【九】カンクリの戦い

 北方高原のほぼ中心。今は行われなくなって久しい遊牧民族の大集会クリルタイの会場である廃村に、少しずつ活気が戻り始めている。各部族から資材が運び込まれ、建物の修復が行われている。特に村の中央にある大型の移動式住居は最優先で修復され、かつての威光を取り戻している。その装飾の色は青。アルタイ族のシンボルカラーだ。


 カーシュガリーの呼びかけに応じて、三十余の部族が集結した。北方高原を回遊する遊牧民族の、大体三割ぐらいにはなろうか。かなり集まった方だろう。食糧の分配という実利があったにしろ、バダフシャンを撃退し氷の龍を退治した銀髪の美姫という威名は伊達では無かった。


 大型の移動式住居の中には、各部族の長、またはその代理が集っている。数十年振りに再開されるクリルタイの第一回会合。その議題の一つ目は、要となる総族長の人選。これはカーシュガリーが選出され、そして全員一致で承認された。


 そして二つ目。それは部族間での争いの禁止。これは暗に略奪禁止の方針を示したものである。これも承認される。そして最後に、キルメリアとダリアの両部族への制裁。今なお略奪行為を繰り返している両部族との戦争を意味する。これも、三度に渡る採決を行ったのちに承認された。


 指揮官はカーシュガリー。彼女は一週間で各部族から選出された戦士たち約千名を纏め上げ、討伐へと出撃した。春が到来する直前。一際冬の厳しさを増す中、吹雪に乗じてカーシュガリーの軍勢はキルメリア、そしてダリアと立て続けに撃破した。


 カーシュガリーは族長と戦士頭、そして非戦闘民を殺害した戦士たちを処刑することで、両部族の罪の償いとした。キルメリアとダリアは新しい族長を選出し、新たにクリルタイへと加わった。


 これにより、北方高原に吹き荒れていた暴虐のうねりは一旦終息へと向かうことになる。





  —— ※ —— ※ ——





 商業都市カンクリにおける「戒」の国のお役人といえば、控えめに言わせて貰えば無能の代名詞だ。ボクは、人間の基本的な能力ってのはみんな大体一緒だと思っている。得手不得手があったり経験値の多寡だったり、そういうので差が出来ている様に見えるだけだ。


 お役人に足りないのは何か。それはやる気である。基本ね、「戒」の本国から見ればカンクリなんて西の最辺境な訳である。「戒」の民衆にとっても、大堤防の内側が国内だという認識だ。つまりカンクリは左遷先なのだ。


 今のお役人のトップ、御領主はマオ・ハン。頭頂部が禿げ上がった小太りの中年男性である。たたぷたぷとした顎下がチャームポイント。いっその事全部毛を剃り、身体を鍛えれば精悍で逞しい男になれる素質があるのに、しない。常に酒を呑んでいるのか、その頬は常に赤らんでいる。


 一応調べた。元々は本国の上級役人である。租税処というからエリートコースである。ゆくゆくは内府処に入って政権中枢へと進出するつもりだったんだろうが、権力闘争で負けて左遷させられたそうだ。もう二十年も前の話である。


 カンクリに着任した当初からやる気の無さは評判で、税をちょっと高めに徴収するだけで後は放任。ペチェネグたち大商人たちの自治が結構大きい力を持っているのもその為だ。まあペチェネグたちにとってはやりやすい相手なんだろう。


 なので、こうやってボクみたいな小商人を呼び出すのは大変珍しい。ボクもマオ本人に直接会って話をするのは初めてだ。本国にある王の間をこぢんまりと再現した謁見室で、ボクは片膝を突いて頭を垂れる。マオは一段高い位置に座している。さすがに酒は吞んでいない。


 「お前がハフムードか」

「はい御領主様、お初にお目に掛かります。青銅符の商人、ハフムードでございます」


 青銅符とは「戒」が発行している商業許可証みたいなものだ。下から赤銅、青銅、黒鉄、白銀、黄金。階位が上であるほど、扱える商品や行動範囲が広がる仕組みだ。青銅はまあ、品の良い小規模商店だと思ってくれ。


 「問い質したいことがある」

「なんでございましょうか。恐れながらこのハフムード、御国の法には謙虚に従い、慎ましく商わせていただいております。御領主様の心騒がす様なことはい」

「米五千石、北方へ売るそうだな」


 マオがボクの口上を遮って、少し高めの声を出す。ボクはわざと口をぼんやりと開け、ああっ、と言った感じで笑顔を浮かべる。


 「はい。確かにペチェネグ商会様の、お手伝い、をしております」

「手伝いであると?」

「はい、左様でございます。その様な大商いの話、私のような小商人のところに来るわけもありません」


 ペチェネグ商会は白銀符。御用商人では無いというだけで、日常的に千石単位の米を扱う大商人だ。ボクなんかとは信用力が桁違いである。なのでこの案件、対外的にはペチェネグ商会が主体である。なので嘘は言っていない。


 しかし、なぜボクを呼び出したのか。この大商いにボクが深く関わっていることを、どこから嗅ぎつけたのだろうか。賄賂でも要求するつもりか? それならば話は早いが……。


 「バダフシャンを滅ぼしたのは、お前の差し金か?」

「……は?」


 ボクは本当に目を丸くする。


 「お前が大量の武具を調達していることは調べがついている。アルタイだけでなく、それをキルメリア族にも売ったのか?」

「ちょ、お待ちください。確かにアルタイの族長の依頼にて武具は調達しておりました。しかし大した量は集まっておりません。ましてやキルメリア族に売るなど、そもそも面識もございません」

「だがキルメリアとダリアが大量の武具を手に入れ、バダフシャン族を虐殺したのは事実だ。どこかにそれを売ったものがいる」

「それは、そうでしょうが……」


 言葉に詰まる。それを売ったのはあんたら「戒」本国の御用商人だよ、たぶん! なんだ? 本国と丸っきり連携が取れていないのか? こんなことで犯人扱いされても困るんだけど。


 「それに、北方の蛮族どもは御国の威に従わぬ者たちだ。そんな者たちに貴重な米をやるわけにはいかん」

「されど御領主様。ただでくれてやるのではございません。高値で売るのです。その利益は我ら商人を通じて御国を潤すことになりましょう」

「御国の為になるよう、我々役人は日々動いておる。米五千石はその邪魔になると言っておる」

「恐れながら。北方の民は飢えております。食糧が無くなれば、彼らも生きる為に選択をせまられるでしょう。その点を御一考ください」

「御国に攻めてくると申すか! 無礼なッ」


 マオは激昂した。手にした扇が投げ付けられ、ボクの額を叩く。別に痛くはない。痛くはないが、これで交渉は決裂した。マオは顔を赤らめたまま、弾く様に手を振った。退場せよとの合図だ。ボクは頭をもう一回垂れてから、謁見室から退室する。


 これで五千石の調達は難しくなったな。恐らく直ぐにでも布告が出るだろう。米の売買を許可制にするか、それとも北方との取引を中断させるか。さてどうするか。もう一度マオと交渉する場を作るか、役人の横暴を本国へ掛け合うか。どちらにしろ難易度がぐんと上がったのは間違いない。


 しかしどうにかしなければ。北方の遊牧民も飢えれば、バダフシャンやキルメリア、ダリアの様に略奪をするしかない。その時に真っ先に犠牲になるのは女子供だ。


 「……ッうぐ」


 脳裏にイヤな光景が蘇り、ボクは口を押さえて吐き気を堪える。ごくりと今日の朝ご飯だったものを飲み下す。はー、やれやれ。ここは何とか踏ん張り処だな。何よりカーシュガリーの期待は裏切りたくない。ボクは胸元をさすりながらマオの屋敷を後にした。





  —— ※ —— ※ ——





 それは北方から吹く冷たい風が強い、月夜の晩であった。


 商業都市カンクリはひっそりとしていた。普段は夜遅くまで篝火が焚かれて人が往来しているが、この風である。火の粉が舞い散って火事にならない様に、街の各所を照らす篝火は落とされていた。そして寒い。人々は早々に建物の中へと逃げ込んでいった。外にいるのは外れクジを引いた今晩の衛兵たちぐらいである。


 火矢は風上から打ち込まれた。漆黒の草原から星空に弧を描き、しかし音無く建物の屋根に次々と突き刺さる。大抵の家屋は木で出来ている。乾燥した冬の空気と強い風。あっという間に火は燃え盛り、風上から風下へと街を包み込んでいく。


 「てっ、敵襲ーッ!」


 衛兵たちの怒声と共に早鐘の音が響き渡る。しかし遅い。もう街の半分が火の海に包まれている。街の四方に設置された城門は、内側から開け放たれた。わらわらさ焼け出された住民たちが街の外へと避難する。


 そこへ、騎馬の軍勢が襲いかかった。草原から走り込んできた騎馬の群れが城門をかすめる様に走り込み、そして草原の闇へと消えていく。それが幾度となく繰り返され、その度に避難してきた住民たちが倒れていく。騎馬の軍勢は街の中へは入っていかない。城門前で待ち受け、淡々と逃げ出してくる住民たちを狩っていく。


 勘が良かったのだろうか。馬車で駆け出した者もいたが、瞬く間に火矢が打ち込まれていく。車軸が燃え砕け、馬車が横転する。瞬くままに騎馬の一隊が取り囲み、御者や警護の兵を斬殺すする。


 「き、貴様等どこの部族だ! ワシは「戒」の国の役人ぞ。そんなことをしてただで済むと思っているのか!」


 横転した馬車から這い出てきたのは、マオ・ハンであった。彼は顔を赤く染めて、馬上から見下ろす男たちを罵倒する。彼らは無言だった。ただじっと冷たい目でマオを見下ろしている。喚き続けるマオもついにその空気を察してか、開いた口から声が出なくなった。脚が震えている。


 ゆっくりと。一騎の騎馬がマオの前に進み出た。一回りは大きいかという赤毛馬に、精悍な顔つきの若者が乗っている。双牙虎の皮で出来た鎧、顔に刻まれた十字傷。随分雰囲気が変わってしまっていたが、マオはその顔を思い出した。


 「貴様は、バダフシャンの……!」


 最後まで言葉を言い切ることは無く、マオの首は赤く燃え盛る星空を舞った。






 ボクたちは街の北東、蔵が建ち並ぶ区域へと避難していた。蔵は火災対策で総煉瓦造りだ。水路で区切ってもある。既に相当数の住民たちが避難してきて、彼らは街を焼き尽くしていく大火を呆然と見つめている。


 その中で忙しなく動いているのは、ペチェネグを始めとする商人ギルドの面子だった。この状況下で真っ先に動くべきなのはお役人だが、どうやら指揮系統は機能していない様だ。上からの指示が来ない衛兵たちは早々に逃げ出すか、漫然と持ち場で立ち尽くすのみだ。


 ギルドの男たちは大型の木槌を持ち出し、蔵へと延焼してきそうな箇所を破壊して回っている。この時代、水で消火するなんてのは望めない。燃えそうな家屋は破壊して、そこで延焼を食い止めるぐらいのものだ。


 「どうやらどこぞの部族の襲撃らしい。城門前は酷い有様だ」


 ペチェネグが吐き捨てる様に告げる。街の外に逃げなかったのは正解だったな。騒動が始まった時、ボクは桐姫と同じ寝台にいて起きていた。だから宿酒場に燃え移る前に逃げられた。ついでに周囲の住民には蔵の区域へ逃げる様に触れ回ってから、ここへ避難してきた。一部の人間は街の外へと向かったみたいだが、こればっかりは仕方が無い。


 「どこの部族かは分かっているんでしょうか?」

「そこまでは分かっとらん。まさか、クリルタイ連合の連中ではないだろうな?」

「それは無いですよ」


 カーシュガリーが手綱を握っている以上、少なくとも現段階ではあり得ない。くどい様だが商業都市カンクリはこれでも「戒」の都市だ。カンクリを襲うということはイコール東の大国「戒」を敵に回すということ。今の遊牧民族にそんな余裕は無いし、そして、まだそこまで飢えていない。


 桐姫がボクに囁く。


 「敵はそれほど数は多くない」

「そうなのか?」

「数が少ないから城門から動かない。街中に入って戦場が広がれば、数が多い方が有利になる。だから入ってこない」

「それじゃ、じきに引き上げる?」

「多分」


 なるほど。しかしそうなると分からんな。なんの為に襲撃してきたんだ? 数が少なく街中に入れないのであれば、物資の略奪は出来ない。単に住民を殺しにきただけ? んなアホな。


 「……おい」


 桐姫がボクの前に立つ。すらりと愛刀白姫を抜く。ササンがボクの後ろに隠れる。ボクと桐姫の視線の先には、大火の炎に包まれた道が延びている。その道、炎の反対側からゆらりと影が生まれた。それは騎馬の姿となって、こちら側へと出てくる。


 大きな赤毛馬。それに騎乗するは顔に十字傷をつけた男。長い斧槍を手にしたその者は、じっとボクを睨み付けた。どうみても殺意マシマシです。何か恨まれるようなことをしたっけかな。でも見覚えが……。


 「久しぶりだな、ハフムード」


 見覚えは無くても、その声は聞き覚えがあった。


 「……まさか、ビリグなのか……?」


 思わず声が上擦った。そう言われれば、面影が無い訳でもない。しかし今の彼には、かつてあった優しさという色が丸っきり抜け落ちてしまっている。これではまるで、あの男の様だった。


 ——彼の父親、残虐王によく似ていた。


 ゆっくりと騎馬が近づいてくる。桐姫が腰を落とし、白姫を下段に構える。


 「なんでこんなことをする?」

「知れたこと。我が一族の恨みを晴らす為よ」

「恨み? バダフシャンを襲ったのはキルメリアとダリアだろうに」

「そうやって他人を裏から操り、意のままにしようとする。それが許せぬ」

「なんのことだ?」

「お前もか、ハフムード。我らと取引しなかったのはこの為だったのか。ありえる話だな」


 そういって少しだけ、ビリグは自虐的な笑みを浮かべた。しかしそれも一瞬。彼の表情は、父そっくりとなっていた。


 「死ね」


 刹那、金属のかち合う音。ビリグが突き出した槍を、桐姫の白姫が斬り上げた。そのまま桐姫は二手目を繰り出すが、赤毛馬はそれを鼻先で躱す。そして再び繰り出された槍先が、桐姫の頬を薄く斬る。


 強い! あのアラシュの村での戦いを彷彿とさせる。いや暴虐王より強いかも知れない。ビリグは槍の根本で桐姫を打ち、体勢が崩れる。その一瞬の隙に赤毛馬が跳躍する。それは真っ直ぐボクの方へと落ちてきて、ビリグは槍を突き出してボクの胴体を貫こうとする。


 「はッ!」


 動いたのはササンだった。彼女は短剣を数本に浮かせて宙返りをし、その足指で短剣を掴むと脚を振って短剣を投げ付けた。腕で投げるよりも速い速度で飛ぶ短剣がビリグを襲う。三本は槍で薙ぎ払い、しかし一本が肩口に命中した。鮮血が舞う。


 更にそこへ、騒動を聞きつけたらしいギルドの男たちが駆け付ける。ビリグは口元を歪めると、さっと馬首を翻した。現れた時と同様、その姿は炎の中へと消えていく。


 ボクはその場にへたり込む。やれやれ助かった。あのままだったら殺されていたかもな。ペチェネグが遅れて到着し、ボクは襲撃してきた部族がバダフシャンの生き残りであることを報告する。


 バダフシャンは夜の内に姿を消していた。しかしカンクリを焼く炎は三日三晩消えることはなかった。





  —— ※ —— ※ ——





 あれから一ヶ月が経過した。厳冬も緩み始め、春の兆しが見え始めている。商業都市カンクリは再建しつつある。やはり西の最辺境といえども大国「戒」の都市である。東より再建用の物資を積んだ荷馬車と人足が連日到着している。さすがだね。蔵の被害が少なかったのも大きい。ただ、さすがに行き交う商人の数は減った。商売は安全であればこそだ。仕方が無い。


 そして。それと平行する様に軍隊が送られてきた。数は五千。大兵力だ。彼らはカンクリの外で野営をしてしばし休息したのち、北方高原へと向かっていた。目的は無論、カンクリを襲ったバダフシャン残党の討伐である。


 「負けるな」


 楼閣の上から軍隊を一望した桐姫はそう呟いた。うん、なんとなくボクにも分かる。騎馬の数が少ない。ほとんどが歩兵だ。カンクリに籠もって戦うなら兎も角、遊牧民族のテリトリーに行って戦うのはちょっとツライ。


 結果は桐姫の予想通りになった。話に寄れば、戒の軍隊は一ヶ月もの間バダフシャンを追って高原を徘徊し、その疲れ切ったところを襲撃されて敗北したそうだ。カンクリまで帰ってきた兵はわずか数百。大敗北である。


 そして。再び暴虐王の威名が轟くことになる。ビリグは文字通り、父の跡を継いだのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る