【十二】報いの形

 重い瞼を上げると、見えたのは見知らぬ天井だった。


 嘘です、ごめんなさい。とても見知った天井です。移動式住居の天井、カーシュガリーの家の天井だった。


 どうやら寝台に寝かされている様だった。ぐるりと頭を動かせば、炉を囲んで三人が食事をしているのが見えた。ササン、桐姫、そしてカーシュガリーだ。三人とも俯いて黙々と食べている。なんか暗いなー。料理の匂いが漂ってくる。優しい煮物の匂いだ。盛大にお腹が鳴るが、三人が気がついた様子は無い。


 「……ッ」


 ササンの名を呼んで見たが、声が出ない。いや喉は響いているんだけど、掠れまくっている。上体を起こそうとするが、腹に全く力が入らない。うがが。辛うじて腕が動いたので起き上がろうと踏ん張るが、僅かしか上がらない。なんだ? 身体の様子がおかしい。


 そうやって藻掻いている内に、寝台からずり落ちてしまった。ごつりと肩から落ちる。痛みは感じる。ついでにその衝撃で太股に斬り裂く様な痛みが走った。こちらは例の矢傷だな。但し傷口は塞がっている様だ。


 「あ」


 最初に目が合ったのはササンだった。手にした小皿がぽとりと落ち、肉塊が床の上を転がる。そして炉を跳び越え、頭からボクのお腹へと飛び込んできた。くの字に曲がるボク、ズレ動く寝台。ササンは一言も発しないまま、きつく抱きついている。ササンの顔は腹に埋まっていて、少し濡れている。


 「ようやく目を覚ましたか。心配したぞ」


 そういってボクの前に正座したのは桐姫だった。彼女は柔らかい笑顔を見せたがそれも一瞬、口元を引き締める。ばさっと上衣を脱ぎ捨て、程良い大きさの胸を覆うサラシが露出する。その下には絶妙な陰影を描く腹があり、そこに小刀が突きつけられる。


 「約定を違え、お前を守ることが出来なかった。この命、受け取ってほしい」


 切腹だッ! ボクは辞めさせようと藻掻くが、手足も声も出ない。すんでのところで桐姫の後ろから手が伸び、小刀は取り上げられた。あああ、と情けない声を上げて泣き伏せる桐姫。


 「私は死ぬとは思ってなかったぞ、ハフムード」


 取り上げた小刀を回しながら、カーシュガリーはニヤリと笑った。






 小一時間ぐらいして、ようやく色々と落ち着いてきた。寝台の端に座らせてもらい、カーシュガリーから水を飲ませてもらう。あ、あー。ちょっと声が出る様になった。ササンが抱きついたまま離れないので、そのままでお粥も食べさせてもらう。


 食べながら話を聞く。バダフシャンとクリルタイ連合の戦いからもう一ヶ月も経っているそうだ。一ヶ月。道理で身体が自由に動かない訳だ。それだけ寝たきりだったらね。


 あの時逃走したササンと桐姫は一旦カーシュガリーの所へ戻った。カーシュガリーはすぐさま決死隊を派遣し、バダフシャンの輜重隊を襲撃させた。そして天幕の前で倒れていたボクを発見、回収したということだ。ビリグが輜重隊の位置を移動させなかったのが幸いだったな。


 ボクの状態は相当酷かったらしい。大量の出血で意識喪失。傷口は塞いだが膿と発熱。食べないからどんどんやつれていくしで、まあ普通ならもう死んだと諦めるところだよね。諦めず看病してくれた三人には感謝しか無い。いずれこの恩は倍にして返そう。出来れば精神的に。


 ところで。両軍の戦いは、三日の激戦ののちクリルタイ連合の勝利に終わった。大将である暴虐王が突如失踪したことが敗因として大きかった様だ。バダフシャン側は暴虐王の威名で集まっていたからな。失踪の噂が広まる程に降伏する部族が続出し、そして決着した。


 戦後の処理はクリルタイ連合の族長たちが主だって行っている。負けたバダフシャン側についた部族の族長クラスは処刑されたが、それ以上の処罰はされなかった。基本的にはクリルタイ連合に合流することになる。


 そして商業都市カンクリの新領主アンカンにより、クリルタイ連合に参加する部族には格安で食糧を提供するという布告が出された。どうやらアンカンが北方との融和を求めているのは本気らしい。まだ疑う向きもあるが、実際に食糧の提供は始まっているので、いずれは皆アンカンの言葉を信じるようになるだろう。


 ボクはアルタイの村落で、より正確にはカーシュガリーの家で療養を続ることになった。食事をお粥から普通の食事に戻すところから始めて、杖をつきながらの散歩から徐々に運動量を増やして身体の筋肉を戻していく。夏から秋、そして冬になる頃になって、ようやくササンと鬼ごっこが出来るまでに回復した。やれやれ、生きているって素晴らしいなあ。


 今年の北方高原の冬は、風も穏やかで雪も僅かだ。暖冬だといっていい。このまま気候が安定して、穀物の作柄が良くなると無くなるといいんだけどね。アルタイの村に籠もっているから、あまり詳しい情報は入ってこない。一応聞くところによれば、東の米は普通、西の麦は昨年よりは随分マシとの話だが、さて。





  —— ※ —— ※ ——





 春になった。ボクは商業都市カンクリに戻ってきた。やー、随分久しぶりだね。建物の再建も粗方終わり、街道の往来も往時を思い出す程度には戻っている。遊牧民の姿をよく見かける様になった。そこから今の「戒」の国と遊牧民族との関係が見て取れる。良い傾向だね。平和が一番だ。


 まずペチェネグ商会へ顔を出す。商館の隣に別館が増築されている。ペチェネグ本人は商談で留守だったので、若頭に挨拶をした。アンカンが約束した米の提供という特需は続いているし、それを発端として遊牧民との交易が急増している。人手が幾らあっても足りないそうだ。商売繁盛で結構なことだ。


 更にアンカンの屋敷へと向かう。待合室は面会希望者が溢れかえっている。受付で用件を伝えると面会は翌々日になった。役所も大忙しだ。


 「やあ、随分顔色が良くなったね。そろそろ復帰かな?」

「お陰様で、何とか助かりました」


 アンカンが柔らかい笑顔で出迎える。この人、皇族にしては物腰が柔らかい。アルタイの村で療養中も一度見舞に来た。演技かな? その辺り底が知れないので、結構緊張する。


 「改めて礼を言おう。ハフムード殿のお陰でクリルタイとの関係は好調だ。正直ここまで早く事態が好転するとは思っていなかった」

「いえいえ。私など、ほんのお手伝いしただけです。総族長であるカーシュガリー殿の尽力あってこそでありましょう」

「そなたが暴虐王を倒したとの噂もあるが?」

「まさか、だだの小商人に過ぎません。まともに対峙したら一分と立っていられないでしょう」

「なるほど。まあそういうことにしておきましょう」


 アンカンが少し目を細めて笑う。暴虐王がどうなったかについては、極一部の人間を除いて話していない。知っているのはササン、桐姫、そしてカーシュガリーだけだ。今のところ「倉庫」が中から開いた様子は無い。だから多分、ボクの想像通りの結末になるだろう。


 「して、これからどうするつもりだ? まだここで商売をするというのなら、いろいろと頼みたいことがあるのだが」

「申し訳ありません。そろそろカンクリを出ようかと思っています」

「そうか。それは残念だ」


 アンカンに別段驚いた様子は無い。まあボクの素性ぐらいは調べているだろうしな。元々ボクは行商人だ。支店みたいな拠点は数カ所作ってはあるが、ボク自身は西から東へ、そして北から南へと商売の種に応じて動くのが常である。ここカンクリには約二年滞在したことになるのか。たぶん最長記録かなー。こんな長い商いになるんだったら、宿酒場では無くって貸住居にするんだったなー。


 「次はどこへ行かれるのかな?」

「一旦「戒」の国の皇都へ行こうかと思っています」

「皇都か、懐かしいな。まだ南方のと貿易は盛んだろうから、良い場所かもしれんな」

「それは楽しみです。何か一つ、商売が出来れば良いんですが」

「そうだ、兄上に一筆書いてやろう。何かの役に立つはずだ」

「ありがとうございます」


 ニッコリと笑って頭を下げる。皇族との繫がりか。確かに頼もしいんだけど、それ以上に厄介ごとがやってきそうな気もするんだよな。でもそんなことは心の裏に隠したまま、その場でアンカンが書き記した書状を有り難くいただく。


 「皇都に行ったら商業処に顔を出すといい。きっと良いことがあるだろうからな」

「お心遣いありがとうございます」


 お、商業免符の更新かな? アンカンが口添えしてくれたのだろう。こっちは素直に嬉しい。上級の符だと関所の待ち時間だけでも結構違うんだよな。


 そうしてしばし歓談した後、ボクは屋敷を退出した。アンカンとの繫がりが出来たのは今回大きな収穫の一つだ。色々便利に使われそうだけど、その分の見返りはきちんと考えてくれる御仁だ。是非末永くお付き合いしたいものだね。






 屋敷の外にはササンと桐姫が待っている。完全に待ちくたびれたササンはボクに絡みつき、屋台の串焼きを強請ってくる。羊肉か。仕方が無いので三人で食べながら、大通りを宿酒場に向けて歩いて行く。両脇に出店、そして馬車がすれ違えるぐらいの広い通りが真っ直ぐ続いている。人通りは多い。春先の今時期は天候も安定しているので、街道を行くには良い季節だ。


 一両の馬車が通り過ぎた。その瞬間、桐姫が動いた。右手に串焼き、左手には矢が握られている。矢の先端は丁度ボクのこめかみの手前で止まっていた。ササンが短剣を足で投げる。すると反対側の建物の屋上から「ぎゃっ」という短い悲鳴が聞こえた。ササンがあっという間に建物を駆け上がっていく。


 「ぐはっ!」


 建物の脇、路地裏へと行くと上から人影が降ってきた。それは背中からまともに落下し、そのまま地面の上で悶えている。ササンが上から降りてきてボクの前に立つ。桐姫は串焼きを食べ終わると、串と矢を地面に捨てる。落下してた人物の髪を掴み、ぐいっと顔をボクの方に向ける。


 「女か……?」


 まだ少し幼さが残る。赤毛の少女だった。たぶんササンより年上、桐姫より年下ぐらいか。着衣は皮で出来た半袖半ズボン。たぶんどこかの遊牧民だろう。右腕から血を流している。彼女は痛みを堪えながら、ぎんとボクを睨み付ける。


 「娘、なぜ狙った?」


 桐姫が長い睫を揺らしながら問う。赤毛の少女は髪を掴む桐姫の手を解こうと足掻くが、桐姫が髪を掴んだ手を捻ると呻き声を上げて止まった。


 「……お前が、ハフムードだな?」


 ふーふーと威嚇するように赤毛の少女が吐息を吐く。犬歯の目立つ白い歯を剝き出しにしてボクに向いている。なんかすごい恨まれている感じがするんですが、心当たりは……まあ色々あるか。


 「バダフシャンの生き残りか?」

「そうだ。バダフシャンの王、ビリグが妻ユースフだッ!」


 ボクは目を丸くした。ビリグの妻? あいつ結婚していたのか。そんな話は聞いたことないが……まあ仮にも一族の長だ。結婚していても可笑しくはないが。


 「もしかして復讐か? なら狙うべき相手は他に居ると思うが」

「お前がビリグを失望させた。だからあいつは暴虐王になったんだ!」


 その言葉に、ボクはちょっとだけ動揺する。ああ、なるほど。この娘。ビリグの妻を名乗るだけあって、相当近い位置にいたんだろうな。よく事情を知っていて、それでボクを憎んでいる。分かる。それは道理だな。


 でもな。


 「ビリグが暴虐王になったのは、やつが弱かったからだ。だから変節した。お前はボクではなく、ビリグの弱さを憎むべきだ」


 そう告げると、ユースフは顔を真っ赤にした。びちびちと髪の毛が千切れる音がする。でも桐姫の手は離さない。もう片方の手が刀の柄に伸び、ボクはそれを制した。


 「お前のような恵まれた者は、いつも貧しい者を嘲笑う! いつか、その報いを受ける時が来るだろう!」


 ユースフの罵声がボクを叩く。そうだな、人がいつか自らの行いの報いを受けること。そんな世の中ならばどんなに良いことか。その思いだけは、たぶん彼女と完全に一致している。


 大通りの方から、複数の足跡が聞こえてくる。ボクが指示すると、桐姫は髪を掴んだ手を離した。解放されたユースフは一瞬ボクに掴みかかろうとしたが、武器は何も無い。苦渋の表情で身を翻し、路地裏の闇の中へと消えていく。


 大通りからの足音は衛兵たちだった。どうやら騒動を聞きつけたらしい。優秀だね。今のカンクリの治安は良いと見える。何人かは逃げたユースフを追い掛けていった。ボクは聴取されたが、突然襲われて相手の心当たりも無いと答えた。衛兵はボクのことを知っているのが、それだけですぐに解放された。


 「逃がして良かったのか?」


 大通りに戻った桐姫が問う。お前、ボクの目の前じゃなかったら殺してたよね。


 「良いんだ。女が死ぬところは見たくない」


 結局それさえも、ボクの我が儘にしか過ぎないのだろう。ボクは肩を竦めて、そしてぽんと桐姫の背を叩いた。


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