【十一】生と死

 日が暮れた。草原の夜は夏でも肌寒い。しかしボクの全身を震わせている悪寒は、たぶん冷気のせいじゃない。矢が刺さったままの太股からは血が少しずつ流れ出していて、足元に血溜まりを作っている。意識が朦朧としている。あれからどれぐらい経ってのだろうか。良く分からない。


 ボクはどこかの天幕の中に拘束されていた。天幕を支える柱の一つに縄で縛り付けられている。中央にある炉の炎が天幕の中を照らすが、ボクの他は誰もいない。ずっと無人だ。やけに喉が渇く。


 そして。少し天幕の外が騒がしくなり、ゆっくりと幕が揺れた。現れたのはビリグとその部下たちだった。どこかの戦場を駆けてきたのか、皆返り血を浴びたまま。ビリグは顔の十字傷に付着した血糊を手の甲で拭う。


 「……すっかり返り血が似合う男になったな、暴虐王……」

「そうだな、その名も悪くない」


 ビリグは部下に椅子を一脚用意させると、天幕から退出させた。天幕の中にはボクとビリグだけ。どかっとビリグは椅子に座り、ボクを見つめる。少しだけ視線が柔らかくなる。


 「親父がその名で呼ばれていた時は、なんという酷い名前だと思っていた。だが親父は一向に気にしていなかった。その気持ちが今なら分かる」

「……暴力は男の勲章とでも言いたいのか……」

「部族の者を食わせていけるのであれば、それも悪くない」

「……略奪され死ぬ者がいなければ、確かに良い話かも知れないな……」

「その上前をはねて私腹を肥やす者もいる。その者と我ら、どちらが悪逆非道なのだろうな」


 その問いは、ボクに向けられたものではなかった。ビリグの視線は上を、天幕の天井の向こう側に向けられていた。


 「ハフムード。お前と手を組んだのがアルタイではなく私だったら、部族の者は死なずにすんだのだろうか」

「……かもな……」


 もしあの時ビリグを手を組んでいたら、少しは歴史は変わっていただろうか。いや、あの時点でバダフシャンは既に周辺部族の恨みを買い過ぎていた。略奪を止めたとして、手遅れだったのだろう。でも僅かな可能性は、残されていたかも知れない。


 ボクは吐瀉した。げほげほっと胃液が床に溜まった血の海に波紋をつくる。脳裏に蘇る光景。それは暴力によって殺された妻の死体。


 「……でもボクは、女を殺す者を許さない。許せないんだ……」


 だから。あの日あの村に行った時点で、ボクとビリグが共に未来を目指す可能性はゼロになったんだろう。


 「そうか」


 ビリグは短くそう応えた。天から戻ってきた彼の視線は冷たかった。


 「……ボクをどうするつもりなのかな……」

「もはや興味は無い。放免しても良い……しかし、その能力がなければの話だが」


 まあそうだろうな。「倉庫」の能力、味方であれば便利この上ないが、敵対されると非常に厄介だ。


 「……ボクとしても残念な話だが、その能力はボクの身体に宿っている。誰かに譲ったり放棄したりすることは出来ないらしいんだ……」

「では、仕方が無いな」


 ビリグは椅子からゆっくりと立ち上がると、腰の剣を抜いた。しなやかに鍛え抜かれた腕が剣を水平に構える。ボクの首を落とすつもりなのだろう。


 「何か言い残すことがあれば聞こう」

「……もし妻たちと話が出来たのなら、復讐厳禁と伝えてくれ……」

「分かった。……あの銀髪の美姫も妻なのか?」

「……いや、あっちはまだだ。カーシュは自由にするだろう……」

「彼女たちと、もし話が出来ればそうしよう」


 そうして、ビリグの剣が真横に振り抜かれた。


 ——がきん!


 「なにっ?!」


 ビリグの、水平に振り抜いたはずの刀身が弾かれた。ビリグの体勢も崩れ、二歩三歩とたたらを踏む。


 ボクの背後には「倉庫」の扉が出現していた。天幕の柱とそれに結ばれたボクの間に出現した扉は縄を弾け切り、ビリグの剣を弾いたのだ。すかさず後ろ手に扉のノブを掴み、開いて転がり込むように中へと入り込む。


 「ちい!」


 ビリグも後を追って「倉庫」の中へと入り込み。天幕には煌々と照らす炉の炎だけが残された。





  —— ※ —— ※ ——





 ビリグは中へ入ったが、その直後で止まった。周囲を見回す。幅と高さは二十メートルぐらい。そして奥へは果てしなく続いている。噂には聞いていたが、摩訶不思議な空間だ。呪術か魔法か。何の素材だか分からないが、壁や床はほんのり光っている。


 床には、血が点々と続いている。入口から奧に向けてまっすぐと。視線を走らせるが、奧は百メートルより先は昏くて良く見えない。満足に走れる状態ではないはずだが、ハフムードの姿はもう見えない。しかし不器用に走る足音は響いてくる。


 ビリグは思案する。このままハフムードを追うべきか否か。なぜここに逃げ込んだのだろう? 無論ここしか逃げ場が無かったからなのだろうが、目算も無く入り込むとは思えない。もしビリグがこんな力を持っていたら、とことん調べ尽くす。そして細工を施して万が一に備える。恐らくは腕力に自信のないであろうハフムードが、そういう準備を怠るとは考えられない。


 追わずに外で待つか? いやそれでは、もしこの奧に別の出口があった場合は逃げられてしまう。やはり追うしかない。ビリグは周囲を警戒しつつ、やや小走りで奧に向けて進む。


 床には血痕が残っている。それが道標となる。少しずつ大きくなるそれは、傷口が開きつつあることの証左だ。足音との距離は近づきつつある。


 「?」


 ビリグはちょっとした異変に気がついた。床を濡らしていたはずの血痕が、丸い球体となって宙に浮いている。そして身体が軽い? 感じがする。いや確かに軽くなっている。その証拠に、床を蹴ると大きく身体が浮かび上がる。小走りをしていたはずのビリグは、今はまるでスキップする様になっている。


 そして。


 「なんだこれは?!」


 ビリグの右足が床を蹴ると、身体はそのまま宙へと浮き上がり床の方へは戻ってこなくなった。浮き上がったビリグはそのまま天井にぶつかり、そして今度はその反動で床へと落ちていく。


 訳が分からない。身体が上手く動かない。腕を振るっても回転するばかりで、体勢は余計に混乱していく。ビリグの身体は右に左に回転し、そして床や壁にぶつかっては跳ねていく。それはまるでビンボールの球の様だ。


 ——そして。


 ハフムードが宙に静止した状態で、ビリグを待っていた。どこに隠していたのか、火縄銃の銃口をビリグに向けて構えている。


 「ハフムードッ!」


 銃声がした。しかしそれはビリグに向けられたものではなかった。彼は撃鉄を落とす瞬間、くるとり背を向けた。そして発砲。弾は「倉庫」の奧へと消えていく。と同時に、ハフムードの身体が弾かれた様に扉の方向へと勢い良く飛んでいった。途中、ビリグと擦れ違う。


 ハフムードは出口の方に飛んでいき、ゆっくりと床の上に着地すると、矢の刺さった足を引きずりながら扉の方へと戻っていく。床の血痕が二重になる。


 なんだ今のは? ビリグには無重力も作用反作用も分からない。だがハフムードの行動は彼にヒントを与えた。試しに自らの回転に合わせて剣を投げ捨てる。すると回転が止まった。なるほど。更に腰の柄や矢筒を外して、「倉庫」の奧へと投げ捨てる。するとビリグの身体は扉の方に向けて進み、そして元の床に足が着く位置にまで戻ってこれた。


 ビリグは走った。遠くに出口の光が見える。そこに重なる人影。それはハフムードのものであった。手を伸ばすビリグであったが、そこはまだ届かない。


 「さようならだ、ビリグ」


 最後にそう呟いて、ハフムードはゆっくりと扉を閉じた。





  —— ※ —— ※ ——





 閉めた「倉庫」の扉がゆっくりと消えていく。ボクは大きくため息をつく。なんとか作戦は成功した。「倉庫」に敵を閉じ込めるのが作戦? んー、そうだね。そういうことになると思う。


 「倉庫」の中に閉じ込められた場合、はたして中から扉を開けようとしたらどうなるのか。たぶんね、開いちゃうと思うんだよね。扉には鍵もついていないし。


 ただ実際に試したことは無い。魚を「倉庫」の中に入れたままにすると腐らない。これ、より正確に言うと扉を閉じた状態だと腐らないってことなんだよね。それに気がついた時、ぞっとしたよ。ホントね、それまでボクは中に入ったまま扉を閉めたことはなかった。その偶然に感謝したものさ。つうかね、こんな危険なもの、取扱説明書ぐらい用意しておけっていうのよ。


 そんなわけで、扉は中から開くことは可能なはずであり、しかしそれをボクが確認することは出来ないだろう。少なくとも生きて居る間は。


 そういえば、ボクが死んだらこの「倉庫」ってどうなるんだろうね。「倉庫」自体はずっと残るんだろうか、それとも消えちゃう? 消えちゃう場合、中身はどうなるんだろう。外に溢れ出てきちゃうんだろうか。まあ、それこそボクには確認しようが無い。死ぬときは迷惑にならない様に、せいぜい広い場所で死ぬことにしよう。


 天幕の外が騒がしい。ただ正直耳鳴りが酷くて、本当に騒がしいのか耳鳴りなのか良く分からない。視界もぼやけているし、脚の感覚もほとんどない。一応歩いているつもりなんだが、もう天幕の外には出られたのだろうか。それすらも怪しい。


 あ。なんか視界がひっくり返った。たぶん倒れたっぽい。痛みは感じない。息苦しさと、なんだがふわふわした感覚が全身を覆っている。これって死にかけているんだろうか。前回はブツリと途絶えるような死に方だった。まあこうやって、あまり痛みも無く死ねるのなら悪くないかあ。


 そうして、ゆっくりと思考が闇に閉ざされていく。それは日が暮れて夜空になるのに似ていたが、その暗闇に星や月は無く、そして暗いという視界すらも無い。本当の「無」だった。





  —— ※ —— ※ ——





 扉は閉ざされた。差し込んでいた強い光は無くなり、床や壁が放つ淡い光だけがビリグを照らしている。やられた。これは閉じ込められたのか? ビリグは走るのを止め、溜息をつきながら閉じた扉の方へと歩いていく。


 少し油断しすぎたか。未練だな。まだ、あの時上手く立ち回れていたらもっとマシな未来があったかもという、これは未練だ。それを断ち切ることとハフムードをこの手で殺すことに、何の繋がりは無いというのに。


 扉の前までやってくる。扉は閉じた状態のまま存在している。罠を警戒しながらドアノブに手をかけ、そしてゆっくりと力を込める。


 蝶番の軋む音と共に、扉が少しだけ開いた。開くのか? ビリグが目を見開く。驚いた。てっきり閉じ込められたと思ったのだが……。ではハフムードは何の為に「倉庫」の中に逃げ込んだのだ? 分からない。


 ゆっくりと扉を開ける。が、それが突如、強く引っ張られた。


 「うおっ!?」


 その勢いに引っ張られて、身体が宙を舞って外へと放り出される。「外」、それは天幕の中では無く、星々が輝く漆黒の空間だった。但し地面は無い。なんだこれは? さっき「倉庫」の奥で感じたヘンな感触に似ている。身体はぐるぐると回転し、星空の中を舞う。扉はもう既に遙か彼方だ。


 驚きの声を発しようとして、出ないことにビリグは気がついた。それだけではない。視界が赤く染まり、肌が凍り付く。息が出来ないが、その苦しみを漏らすことも出来ない。


 ——ビリグは知るよしも無い。彼が今いる空間は、宇宙。時は既に数十億年が経過していた。ビリグが馬と共に駆けた草原、その惑星、そして月と太陽すらも四散して星間ガスと化した、その跡地。


 「倉庫」は閉ざされると、その中の時間経過がほぼゼロになる特性を持っていた。だから魚は腐らず、砂時計の砂は落ちない。扉が閉ざされ、ビリグが扉を開けるまでの数十秒。それは外界での数十億年に相当するのだ。


 そうして。全ての物がガスと化した星の世界で、ビリグはゆっくりと息絶えた。






  —— ※ —— ※ ——





 ボクは、またあの部屋に居た。そう、転生管理局転生課とかいうあの世だ。眼鏡を掛けた金色の瞳をした女史は、あの時のままの格好だった。どうやら歳は取らないらしい。ドデカい業務用デスクに陣取り、忙しなく書類に目を通している。


 しばらくぼんやりとしていると、手を止めて女史の方から話しかけてきた。感情の起伏の少ない、事務的な声だ。


 「亡くなられた様ですね」

「あ、やっぱりそうですか」


 そうだとは思った。二回目ともなると、多少コツ?みたいなものが掴めてくる。意識が途切れた直後の、あの「何にもない」感がね、すっごいぞわぞわして気味が悪い。不安を不安で掻き立てるような感じなんだよね。


 「いかがでしたか? 今回の旅は」

「んー、まあ悪くは無かったかなあ」


 良いことも悪いこともあった。でも一回目よりはマシだと思う。ちょっとは成長したかな? そう思いたい。


 「我々転生管理局としては、非常に不満足な結果です」

「ありゃ。それは申し訳ない」

「投入熱量四千五百二に対し、時空間偏曲率が想定の二パーセントしか出ていません」

「えっと、端的に言うと?」

「投入したコストに対して、リターンが得られていない」

「なるほど」


 要するにコスト割れってことね。あの世にもコスト意識があるとは驚きだ。


 「ですので、特例ではありますが貴方の再投入が決定されました。これは標準時一分後に実行されます」

「え、再投入?」

「貴方の死亡事象を歴史改変弾で修正します。弾着後、時空間変移によって貴方は自動的に再投入されます」


 女史がくいっと眼鏡を整える。


 「端的に言うと、生き返えるってことです」

「ちょ」


 そこでボクの意識はブツンと途切れた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る