【五】バダフシャンとの邂逅

 夜になった。満天の星空である。月並みな言葉だが、他に言葉が浮かばないんだから仕方が無い。この世界に転生して、まず最初に感動したのは星空の美しさだね。電気とかないから街中でも星が綺麗だが、この北方高原では特に際立つ。天球を舞うミルキーウェイ。そういえばこの空って元の世界と一緒なのかな? 昔は関心が無かったからな。星座の一つでも憶えておけば良かった。


 昼間の騒ぎだが、結局カーシュガリーが受け入れる判断をした。さすがに男たちは反対したが、最終的にはカーシュガリーに説き伏せられた。怪我人を見捨てるのは部族の誇りに反すること、そしてバダフシャンの評判が如何に悪かろうと現時点で戦争をしている相手ではないこと。この二点をカーシュガリーは強調した。


 まあどうだろうね。ボクとしてはちょっとお行儀良すぎるとは思うけど、意見を述べる立場に無いから黙っていた。


 バダフシャンの戦士ビリグとその親友は村落に迎え入れられ、早速親友に対して治療が施された。治療といっても元の世界のものに比べたら、正直何もしていないのとあまり変わりを無い。薬師が薬を塗り、血止めをし、後は本人の体力に賭ける。その程度だ。親友の傷は腹に恐らく剣でズブリ。残念ながら、助かるとはちょっと思えない。


 平行して、ビリグから事の経緯の聞き出しが行われた。カーシュガリーと副官カシムは神妙な面持ちで顔を合わせる。あまり良い話では無い。


 ビリグによれば、彼ら二人は買い付けを行う為に商業都市カンクリへと向かっていた。その途中、他部族に襲われて逃げたが、親友は怪我を負った。まあ各所から恨みを買っているバダフシャンならありえる話だ。問題は襲った部族とその場所だ。


 襲った部族の名はアラシュ族。アルタイの隣に位置する遊牧民族だ。アルタイとは友好的。場所がちょっとマズイ。この村落からそう離れていない街道上。そこはアルタイの遊牧地の中だった。つまり領域侵犯である。ただ通るだけなら問題無いが、諍いを起こしたとなると話は別だ。アルタイにも面子がある。


 カーシュガリーは、アラシュ族の村へ行って向こうの話を聞いてくると言う。当然カシムは反対。


 「だがあの戦士の話が本当だった場合、我らアルタイが裁定を下す必要がある。カシム、お前ではその責務は負えぬ」

「しかし、姫の身の安全が保証できません。使者を送り、アラシュ側から出向かせるべきです」

「もしこの話が偽りだった場合、それではアラシュの面子を潰すことになる。なに、護衛は連れていくし、ハフムードにも付いてきて貰う」

「え? なんでボク?」


 すっかり他人事だと思って油断していた。ササンとあっちむいてほいで遊んでいたボクは、慌ててカーシュガリーの方を向いた。


 「何か予期せぬ揉め事になった場合、第三者の裁定が必要になるかも知れぬ。その場合、お主が適任だ」


 そりゃまあ、そうですけどね。商人はその信用力で、小さな揉め事の裁定をすることもある。アラシュ族は商業都市カンクリに顔を出している。ボクの信用力も多少は通用するだろう。


 「それと正直に言えば、桐姫の腕を見込んでいる。立つのであろう?」

「ははあ、なるほど」

「人斬りは別料金を戴いております故、ご承知おき下さいませ」


 桐姫はボクの隣で丁寧に頭を下げ、微笑みを浮かべた。





  —— ※ —— ※ ——





 重傷を負ったビリグの親友は三日後に亡くなった。北方高原の遊牧民族の葬儀は、部族によって多少違いはあるが、年二回春と秋に纏めて行うのが一般的だ。遺体は内蔵を取り出して薬草を摘め、全身にロウを塗って防腐処理を行った上で布で覆う。そして時期が来るまで親族親類の元を巡り、その死を悼む。


 ビリグは親友だった物体を馬の背に乗せると、深々と一礼をして感謝の言葉を述べた。礼儀正しい青年だ。アルタイの人々の視線も、かなり緩やかなものへと変わっている。親友を亡くした傷心を抑え、紳士的に振る舞う姿はバダフシャンの悪名を感じさせない。


 そして一週間後。カーシュガリーを筆頭とした一団が隣族アラシュの元へと旅立った。総勢八名。カーシュガリー、ビリグ、ボクとササン、桐姫、そして護衛の男衆が三名。ボクとササンは一頭の馬に同乗し、他は一人ずつ馬に乗っている。荷馬車は無い。西に向かって片道三日ほどの行程だ。


 一日目。ただただ広がる高原を、カーシュガリーを先頭として進む。空を見上げると白い鷹が飛んでいる。どうやら道案内は彼の役目らしい。擦れ違う商人も旅人もいない。時折野生の鹿や羊の群れを見かける程度だ。旅程は何も問題無く進む。暇すぎてササンがうつろうつろ寝るので、後ろから支えるのに忙しかった程度だ。


 「ほほう、今日は魚か」

「海の魚だよ。食ったことないでしょう?」

「海の魚? 大丈夫なのか?」


 野営地でカーシュガリーが顔をしかめる。ボクが「倉庫」から取り出した海魚が今日の夕飯だ。「倉庫」はボクを中心にして三百六十度に開く。そして一度につき一つ、扉が開く。つまりあのだだっ広い「倉庫」が三百六十個あるのだ。扉のデザインと色は扉ごとに違う。今回開けたのは右九十度の赤い扉。二年前に「戒」の国を訪れた時に仕入れた物品が納められている。主に海産物だな。その一つを提供したわけだ。


 まあカーシュガリーが顔をしかめるのも無理は無い。ここから海までは遠く、この時代では冷蔵庫などあろうはずも無い。海の魚を高原に届けようとしても、途中で腐ってしまうだろう。


 しかし、ボクが取り出した海魚の鮮度は抜群だ。見て、この透き徹った魚の眼を。鮮度の良い証拠である。桐姫が曲刀白姫で捌き、慎重な態度を崩さない遊牧民族メンバーを尻目にボクとササンは刺身に舌鼓を打つ。ちゃんと魚醤も持ってきた。うん、美味いね! マグロとカツオのいいとこ取りをした様な味だ。


 「倉庫」の不思議な性質。それは「中に入れてあるものは腐らない」だ。これに気がついたときは思わずはしゃいだね。だってこの性質、前世にだってなかったものだ。しかも二年前に入れた生魚が、こうして生食できてしまう程の性能である。素晴らしい。


 「カンクリには不思議な商人がいるという噂だったが、本当だったのですね」 


 そう話かけてきたのはバダフシャンの戦士ビリグだった。ボクはちょっと眉間に皺を寄せる。そういえば挨拶するのは初めてだったな。実はボクの方から避けていた。でもここに至っては仕方が無い。お互いに名乗りと挨拶を済ませる。


 「実は貴方を腕利きの商人と見込んで相談があるのですが」

「米の調達ですか」


 ぴしゃりと、差し伸べてきた見えない手を叩くようにボクは答えた。多分そう来ると思っていた。あまり愉快な話ではない。だから避けていたのだ。


 「賢察ですね。そうです、アルタイの村で、貴方が米を調達したと聞きました。我らも是非貴方と取引がしたい」

「バダフシャン族も、麦が凶作になると思っておられるのですね」

「仲間の何人かが、実際に西へ赴きました。西は……酷い有様だと」

「だからバダフシャンは略奪をすると」

「……!」


 ビリグの表情が固まる。なるほどね。バダフシャンの粗暴さは昔から有名だったが、最近残虐王とまで呼ばれるぐらい酷くなったのは、それが理由か。予想通りといえば予想通りだ。


 「それとあんた、隠し事しているね」

「それは……」


 より一層、ビリグの表情は険しくなる。たぶんこいつ自身は良い奴なんだろうな。純度百パーセントの集団なんてありえない。乱暴者の中に心優しい者が交じっていることだってあるだろう。その点は同情する。


 「私は、バダフシャン族長の息子、ビリグだ」


 絞り出す様にビリグが答える。ボクはちらりと、そのビリグの後方を見る。焚き木の近くでカーシュガリーたちが刺身に舌鼓を打っている。酒も入っている。たぶんビリグの告白は聞こえていないだろう。


 バダフシャン族長の息子。まあ隠した理由も理解出来る。一介の戦士ならまだしも、族長の息子だったら、アルタイの人々はビリグたちを受け入れなかっただろうな。親友の命を救う為、嘘をついた。まあその甲斐無く死んでしまったけれども。


 「ボクは、バダフシャンとは取引しない」

「悪名を晴らしたら、考え直していただけるか?」

「略奪は嘘だと?」

「いえ……確かに我らは略奪をしている。それは変えようのない事実。だが、これからバダフシャンが変わるというのであれば、それでも取引してはいただけぬか?」

「バダフシャンが変わるというのは、にわかには信じがたい話ですね」


 ビリグは腰の剣を抜いた。その刀身をもう一方の手で掴み、握る。手のひらに食い込んだ刃先に血が滴る。


 「バダフシャン族長の息子ビリグの名にかけて誓おう。バダフシャンは変わると」


 遠く焚き木を背に、ビリグは憤怒の表情で誓いを立てる。ボクはそれをしばし見つめて、そしてふっと息を吐いた。世の中は常に変化していく。それを受け入れるのも商人の度量というものだな。


 「そこまで言われてしまっては仕方が無い。もし本当にバダフシャンが変わるというのであれば、その時は取引をお約束しましょう」


 ボクは手を伸ばし、ビリグと握手を交わす。ビリグとボクの掌の間から、血が滴り落ちて乾いた大地を濡らすのだった。





  —— ※ —— ※ ——





 アラシュは無人だった。禿鷹が村落の上空を周回している。移動式住居の殆どが焼け落ちて、死体はそのまま放置されている。外にあるのは大体が男で、剣や弓を握り締めていた。住居の中にあるのは女子供、それと老人だ。背中から斬りつけられたものが多かった。


 そしてどの住居も、食糧や貴重品の類は残されていない。羊や鶏、そして馬もだ。何かが鳴いたかと思えばそれは禿鷹で、カーシュガリーは死体に集るそれを剣で追い払う。


 ボクは中心から少し離れた住居の中を覗いて、固まっていた。その住居は入口で無いところが破られていて、そして中には女性の死体だけが残されていた。身包みは剥がされ、裸だった。背に一筋の傷があり、赤黒く固まっている。指が無い。たぶん指輪を奪われたのだろう。


 ボクはずっと固まっている。その目は女性向けられたまま、外すことが出来ずに居る。腹の底が冷え、更に全身へと震えとして伝播する。刹那、脳内に過去の情景がフラッシュバックする。冷たい壁に囲まれた安置室に据えられた女性の死体。そして焼け落ちる家屋と、焼け爛れた女性の死体。それらが交互にボクの脳を叩き、それらが重なり合った瞬間、嘔吐した。


 「うぐ……が、げほっ…」


 嘔吐は止まず、黄色い胃液が喉を焼くまで続いた。吐瀉物の上に跪くボク。震える手で口元を抑え、でもその隙間から胃液が漏れる。


 「ハフムード」


 小さな声。跪いたまま振り返る僕。住居の入口には、桐姫とササンがいた。少し目を伏せた桐姫が近づき、吐瀉物の上に膝を付いて、ボクの頭を抱き寄せる。胸の上で、ボクはげほげほと胃液を吐く。それを桐姫の両腕が優しく囲む。ササンはボクの背に抱きつき、その震えを抑える様に体重をかける。


 「ハフムード。安心しろ……私たちはずっとそばに居るから」


 外から聞こえてくる禿鷲の鳴き声に混じるかの様に、ボクは嗚咽を漏らした。





  —— ※ —— ※ ——





 ボクがこの世界で生まれたのは、名も無い寒村だった。地理的には「戒」の南方。狭い山道を抜けた先にある、谷間にへばり付く様に住居が点在する村だ。南の方だが標高が高い為か、文字通り寒い。棚田を作って稲作をしても収穫量は多くない。


 だから農作業の合間には森へ出掛けて木の実を採取する。鹿や猪が狩れれば、村の衆で分け合ってそれだけでお祭り騒ぎの様に喜んだ。村自体たぶんどこかの国の所領だと思うんだが、あんまりに貧しいからか、租税を徴収する役人を見たことがなかった。


 そんな娯楽も何も無い村だが、暇では無かった。貧しいとさ、忙しいんだよね。朝から晩まで働いても食っていくので精一杯。暇っていうのはある意味、豊かさの象徴でもあるんだなあと実感した。


 それでもボクが前世の記憶を取り戻して、そして「倉庫」の能力を使える様になってからは、少なくとも飢えることは無くなった。特に「倉庫」に入れた物は腐らない、これに気がついてからわね。


 自然の恵みってさ、結構気紛れだ。鹿と何ヶ月も出会えない時もあれば、二、三頭纏めて狩れる時もある。そういった良かった時の余剰分っていうのは、普通は米とか木の実とかでないと蓄えられない(だから穀物は重宝される)。でも「倉庫」があれば、鹿の肉でも猪の肉でも魚でも蓄えて、食べたい時に食べられる。蓄財が出来るわけだ。


 このお陰で、村はちょっとだけ豊かになった。少なくとも母親の乳が出ないとか、そういうのが無くなった。ああ、良かったなあと思った。このままちょっとずつ良くなっていく、そんな気がした。


 ——気がしただけだった。


 ある日狩りから戻ってくると、村は燃えていた。野盗の一団に襲われたらしい。らしいというのは、ボク自身はそのシーンを見ていないからだ。戻ってきた時には全て終わっていた。家は焼け、村民は全員殺されていて、わずかな蓄えは全て無くなっていた。村に残っていたのは、踏み荒らされた足跡だけだった。


 何もこんな寒村にまでやってきて略奪しても、わずかな獲物しか無いのに。だったら金持ちを狙った方がいいんじゃない? でも野盗には野盗の言い分がある。金持ちは金があるから用心棒を雇える。でも貧しい奴は貧しいから用心棒なんて雇えない。だから貧しいところから狙う。出来るだけ貧しくて、ちょっと蓄えがあるのならより良い。なるほど、理に適っている。


 ボクは焼け落ちた小さな家の前で、立ち尽くしていた。自分の、小さな家。そこには妻がいるはずだった。こんな狭い寒村だ。同年代は全員幼馴染みみたいなものである。その笑顔が好きだった。つまりボクはこの世界でも幼馴染みと結婚して、そして。


 黒ずんだ柱の陰に一体の焼死体を見つけた時、脳裏にはあの安置室の光景が激しく明滅して、ボクは吐いた。涙を流しながら吐いた。


 またか、またなのか。腹の底が心底冷えるのを感じた。分かった、分かったよ。この時にボクの生き方は、たぶん決まったのだ。この世の全てが平和になりますように。弱い者が殺されない、平和な日常が訪れます様に。


 何日かかけて村人全員の埋葬を終えると、ボクは生まれ育った寒村を離れた。以降、商人紛いのことをして旅することになる。





  —— ※ —— ※ ——





 ビリグは馬を降り、足早に荒れ果てた村落を見回った。その頬に汗が滴る。暑いからでは無い。正に冷や汗というやつだった。だれがアラシュ族を襲ったのか。痕跡となるものは、四方八方を踏み荒らした馬の足跡ぐらい。恐らくは同じ遊牧民族。だからビリグには最悪の心当たりがあった。


 「これは……ッ」


 そして見つけてしまう。一本の矢が男の死体に刺さったままになっている。恐らく抜けなかったから回収しなかったのだろう。その矢の羽の色は赤く染められている。


 「おう、なんでい。ビリグじゃねえか。こんなトコロで何してやがる?」


 頭上から野太い声が降りてくる。はっと見上げると、そこには逞しい赤毛馬に騎乗した一人の益荒男が居た。その瞳はビリグと同じく、漆黒色である。


 「親……父……」


 苦渋の表情で見上げるビリグ。親父、それが意味するところは一つ。この益荒男がバダフシャン族の族長。世に暴虐王と恐れられる人物であった。


 「おめえ、カンクリに行くとか何とか言ってなかったか? それにジュズの姿が見えねぇが」

「親父……この村を襲ったのは、親父なのですか?」

「ん? なんでそんな分かりきったこと聞くんだ? みりゃ分かるだろ」


 暴虐王はきょとんとした目で息子を見つめる。まあまあの収穫だったな、と周囲を一望してから髭をさする。


 「食糧の件は! 私が商人から買い付けるので待って欲しいと申し上げたはずッ」

「おめえのやり方はまどろっこしいんだよ。商人から買って、それがいつ届く? 連中を信用できるのか? その責任をお前が取れるのか?!」

「それは……!」

「飢えてからじゃ遅いんだよ。この方法が一番手っ取り早い」


 そこには歪んでいても王の威厳があった。それに威圧されるかのように、ビリグは唾を飲み込み、一歩後ずさる。

 その背後に、ボクは立った。気がついて振り返ったビリグの表情が、今度こそ凍った。


 「やあビリグ。残念だ、とても残念だよ」


 ボクは、あの女性の死体を抱き抱えていた。口元がどうしても歪んでしまう。そしてどんだけ酷い目をしていたのだろう。その視線に晒されたビリグは必死に唇を動かす。


 「ハフムード殿、これは」


 だがビリグの口からは、それ以上の言葉は出てこなかった。何を、どう言い分けするというのか。苦悶の表情を浮かべるビリグだったが、ボクには何の感情も湧いてこない。腹の底が冷え切っていたからだ。


 「残念ですが、約束の件は無しということで宜しいですね」

「う、く……」

「ボクは略奪者を許さない」


 突然、ボクの眼前で火花が散った。ビリグの背後から槍が突き出され、それを桐姫の愛刀黒騎が斬り払ったのだ。槍の主は当然、残虐王。


 「なかなか良い用心棒、雇っているじゃねえか」

「用心棒では無い、妻だ」


 残虐王と桐姫がニタリと笑う。桐姫が緋袴を翻して一刀を繰り出すと、残虐王はまるで自分の手足のように赤毛馬を操り、後退してそれを躱す。槍と剣を交わらせながら、二者は村の中央へと移動していく。


 「ビリグ、ボクはあんたとは殺し合いたくない。ここから離れることをお勧めするよ」


 ボクは女性の死体を丁寧に寝かせてから、ビリグの横を抜けて二人の後を追う。続くササン。ビリグは地面を見つめたまま、ただ立ち尽くしていた。





  —— ※ —— ※ ——





 まあ一族の長たる暴虐王が一人で行動している訳も無く。焼け落ちた村落のあちこちから騒々しい馬の足音と剣戟の音が響いている。カーシュガリーとは何かあれば村の中心に集まるようには事前に話をしておいた。だから響き渡る音は一カ所に集まり始め、そして双方の面子が村の中心で相まみえた。焼け落ちた移動式住居を間に挟み、睨み合う。


 赤いバダフシャン族は暴虐王を含めて総勢五騎。全員馬に乗っている。ビリグの姿は無い。対して青いアルタイ族はカーシュガリー含めて総勢四騎。あとボクと桐姫とササン。桐姫は口笛で馬を呼び寄せて騎乗する。ボクとササンは戦力外なので、まあ五分だろう。


 「あんたアルタイの姫、カーシュガリーだな?」

「初対面のはずだが、バダフシャンの王よ」

「お互いそれだけ有名人だってことさ、銀髪の美姫さんよ。どうだい、オレの妾にならねえか?」


 暴虐王の配下たちが冷やかすように声を上げる。ひゅー、さすが王サマ。オレたちにも回してくれるんですよねえ。カーシュガリーの端麗な眉がぴくりと動く。いやいやすごいね、あれが蛮族標準の求婚方法なんだろうか。だとしたらバダフシャンの女に生まれなくて心底良かったと思えるわ。


 「残念ながらお断りする。これでも思い人がいるのでな」

「じゃあ一族ごといただくとしよう」


 暴虐王が赤毛馬で疾走し、カーシュガリーがそれを弓で迎え撃つ。それを機に瞬く間に混戦となった。幸いなことにボクを最初に狙ってくる奴はいなかった。ササンと二人でこそこそと物陰に隠れる。しかし黙って隠れているつもりは無い。この略奪の発端である暴虐王、奴を黙って逃すことなど考えられない。


 ボクは「倉庫」を開いた。青い扉が現れ、その中から一つの武器を取り出す。しつこい様だが、ボクには武芸の心得は無い。単純な腕力ですら同年代の女性に毛が生えた程度だと自負している。


 だから対策はしている。一つ、逃げ足。瞬間的な速力はどうしようもないけど、長距離走は別だ。鍛えた。お陰で半日ぐらいは走りっぱなしで逃げられる。


 そしてもう一つ、常にササンか桐姫と一緒にいること。情けない話だが、ボクよりササンの方が腕が立つ。いやこの場合は足が立つといった方がいいのかな? 別に女好きだからいつも一緒にいるわけじゃないんだぞ。否定はしないが。


 そして最後の切り札が、今手にしている武器だ。ボクはそれを手に、近場の移動式住居の上へと登り始める。本体が皮張りなんで登りにくいが、ササンにお尻を押してもらってようやく屋上へと立つことが出来た。


 見回すと、先程と同じ場所で暴虐王と桐姫が斬り結んでいた。暴虐王の獲物は金属製の槍。剣の桐姫では間合い的に分が悪い。しかも暴虐王の駆る赤毛馬は一回り大きい。時折突進しては、馬ごと桐姫を押し潰そうとする。


 それを牽制するかの様に、カーシュガリーが間合いを取りながら弓矢を射る。それが二本、三本と命中しているのだが、暴虐王は意に介さない。革鎧を貫通出来ていないのか、それとも鈍いのか。どちらにせよ急所に命中しないとダメな様だ。


 ボクは火打ち石で火種に火を付けてから、手にした武器をそっと構える。金属の筒、火縄銃である。西方でもまだ発明されたばかりの超高級品。耳聡い連中でも現物を見た人間は殆どいないはず。だから、誰もボクに注意を払わない。


 そっと銃口を暴虐王に向ける。右へ左へと激しく機動する標的が静止するのをじっと待つ。焦ってはいない。ボクの腹の底は冷え切っている。冷静に、あの犯人を撃った時のように、ただ時を待つ。


 その時は来た。残虐王が桐姫の横一閃の剣戟を槍の腹で受け、カーシュガリーの矢を仰け反って躱す。その一瞬、動きが止まった。躊躇わず引き金を引く。


 ばんッ!


 火薬の破烈音が周囲に響いた。馬が動揺して嘶き、何人かは落馬した。そして、ボクもササンと縺れ合いながら移動式住居の上から転げ落ちていた。何が起こったのか。地面に叩きつけられた痛みを堪えながら、膝を立てながら周囲を見回す。


 暴虐王は、馬上に居た。興奮する赤毛馬を手綱で捌きながら少し後退する。その額には一文字に抉れた様な傷が出来ていて、流れる血が左目に注がれた。しくじった! 掠めただけで致命傷には程遠い。


 「うっ…ぐ」


 そして一緒に落ちてきたササンには、矢が刺さっている。丁度肩口の辺りだ。その矢の色は赤。後方を振り返ると、そこには弓を構えたビリグが居た。躊躇いを噛み砕いた表情で、じっとこちらを見ている。


 それでボクは理解する。火縄銃を撃つ直前、ビリグがボクを狙って矢を放ったのだろう。ササンが気がついて、ボクを庇った。だから撃たれた弾はちょっとだけ、目標を捕らえ損ねたのだ。


 「ビリグッ!」


 ボクは憤怒の声を上げて、火縄銃を構えた。引き金を引く。無論、弾は出ない。火縄銃は一発ごとに、銃口から弾をこめ直す必要がある。それでもボクは二回、三回と引き金を引き続ける。弾が入っていれば、ビリグのど真ん中に命中しているはずだった。


 ビリグも、こちら向けて弓を引いていた。矢は継がれている。しかしその矢は、放たれない。


 暴虐王は桐姫たちから距離を取り、額から滴る血を拭った。轟音と共に飛んできた何かが額を抉った。あれが銃というものか? 暴虐王の中から昂揚した戦意が消え、冷静な思考が戻ってくる。


 暴虐王は二回、短く口笛を吹いた。そしてさっと馬首を切り返し、赤毛馬に喝を入れる。疾走する赤毛馬。その姿はあっという間に小さくなる。部下たちも無言のまま続く。ややして最後にビリグが、馬に乗り立ち去った。あっという間の退却だった。


 「兄い、大丈夫だった……?」


 ササンが痛みを堪えながら問う。ボクは火縄銃を放り出し、ササンを抱き抱える。じわりと滲む額の汗を拭ってやる。


 「ああ、またササンには助けられたな。飴チャンあげよう」

「兄いは先に死んじゃダメだよ。約束じゃん……」

「そうだったな。大丈夫、忘れてない」

「じゃあいい。にく食いたい」

「分かった。たんまり用意してやるからな」


 痛みを堪えながらにっこりと笑うと、ササンはゆっくりと目を閉じた。


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