人しく頭を垂れるしか無かった。
***
この城下町で一番に寂れた娼館の扉の前に、二人の男が立っている。一人は顔を腫らし、血と泥で汚れたシャツを着た男。後ろ手に手錠を掛けられている。その手錠に付いた縄を門柱にきつくくくりつけているのは、軍服を着た上背のある男。月に照らされたのは、若く精悍な顔立ちの美丈夫だった。
「おい、本当にここだろうな」
「ひっ、は、はい!な、殺してもいい女がいる店って言ってたんで、ここのブスのことだと思うんですけど…」
手錠の男が上目遣いで話し出したところで、一方の軍服の男にギロリと睨まれて口をつぐんだ。
「下衆野郎が」
軍服の男が娼館の扉に手を掛け、中に入ろうとした瞬間、「ギャアーーッ!!」と耳を突くような悲鳴が聞こえた。
裏切り魔女の末裔を信じている 春季 @eggmaf-666
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