【七】氷の龍

 冬である。北方高原は雪はさほど降らないが、乾燥した冷たい風は常に吹いている。西から東へ、びゅんびゅんと。かなり強いので背の高い荷馬車は煽られてひっくり返ったりする。先日も不慣れな商人がそれで荷馬車を壊していた。あらら。新しい土地に来たら周囲をよく観察しないとね。


 「お断ります」


 ボクははっきりと意思表示をした。ペチェネグに対して明確に拒否するのは、ボクとしては多分初めてじゃないかな。彼には世話になっている。そして商売抜きで付き合いが出来る相手だ。だが、それでもイヤなことはある。


 商業都市カンクリ。中央通りにはペチェネグ商会の立派な事務所がある。その二階、商会主の個室で、ボクとペチェネグは差し向かって紅茶を飲んでいる。甘味として柔らかい焼き菓子が添えられている。お得意様向けのご馳走だ。


 ペチェネグはイヤな顔はせず、一つだけ溜息をついてから紅茶を啜る。


 「そうか、イヤか」

「大体ですね。その氷の龍とやらの話、本当なんですか?」

「北の村落が実際に襲われている。村丸ごと氷漬けらしい。そんなのは龍でなければ出来まい?」


 龍、龍かよ。ボクは心の中で頭を抱える。精霊、妖精、そして龍。そこの世界において、そう言った幻想動物の類は確かに存在する。ほとんど見ないけどね。ボク自身は一角馬を見たぐらいかなあ。桐姫が首落としちゃったけど。


 龍ってあれでしょ、どでかい恐竜みたいなやつ。それとも昔話に出てくる様な蛇みたいに長い身体をしたタイプだろうか。どちらにしても大きい。そんな巨大生物が突然現れるもんかねえ。相当目立つと思うんだけど。


 北方高原の北辺にはジャニベグ山脈が東西に横たわっている。針葉樹の森を抜けた向こう側、麓から天辺まで万年雪に覆われている山々だ。人間はほとんど住んでいない(はず)。その山の中腹に、氷の龍の巣を見つけたらしい。それを討伐しようという、そういう話だ。


 なぜ氷の龍を討伐するのか? それはこのカンクリまで届いている異常な寒気の原因が、氷の龍の活動が活発になったからと言われているからだ。麦の凶作の噂は、もうこの頃には一般の人々の間にも広まっていて、それは実際に供給量の激減という形で現れていた。そして今年の冬の異常な寒気。これらの理由を氷の龍に求めたらしい。


 本当ですかねえ? ボクとしては迷信だと思う。たかが一体の生物に天候を左右する能力があるとは思えない。でもまあ、それを言っても仕方が無いか。それはボクが前の世界の知識を持っているが故の判断だしね。


 問題なのは。なぜボクがそれに同行しないとならぬのか、という点だ。


 いや白羽の矢が立った理由は分かる。氷の龍の討伐にはカンクリからの他、北方高原の遊牧民族からも精鋭の戦士たちが参加する。総勢三十名ほど。少数精鋭。だがこれでも、雪深いジャニベグ山脈を踏破するには大人数過ぎる。現地の案内人は確保してあるが、彼らがフォローできるのは精々が二、三人までだという。


 そこでボクの「倉庫」の出番という訳だ。つまり「倉庫」に精鋭部隊を入れた状態で出発し、ボクが案内人と共に雪山を突破。龍の巣に着いたら「倉庫」から精鋭部隊が出て戦う。これなら雪山の移動で精鋭部隊の体力が消耗することもない。大型の武具も運搬出来る。万全の状態で、龍退治が出来るってわけだ。


 「大体なんでカンクリの商人ギルドが、北辺の件に首突っ込んでいるんですか?」

「お役人からの依頼でな。ワシもあまり気が進まんのじゃが、背に腹は代えられなくてな」

「役人が……?」 


 ここカンクリでお役人といえば「戒」の国の官僚のことだ。時々忘れそうになるが、商業都市カンクリは東の大国「戒」における最西端の都市だ。大体ここに流されてくるのは中央政界での政争に負けた連中なので、大抵目が死んでいる。統治には興味なく、時折思い出した様に税金を搾り取っては昼間から酒をカッ食らっている。


 そんな連中が、どうして勤労意欲に目覚めたのか。溜息が出る。普段からちゃんと働いて欲しいんですよね。そもそも遊牧民族同士のゴタゴタだって、あんたらがちゃんと目付してればと一言文句が言いたくなる。


 だが悲しいかな、こちらは一介の小商人。お役人に目を付けられては今後の商いに影響が出る。いやもしかして、これの為か?


 この冬、ボクは武具の調達に奔走している。例の、カーシュガリーから依頼された件だ。しかしこれがどうも上手くいかない。そもそも武具の流通量が減っている上に、それならばと職人に作成を依頼しても断られるケースが多いのだ。数年前に「戒」で発生した乱が終息し、武具は余っていると思ったんだがな……。


 ひょっとしてボクに依頼を受けさせる為に、役人側で手を回している? いやそんなことはないか。それは自意識過剰というものだ。


 「分かりました……引き受けましょう」

「悪いなハフムード」

「その代わり武具の調達の件、宜しくお願いしますよ」

「ああ、分かっておる」


 ペチェネグは柔らかく微笑んだ。





  —— ※ —— ※ ——





 ボクは渋い顔をしていた。それどころか喧嘩を売るような顔かも知れない。いけ、今こそ正義の鉄槌を食らわせるのだ。いかんいかん、堪えろボク。さすがにこの状態で喧嘩を売ったらボクは死ぬ。ここは愛想笑いで乗り越えるんだ。にこっ。


 そんな胸中の闘争を知ってか知らずが、その人物は悠然と僕の前にまで歩み寄ってきた。


 「お前さんが、ハフムードって奴か?」
「ハイ、ソウデス。以後お見知りおきを」

「前にどっかで会ったよな? どこだっけか」

「気のせいでは?」


 眼前にいるのはあの暴虐王だった。額には、ボクが火縄銃でつけた傷跡が生々しく残っている。奴は無精髭を撫でながらこちらを撫で見回している。上から下から、右から左から。そして後ろに振り返る。暴虐王の背後にはビリグが控えていた。


 「こいつがオズグを殺ったてか?」

「そういう話ですね」


 ビリグの僕を見る表情は相変わらず固い。誰だ、そんな噂をばら撒いているのは。ボクは手伝っただけで、元はアルタイとバダフシャンの争いだろう。


 「ふーん、まあいいや。今日は面白い手品見せてくれるって? 楽しみにしてるぜ」


 そう言って暴虐王はボクから離れていった。続くビリグ。すれ違い様、一瞬だけこちらを見たが、結局何も無かった。二人の姿は、周囲に集まった戦士たちの中に紛れていく。


 あれから一週間。準備はあっという間に整い、ついに龍退治へと出発する日になった。集結地は北方高原の中央辺りにある廃村である。珍しく冬風の無い、穏やかな日だ。この廃村、元々は遊牧民族が年一回の集会を開く為に設けた村落だったという。昔は数十人が一同に介することの出来る大型の移動式住居があったそうだが、今は見る影も無い。昔はゆるやかな共同体だった遊牧民族も、暴虐王が暴れるようになってからはその慣習も失われた。


 「昔はこうやって各部族が集まったそうだ。父がよく話してくれた」


 銀髪の美姫、カーシュガリーが話しかけてくる。彼女は何か眩しいものを見るかのように、周囲を見渡す。周りには選りすぐりの戦士が三十余名。見送りの者がちらほらと見受けられる。商人たちからは物資が提供されて、既にボクの「倉庫」に収まっている。


 「大体揃ったかな」

「どうやら幾つかの部族は、戦士を出さなかったようだな」

「そうなのか?」

「ああ。キルメリア、あとダリアの者の姿がないな。まあ仕方が無い。皆苦しいのだからな」


 カーシュガリーが長い睫を伏せる。この騒乱の地で大部分の部族が集まったこと自体、遊牧民族たちの危機感の表れともいえる。更に言えば、もう既に人を出すことが出来ないぐらい困窮し始めている部族もあるということの証左にもなっている。


 「そういえば、お主の妻たちの姿が見えないが?」

「ササンは今回お留守番。桐姫は品定めに行っているよ」

「そうか一人では無いのか。残念だ」

「残念? 何が残念なの?」


 ボクは食いついたが、カーシュガリーは笑っていなした。







 「ほほう、これが例の手品か」


 ボクが「倉庫」の扉を開くと、暴虐王は目を丸くした。誰よりも早く中へと入っていき、そして顔を出す。


 「広いな! どこまで続いているんだ?」

「さて、どれだけ広いのか私も知りません。あまり奥まで行くと戻ってこられないかも知れません」

「ほほう!」


 面白い面白いと、何やらはしゃいで顔を引っ込めた。続いてビリグが中へと入っていく。それに各部族の戦士たちが続く。最後はカーシュガリーだ。


 「龍の巣までは確か一週間程度だったな。さて、中で喧嘩など起きなければいいが」

「それは大丈夫。喧嘩する暇なんてないから」


 そう言ってボクは「倉庫」の扉を閉めた。





  —— ※ —— ※ ——





 高原の北辺までは馬で二日程度。そこまでは護衛の兵が数人付き添ってくれた。雪に埋もれた針葉樹の森とその先に白い山脈が見えてくる。そこで案内人である現地民と合流し、徒歩に切り替わる。護衛の兵たちはここでさよならだ。


 雪山の登山は初めてだったが、予想外に順調に進んだ。風が大人しく吹雪いていないのは珍しいと、案内人がにこやかに笑う。いやそうは言ってもね、初心者であるボクにとっては雪道を掻き分けるだけでも死にそうになっている。愛想笑いすら出ない。これで順調なら、そうでなかったらボク死んでるよ。


 斜度が段々キツくなり、針葉樹の森を抜け、凍った岩場を越えていく。ぐるりと山を回るように谷間を抜けていく。


 その途中、とんでもないものを見つけた。谷間の底に何か大きなものがある。単眼鏡で覗いてみると、何か巨大な生物の死骸だった。蛇の様な長い身体と、白骨化した頭蓋骨。蜥蜴の様にも見えるが、大きさが段違いだ。全長で五十メートルはあるんじゃないのか。


 「あれが氷の龍だよ」

「……あそこで死んでいるっていうことは、討伐の必要は無いってこと?」

「巣を作っているということは、最低でも雄雌一匹ずついるってことだろうな」


 そうですよね。まあこれで討伐する数が一匹になったのは喜ぶべき事かな。ちなみにご家族でいらっしゃった場合は、やはり全部討伐する必要があるんですかね? ちょっと考えたくない未来だった。


 そうして。廃村を出発してから丁度一週間。予定通りに到着した。

 龍の巣。それは小さな盆地の一番底に作られていた。どこからか掻き集めた針葉樹の木で、鳥の巣のようなものが形成されている。その表面は凍っていて、陽の光を浴びて輝く。丁度真昼。天候も良好。狩りをするには良い日だった。


 盆地を見渡せる崖の上に陣取ると、ボクは「倉庫」の扉を開いた。


 「着きましたよ皆さん」

「なに? もう着いたのか?」


 最初に出てきたのはカーシュガリーだった。出てきた瞬間、冷えた空気に思わず身震いをする。用意していた防寒衣を慌てて着込む。毛がもこもこしていて暖かそう。他の戦士たちも白い息を吐きながら続々と出てくる。最後に出てきたのは暴虐王とビリグだ。防寒衣は着ないようだ。寒くないのかな?


 「おおっ、あれが氷の龍か! ちょっと想像していたのとは違うな」


 崖の先端に立って、巣の上に陣取る氷の龍を見る暴虐王。暴虐王がどんなのを想像していたのかは知らないが、ボクも同感だ。ティラノサウルスに翼がついた感じのを想像していた。でも実際の龍は、どちらかというと蛇のデカイ版で手足は見当たらない。巣の上にとぐろを巻いて寝ている。翼も無いからきっと飛ばないんだろう。


 戦士たちは黙々と武装を整える。主武装は斧槍と弩弓だ。斧槍は金属製の槍の先端に大きな斧がついている武器だ。長さは背丈を超える。人間相手には大型過ぎて使いにくいが、遠心力で振り回せるので当たればデカイ。桐姫も一本受け取り、ぶんぶんと振り回して感覚を馴染ませている。いやあの細腕のどこにあんな力があるんだろうなあ。あるんだよな、ボクは身に染みて憶えている。


 弩弓は西方ではクロスボウとも呼ばれる。横倒しになった弓に太く短い矢を装填し、引き金を引いて射出する。弦を巻き上げるのに時間が掛かるが、その分威力は大きい。いずれもカンクリの商会ギルドが手配したものだ。


 指揮を取るのはカーシュガリーだ。暴虐王辺りが文句を言うかと思ったが、奴は黙ったままだった。今回の奴は大人しい。あのアラシュ族を略奪した時とは大違いだ。怪しい。何か企んでいるのか? 注意しておこう。「倉庫」の中に火縄銃は準備してある。


 カーシュガリーは戦士たちを五隊に分けた。斧槍隊が二隊、弩弓隊が二体、そして別働隊が一隊である。ちなみに斧槍隊には暴虐王と桐姫。弩弓隊にはカーシュガリーとビリグが入っている。ボク? ボクは崖の上でお留守番。兼、長期戦になった時の補給係だ。


 作戦は至ってシンプルだ。まず斧槍隊の二隊で氷の龍の前後を挟み込み、交互に攻撃を加える。龍が前に進めば後ろの隊が尻尾を攻撃する。それに反応して振り返れば、今度は前の隊が尻尾を攻撃する。更に弩弓隊は左右から攻撃を加える。そうやって少しずつ傷を負わせて失血死させるという訳だ。


 「何か異存のある者はいるか?」


 カーシュガリーが戦士たちを見回すが、声を上げる者はいない。カーシュガリーは最後に暴虐王をじっと見つめたが、奴は少しだけ口元を歪めただけだった。


 風が吹いて、カーシュガリーの銀髪が美しく揺れる。天候が変わり始めてきたか? もたもたしている時間は無さそうだった。


 ——戦いは静かに始まった。声を上げて突撃なんてことはしない。巣に鎮座する氷の龍に向けて、前方から斧槍隊の一隊が近づいていく。先頭は暴虐王だった。奴は肩に斧槍を乗せ、どこかに散歩に行くような雰囲気でざっさっと雪を踏み締めていく。


 巣まで五十メートルか。ぴたりと暴虐王が歩みを止める。鋭い眼光が氷の龍に注がれる。龍は微動だにしない。が、その片目がゆっくりと開く。は虫類みたいな瞳孔が、暴虐王を捕らえる。


 その動きを、ボクは捕らえ損ねた。気がついた時、暴虐王は氷の龍の鼻先まで詰め寄っていた。龍も反応し、その頭を鎌首のように持ち上げる。しかし暴虐王の方が速かった。


 がつん。


 まるで金属同士がかち合った様な重い音だった。氷の龍の頭が持ち上がる直前、暴虐王の斧槍が横に薙ぎ払った。衝撃で龍の上体が巣の外へと落ち、暴虐王の身体もそん反対側へと吹き飛んでいく。血は出ない。斧槍の刃は龍の牙に当たったのだ。


 歓声が上がり、すかさず他の斧槍隊が殺到する。後ろからは桐姫が初撃を加え、斧槍の刃を尻尾に食い込ませていた。透明な鱗が爆ぜ飛び、青い血液が辺りに飛び散る。


 氷の龍は体勢を整えようというのか、その長い身体をうねらせながら移動する。そこへ弩弓隊から放たれた矢が突き刺さる。震える龍。その間に、斧槍隊は再び前後に挟み込み、後ろから順に攻撃していく。シャーと威嚇の音を立て、龍の口が上から襲いかかる。斧槍隊の一人がその牙で腹を食い破られる。


 「ちッ!」


 暴虐王は龍の脳天目掛けて斧槍を落とすが、鱗は歪んだだけ。尻尾の方に比べて鱗が厚い。しかし動きは鈍った。


 「おおおッ!」


 そこへ岩陰に隠れていた別働隊が殺到する。彼らの武器は攻城槌。攻城槌とはあれよ、太い丸太を大勢で持って、鐘衝きの様にして城壁を破壊する質量兵器だ。しかも先端を尖らせて、更に鋼の刃を付けた特注品だ。その破城槌が、動きが止まった氷の龍の土手っ腹に命中する。めり込む先端。そして溢れ出す青い血。


 龍の後方では、後方の斧槍隊が尻尾の先端から順に刃を食い込ませていく。白かった雪が青と、そして少しの赤に染まっていく。


 そして。暴虐王が止めの一撃を振り下ろした。自らの血に濡れた氷の龍の首の付け根に、斧槍が深々とめり込む。その刃は首の中央まで到達し、やがて龍は地に伏して動かなくなった。


 辺りが静まり返る。戦士たちは皆、動かなくなった龍をじっと見つめている。風は雪混じりになりつつあった。暴虐王はほうっと息をつき、そして右腕を突き上げた。それを見て、戦士たちが歓声を上げる。氷の龍の討伐がここに成ったのだ。


 「待て!」


 だが、カーシュガリーだけが険しい顔を浮かべた。手を水平に伸ばし、周囲の者に静かにする様に伝える。すると「ぱき……ぱき…」という何かが割れる音が聞こえてきた。


 音は巣の方からだった。即座に暴虐王が斧槍を構えて巣の上に立つ。巣の中には、卵があった。人の大きさほどもある龍の卵。その殻が割れ、中から龍の子が顔を出した。


 大蛇よりも大きな龍の子。だが生まれたばかりのその身体の表面はまるで毟られた兎の肌の様で、固い鱗は見えない。眼前に立つ暴虐王の事が敵だと分かるのか、シャーと威嚇の声を上げるがいかにもか細い。


 「なるほど。確かに一匹だけでは無かったな」


 暴虐王はゆっくりと斧槍を振りかざす。龍の子は殻の中から威嚇するばかりで動こうとしない。いやまだ動けないのか。暴虐王はひ弱な獲物を哀れむ様子を見せず、一気に斧槍を振り下ろす。


 ——下ろそうとした瞬間。破烈音が辺りに響いた。宙空で止まる斧槍。暴虐王はその破烈音に聞き覚えがあった。あの火縄銃の音だ。暴虐王が斧槍を振り上げたまま、崖の上、つまりボクの方に視線を走らせる。


 間に合わない!


 ボクは火縄銃の銃口を天に向けて撃っていた。龍の巣までは遠くて声では届かない。ボクの場所だからこそ見えたもの。それは。


 「ッ? ぐはッ!?」


 突然、暴虐王を何か巨大な影が襲いかかった。その身体は宙を舞い、腹には二本の牙が深々と突き刺さって、背まで貫いていた。


 氷の龍だった。死体だった一体目、討伐した二体目、卵から生まれた三体目、そして四体目。突如姿を現した四体目の龍は、巣の上に居た暴虐王に食いつき、深々と牙を突き立てた後、宙空へと投げ捨てた。血にまみれた人体が、遠くの地面に落ちて転がる。


 「親父ーッ!」


 それはビリグの絶叫だった。しかし悲しむ暇など無い。巣の近くにバラバラと集まっていた戦士たちに、氷の龍が襲いかかる。龍が尻尾を振ると何人もの人間が弾き飛ばされ、動かなくなった。


 斧槍隊は早々に壊滅。離れていた弩弓隊は攻撃を開始するが、龍の動きを止める斧槍隊がいないのであっという間に龍に接近され、壊滅させられてしまう。カーシュガリーも龍の胴体に弾き飛ばされ、青い血に染まった雪の上を転がり、動かなくなってしまう。


 「破嗚呼ッ!」


 一人、桐姫が斧槍を振るった。その刃は龍の胴体へと食い込む。そのまま手を離し、襲いかかる尻尾の一撃を躱す。そして氷の龍と相対し、ゆっくりと腰に差した愛刀黒騎を抜く。


 シャー! 大きく口を開いて突撃してくる龍。桐姫は黒騎を真っ直ぐに構え、迫り来る龍へ向けて突き出す。


 その刹那。龍の動きが鈍った。見れば、右目に弩弓の矢が刺さっている。カーシュガリーだった。倒れたままの体勢から一矢報いたのだ。


 そして、突き出された黒騎が左目に命中した。桐姫は渾身の力を込めて、黒騎をその根本まで突き入れる。吹き出す青い血が、桐姫の赤い袴を染めていく。氷の龍の全身が震え、一回だけ口を開いて、そして絶命した。


 桐姫は竜の死骸から離れ、カーシュガリーの元へと向かう。彼女を抱え上げ、そして二人で周囲に注意を払う。風はますます強くなっている。彼女たちの警戒は日が落ちるまで続いた。龍の子は、そのまま卵の殻の中で息絶えていた。


 他の氷の龍はそれ以上現れず、こうして討伐作戦は一応の決着を見たのだった。





  —— ※ —— ※ ——





 暴虐王は死んだ。


 翌日になって天候が回復し、ボクたちは撤収準備を始めた。比較的軽症の者たちが「倉庫」の中に仲間の死体を運び込んでいる。全部で十体。その中には暴虐王のものもあった。ビリグが一人で崖上まで担ぎ上げ、そして扉の中へと入っていく。ボクの方は見なかった。


 そうか、死んだのか。どこか釈然としない思いが、ボクの心をもやもやさせる。アラシュ族の女性の死体が脳裏を掠める。そう、略奪の首魁である男が死んだのだ。ボクは理不尽に命を奪う者はキライだ。二人の幼馴染みはそうやって死んだ。あの光景はもう二度と見たくない。


 だから、暴虐王の死はボクにとって喜ぶべきことだ。これで北方高原は少しは平和になるだろう。ボクだって大人だ。全ての理不尽な死がこの世から無くなるなんて、思ってはいない。でも少しでも良くすることは出来る。そう思って、ボクは商人紛いのことをしている。


 だから、このもやもやの理由が分からない。






 そして、また一週間をかけて廃村まで戻ってきた。廃村には各部族から出迎えの者たちが来ていて、再会を喜び合った。氷の龍討伐の証は四本の牙である。その夜、牙を取り囲んでささやかな宴が催された。それは死んだ戦士たちを見送る儀式でもある。


 翌日。解散する直前になって、一報がもたらされた。それを聞いたビリグは顔を青ざめさせ、暴虐王の遺体を同族に委ねると一人早馬で自身の村落へと向かった。他にも何人かの戦士たちが同行する。


 一報の内容はこうだった。


 『バダフシャン族の村が、焼かれた』と。


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