水色のリボン

藤泉都理

水色のリボン




『おまえにこれをあげる。これから世話になるからな。頼んだぞ』


 貴方様は覚えていらっしゃるでしょうか。

 初めて会った時に、私に言われたことを。






(さあ、今日も心にブレーキをかけて、頑張りますか)


 今日も今日とて、水色のリボンを胸元に収め、自室を出る。

 まず、向かうべきは、銀行のATM。

 自分の貯金箱の小銭を貯金(銀行内に設置してあるATMしか小銭を取り扱ってくれないのだ)してのち、主のお金を引き出すのだ。


(はあ。この時間はいつになっても、慣れない)


 目に入る通行人全員が、否、目に入らない通行人もまた、この懐に収めている五十万を狙っているのではないかと思い、気を張り詰めていた。

 もう、邸にATMを導入してもらえないだろうか。

 そうしたら、銀行から邸までの道中、こんなに神経を尖らせる必要もないのに。

 いっそのこと、爆走してしまいたい。

 けれど、私は、名家、嘉味田平かみだひら家のメイドである。

 楚々とした言動を常に取らなければならないのだ。


「おい」

「坊ちゃま」


 前から歩いてきた主に、私は深々と頭を下げながら、疑問を抱いた。

 確か、今日のこの時間帯は勉強中のはずだが。


「もう、終わらせてきた。金」


 疑問が顔に出ていたのだろうか。

 未熟さゆえに赤面しそうになるのを必死に抑えて、鉄仮面を維持しながら、主に五十万を手渡す。

 ガードマンも付いている。これで肩の荷が下りた。


(ああ、でも流石は、坊ちゃん。もう今日の勉強を済ませるなんて、ご立派です)


 完璧なのだ。

 主は。

 勉強もスポーツも美術も音楽もコミュニケーションも資産運用すべてが完璧。

 そんな完璧な主を、本当は、声高々に褒め称えたい。

 けれど、心にブレーキをかける。我慢をする。


『天狗にならないように、おまえだけは俺を褒めるなよ』


 初めて会った時、幼い主にそう、言われたのだ。

 水色のリボンを手渡された直後のことである。


『おまえだけは、絶対に、俺を褒めるなよ』


 念押しされて、逆に、言えよということなのかと、少し思ったが、そんなことはないと思い直し、言葉通りに受け止めて、私だけは絶対、褒めないでいた。

 どれだけ成績が優秀だろうが、どれだけ賞を取ろうが、どれだけ誰からも絶賛されようが、私だけは絶対に、褒めないでいた。


「では、お坊ちゃま。私は邸に戻りますので、これで失礼します」


 小さくお辞儀をして、私は主の横を通って、邸へと歩き出した。






(………今日も水色のリボンをつけてねえし)


 メイドを無言で見送った主は、むっと口を一文字に結んだ。

 幼い頃に、天狗にならないようにおまえだけは褒めないでくれと頼んで以降、メイドは忠実にその願いを守ってくれて、褒めないでいてくれている。

 そのおかげで、ついつい、天狗に走りそうになる自分を押し留めることができた。

 とてつもなく、感謝はしている。

 が、気に食わないことが一つ。

 水色のリボンを身に着けてくれないのだ。

 たったの一度も。たったの一度もだ。


 もしかして、色が気に食わなかったのだろうか、形が気に食わなかったのだろうか、大きさが気に食わなかったのだろうか、そもそも、リボンが気に食わなかったのだろうか。

 嘉味田平かみだひら家のメイドは、胸元にリボンを装着することが必須だったので、いい贈り物だと自画自賛していたのだが、間違いだったのだろうか。

 けれど、訊けなかった。

 その水色のリボンは、嫌だったのか。などと。

 本当はさっさと訊いて、さっさと別の贈り物をすればよかったのだが、一目見た時、あの水色のリボンが、あのメイドに合うと、絶対に合うと、思ってしまったので、訊きそびれてしまったのだ。


(ああ。くそっ。失敗した。さっさと訊いておけば、こんなに引きずらずに済んだものを)


 主は手に持つ五十万に視線を落とした。

 現金のみ使用との家の方針の下、一週間に一度、小遣いの五十万を直接手渡されてきた。

 幼い頃からずっと、五十万。

 ほとんど、投資と寄付に宛てていたが。もう一つ。ほんの僅かな金であるが、別に貯めていた。

 あの、メイドへの贈り物貯金である。

 一度も手を付けたことはない。し。これからも、手を付けられなさそうだ。


(ああ。くそっ。常日頃から贈り物をする習慣を作っとけばよかった。今更、贈り物なんて。誕生日にもクリスマスにも渡せてねえし。あ~~~~~もう!)


 後悔先に立たず。

 主は暴走しそうになる心に、必死にブレーキをかけて平然とした態度で、ガードマンに行くぞと言って、メイドとは正反対の道を進んだのであった。


(こんなんで、本当に、言える日が、来るんだろうか?)




 一目惚れだったと。言える日が。






(ああ。青春ですなあ)


 ガードマンはニマニマと笑いそうになる自分に必死にブレーキをかけて、しかめっ面を維持したのであった必死で。











(2024.2.15)



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水色のリボン 藤泉都理 @fujitori

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