【十三】蒼原のハフムード
あれから一週間で身支度を調えた。自分の荷物だけなら宿酒場の一室に置いてある程度なのだが、皇都へ行くともなれば結構頼み事を頼まれることが多い。今まで世話になった人や取引先に顔を出すだけでかなり時間を食ってしまった。それだけカンクリに長居をしていたということでもあり、ちょっと感慨深い。
ペチェネグ商会にも再度顔を出し、ペチェネグ本人に挨拶をした。
「皇都では甥っ子が本店を仕切っている。手助けしてもらえると助かるな」
そう言って文を預かる。この時代は郵便制度というものはまだ無い。文、手紙は大枚を叩いて飛脚を仕立てるか、旅商人へ往来のついでにお願いするしかない。ああ、「戒」の国自体は定期的な連絡手段を整えているので、お役人と親しければそれを頼るという手もあるな。
ペチェネグからは他にも皇都への物品の運搬も請け負った。主に遊牧民との交易で手に入れた工芸品だな。皇都では高く売れるだろう。ペチェネグには大変お世話になったので、運搬料金は大幅に割り引いておいた。
「皇都では何の商売をするつもりだね。やはり工芸品か?」
「いえ、実はまだ何も決めてません」
「ほう? ではなぜ皇都に?」
「実は、妻から呼び出しを受けまして」
ちょっと青い顔でボクが答える。皇都ではハフムード商会第六席次のシャンラオがこぢんまりとした店を開いている。そこから先日文、巻物が届いた。大通りを横断できる程長いその巻物に書かれた内容を要約すると『二年間放置されて寂しくて死んでしまうそうなので、死ぬ前に貴方を殺そうと思い、包丁を研いでおります。夏には出立します。それまでに是非お戻りください。かしこ』だ。なので急遽皇都行きを決めたのだ。シャンラオはとても優しい良い子だが、やるといったらやる女だ。ちなみに料理上手である。魚などはとても上手く捌く。もしもの時は苦しまずに済みそうなのが救いだ。
「そうか。それは帰らねばならんな。女の恨みは万里を駆けるか、羨ましい話だ」
「笑い事ではありませんよ」
ペチェネグの笑い声を背に受けて、ボクは商会を後にした。外にはササンと桐姫が馬を引いて待っている。あとはこの街を出るだけだ。
朝早くに出ようと思っていたが、なんやかんやでお昼になってしまった。商業都市カンクリから東へ行く場合、旅程は結構組みやすい。街道の整備が進んでいるので宿場町が多い。半日もあれば次の宿場に到着するので楽ちんである。なお西や北は原則野宿が必須だ。まあ無人の待避所みたいなものはあるけどね。
いつもの様にササンとボクが同じ馬に乗り、桐姫が一人で馬に乗る。東の出口で簡単な検閲を受けた後、街の外へと出る。ずっと地平線まで草原が広がっている。その辺りは北と同じだ。二日ほど進むと大堤防が見えてくる。その先は「戒」の内国である。
街の近くでは旅人や荷馬車と幾度と擦れ違うが、カンクリの姿が草原の向こうに消えてしまうと、ふっと人気が無くなってしまう。まあ東西の大動脈とはいっても、密度的にはこんなものである。草原を渡る風が爽やかだ。一定の距離ごとに設置された道標を目印に、東へと向かう。
ここまで人気が無いと怖いのは盗賊の類だが、視界は開けているのでそういきなり急襲されることはない。大枚をはたいて健脚の馬に乗り換えているから、大抵の場合は走って逃げられるだろう。
「……ん?」
ササンの頭のつむじを眺めていたら、ふと遠く前方に馬を発見した。どうやら街道上に立ち塞がっているらしい。盗賊にしては堂々としている。目を凝らしてみるとそれは白馬で、馬上の人物は銀髪の美しい髪を風に流していた。馬の背には荷物が少々。
カーシュガリーだった。
「やあ、ハフムード」
「カーシュ。どうしたんだ、こんなところで」
別れの挨拶は一週間ほど前に済ませた。アルタイ族には随分世話になったからな。一度足を運んでいる。その時にカーシュガリーにも会って「戒」の国に行くことは伝えたが……。
「いやなに。私の方も準備が整ったのでな」
「準備?」
「結婚してくれ、ハフムード」
直球だった。ボクの思考が硬直する。え? 結婚? それってアルタイ族の族長になれってこと?
「え……? はっ、一体どういう……」
「まさか手を付けておいて、責任を取らないという訳ではあるまいな?」
その笑顔が怖い。
「い、いや、無論そんな訳はないが、だがボクはこんな木っ端商人だから族長にはとても」
「その件なら安心しろ。私はもう総族長でも族長の娘でもない。ただのカーシュガリーだ。だからお前についていって、商人でもしようかと思う」
「はい……?」
説明を聞いた。先のバダフシャンとの戦いでの輜重隊攻撃だが、その際カーシュガリー自身が向かったのが問題とされていたらしい。うん、まあ、総司令官が本陣を離れるのはねえ。そして戦後も自部族の村に籠もって総族長としての役目を十全に果たさなかった。そういった理由から、クリルタイで総族長は更迭と相成った。
そしてアルタイの族長も解任された。理由は、まあ、あれである。アルタイ族って結構貞操観念が強いんだなあ。愛人は良くってあれはダメなのか。
いずれの事情にもボクが関わっていて、なんというか大変ツライ。この状況で断ったらボクって碌でなしじゃん? カーシュガリーはニコニコとこちらを見ている。なんかすごく、文字通り嵌められた気がするのは気のせいだろうか。
「カーシュ。前にも話したと思うが、ボクには既に妻たちがいてな、新たに娶る時は妻たち全員の了承を得る必要が……」
「ああ、憶えているぞ。その点については私も異存ない。要はお主の妻たちの許可が出ればいいい訳だ」
はっと気がついて、ボクは桐姫を見る。ぷいっと顔を背ける。そういえば出立前、どこで手に入れたのか幾つもの酒樽を「倉庫」に運び込んでいたな。
ササンの頭を掴み、こちらに向けさせようといるがうぐぐと唸って拒否する。そういえば出立前、どこで手に入れたのか幾つもの干し肉の塊を「倉庫」に運び込んでいたな。まさかこの二人、物で買収されたのではあるまいな?
「ま、まあ、今更一人二人増えたところで問題ないのではないか?」
「ボクの目を見て話してほしいな、桐姫」
「さて、次は誰の許可を取ればいいのかな、ハフムード。どこにでも行くぞ」
そう言ってカーシュガリーは馬を寄せて、ぽんとボクの肩を叩いた。ボクは喜色と焦りが入り交じった顔で、ニッコリと笑う。ああ、そうさ。カーシュガリーが来てくれるのは嬉しいさ。でもさ、二年以上も放置した妻たちに『はーい、新しい嫁を娶ったよー』って会いに行くのは正直いって地獄だ。そしてまず一番に会いに行くのがシャンラオである。ボクは捌かれずにすむのだろうか? ちょっと自信が無い。
「わかった、わかったよ。ボクの負けだ。愛してるよカーシュ、これからはずっと一緒だ」
そういうと、途端にカーシュガリーが顔を赤らめて馬首を翻した。白馬が草原を駆け、少し離れたところから、早く来いと叫んでくる。むふー、ちょっとだけやり返せて満足だ。
三頭の馬の一行が、草原を貫く街道を東へと向かっていく。その行く先には大地を塞ぐ大堤防、そして広大な「戒」の国が広がっていた。
【了】
蒼原のハフムード 沙崎あやし @s2kayasi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます