楽園遊記
物語創作者□紅創花優雷
楽園遊記【冒頭無料部分】
ここは何処か? さぁ、一体何処なのでしょうかねぇ。少なからず、君が知る世界ではないだろうさ。
ところで君はこの本を知っている? あぁ、僕には読めないんだ。なんてったって、異世界の文字だからね。君の世界の文字だろう、調べはついているんだ、嘘をついても無駄だよ!
え、少し違う? 何が違うのさ。
自分はニホンジンで、チュウゴクジンじゃない……? あはは、全くもって何を言っているのか分からないよ! それは、種類の違いかい? まぁまぁいいじゃない。チキューにいるもの皆兄弟。君の所の言葉だろ?
まぁいいさ。チュウゴクジンじゃなくとも、君はこの本のタイトルは読めるだろ。教えてよ!
サイユウキ? へー、そりゃ面白い名前だ。ありがとね!
……え、僕が誰かって?
そうだなぁ。うん、君には特別に教えてあげるよ。
僕の名前は 。超越者っていうんだけどね、君の所で言う神や仏、その類いのモノだよ。
なーに不思議そうな顔をしているのさ。
ん、なぁに。僕の名前? 聞き取れなかったの? んー、まぁいいよ。もう一回教えてあげる。
僕はね、 だよ。
ふっふー、もう教えてあげないっ! 教えてほしいのなら等価交換だよ。
そうだな、今あって等価なのは……君の、魂。
冗談かって? あはは、さぁ、どうでしょーかっ!
ははっ、君面白いね。……うん、気に入った。ねぇ君、一緒に遊ぼうか。
◆
【楽園遊記】
◆
夜の事。
皆が寝静まったこの時間、聞こえるモノと言えばあとは風に揺らぐ草木の声だろうか。その青年はただ時が過ぎるのを待っていた、そんな時だった。
「やぁ、今晩は」
背後に突如気配が現れ、男の声が聞こえた。
屋敷の者ではないのは確か。しかし、単純な不審者ではない事も確かであった。何故なら、突如現れたその男からは、「超越なる力」を感じたのだ。
「今晩は。夜分遅くにどうか致しましたか、超越者よ」
白刃がそう尋ねると、後ろで彼がははっと笑う。
「お、流石堅壁師匠の愛弟子だね! 僕の力と君達の力を見分けられる人って、案外少ないんだよねぇ。実物なんて見た事ないだろうから、仕方ないんだけどね」
超越者は白刃の顔をまじまじと見詰める。そんな遠慮のない視線を感じながら、白刃はニコニコと笑みを浮かべ、考えていた。
昔、無の空間から世界を創り出し、地に降り立ったとされる存在がこの超越者だ。それは全てを超越し、司る存在とされ、人々の間で広く信仰されている。白刃は格段彼を信仰している訳でも何でもないが、彼の逸話は知っている。
しかし、彼を見るとどうも「そう」には感じない。だが、「力」は嘘をつかないのだ。
翡翠の瞳が重なり合う。そうすると、やけに熟考をしていた超越者が声を漏らす。
「こうして見ると、やっぱ君って美人さんだねぇ……」
ごく自然にそんな事を呟き、結ばれた白髪に触れる。その後に、彼は何かに納得したように「うん」と一つ頷いた。
「改めまして、僕は『超越者』。この世の全てを超越し司る者とはこの僕の事さ!」
自信満々にドンッと言い放つ。なんとも、愉快な超越者だ。依然と笑顔で対応している白刃にニコッと笑う。
「突然だけど白刃、君には『天ノ下(てんのか)』に……君達で言う所の、『楽園』に来て欲しいんだ」
そんなお告げに、白刃は細めていた目を開いた。
天ノ下と言うのは、超越者の逸話に出てくる架空の場所であり、空高くに存在するとされているその場所だ。今自分は、その架空の場所に来いと言われたのだ。
「楽園に、ですか?」
念の為聞き返すと、超越者は平然と答える。
「うん。超越者がいるなら、その超越者が住んでいる天ノ下だってあるだろ?」
当たり前と言えば当たり前の事だ。白刃がそれに対し返答する前に、超越者は更に話を続ける。
「そして、ついでと言っては何だけど、一緒に連れてきて欲しい子が四人いるんだ」
そう言うと、何処からか一枚の紙を手渡して来る。見れば、これは書き込みがされた地図だった。
超越者は地図の印を指し示しながら説明を始める。
「まず、堅壁の敷地と
「それで、岩山を越えた先に不自然な荒野があるんだけどね。そこって、
「その荒野を抜けた少し先に封壁があるだろ? だけどそこは一旦無視して、
「それで最後、山脈地帯から
つらつらと一通りの要望を伝えると、彼は顔を上げ尋ねてくる。
「分かったかい?」
「えぇ。とにかく、そちらの四人を連れて、天ノ下に向かえばよろしいのですね」
色々と話されたが、重要な点はそこだけだ。
確認をすると、彼は笑顔で頷く。
「そそっ。じゃあ、待っているからね」
「お待ちください。来いと言われても、場所が分からない所には行くことが出来ません」
帰り際、尋ねてくる白刃に超越者は悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「西さ」
その一言の後、それは夢幻のように姿を消した。しかし、これは夢でも幻でもない。白刃は膝の上に残った地図に目をやる。そこには先程までなかった「がんばってね!」の文字が浮かんでいた。
何か面倒事を押し付けられた感は否めない。しかし、
「なるほどな……」
口角を上げた白刃は、なんとも愉快そうだった。
時間で言うのであれば同じ日の朝、白刃は師である
超越者が現れ、楽園に来るよう告げた。そんな内容を突如弟子から言われた大将は、驚いた顔をしつつもそれに疑問は持たなかった。何故なら、彼も昨夜同じお告げをされたのだと言う。
「夢だとは思っていたが。お前も同じ事を言われたとなれば、そうではないのだろう」
彼が顔を顰めている訳は、何となく察せる。
「超越者があんなのだったと言うのは少々ざんね……いや、意外だったが。超越者が直に人を呼び出すなど、史上初だろう」
「行ってこい、白刃。きっと、お前にとって経験になるだろう」
屋敷の中しかろくに知らない彼にとって、旅に出る事は大きな経験だろう。異世界に「可愛い子には旅をさせよ」という言葉がある通り、ここは師匠としてしっかりと見送るべきだ。
大将に言われ、白刃は笑みを浮かべ「分かりました」と答える。
そうして次の日、支度を済ませた彼は一匹の馬と共に出発した。
屋敷の門には多くの弟子や女中も集まって口々に見送りの挨拶を告げ、白刃はそれに愛想よく対応していた。
頑張ってください、ちょっと寂しくなりますねと、話して来る内容はそれぞれで。彼等と会話するのは楽しく、やはり少し名残惜しい所だが、そろそろ出なければならない。
この旅がどれ程長くなるか、それは分からない。
「では師匠、行ってきます」
「あぁ。気を付けていくのだぞ」
白刃は最後に師に挨拶をすると、馬に跨る。まずは、かの大悪党がいる岩山からだ。
そこに向かう為、まずは町を進む。賑わっている、どうやらここは商店街のようだ。近所ではあるから見た事はあるが、こうして一人で歩くのは初めての白刃だ。きょろきょろしながら歩いていると、とある店の女店員に声をかけられた。
「おっ、そこの美人なにーちゃん。面白いものあるよ! 見ていかない?」
にかっと笑って声をかけてきた店員がいた店は、どうやら骨董屋のようだ。白刃は馬を邪魔にならない場所に停まらせ、店をのぞく。
そこには見た事のないような物が立ち並び、それら全てに白刃にとっては興味深いモノだった。
「欲しいものはないのかい? 要望さえ言ってくれれば、それに見合うものをバシッとだしてやんよ!」
腕には自信があると言いたげに、びしっと腕を構える店員。店を見ても分かるが、品揃えに自信があるようだ。これなら期待できると、白刃はニコリと好青年の笑みを浮かべて尋ねた。
「そうですね。何か、躾に使えるような物があればよいのですが」
当たり前だが、人に使おうとしている事は気が付いていないようだ。恐らく犬かなんかに使うと思っているのであろう店員は思い当たる商品を考え、ハッとする。
そして、彼女はニコッと笑みを浮かべた。
「だったらいいモノがあるよ! 運がよかったねにーちゃん。これはつい昨日どっかの誰かが売ってくれた一点ものさ」
そう言うと、彼女は店の奥に向かい、一つの箱を持ち出してくる。若干古びた箱の中に入っていたのは、金色の輪っかだ。
それを手に取り、客である白刃に見せる。
「首輪ならぬ頭輪かね。まぁ首でも大丈夫だろうけど、これは合図をしたらギュギューっと締まって懲らしめる道具だから、首はよした方が良いぜ」
「合図ってのは、念じながらこう手をぎゅーって握るんだ。試してみるかい?」
白刃はその提案にこくりと頷くと、言われたとおりに手をギュッと握ってみる。そうすると輪は内円を縮め、握る手を更にきつくすれば輪もきつく締まった。そして、握った手を緩めると元の大きさに戻る。
「これは良い……」
呟いたその声からはどこか加虐心を感じる。
あぁ、しまった。思わず素を出してしまったと。白刃はスッと装いの笑みを浮かべたが、彼のその素は確実に見られていた。
店員の彼女は、ははっと笑う。
「にーちゃん、見掛けによらずにサディストだねぇ。いいよ、それタダで譲ってやんよ」
「よろしいのですか?」
一応、支援金は貰っている、多少値が張っても問題なかったのだが、確認するように尋ねると、彼女は依然と気さくに笑っていた。
「いいよいいよ。なんか知らんけど、それ持ってきた人、金にするつもりなかったみたいでさ。値打ち調べようとしたら『お金はいらないからさ!』とか言って去ってたんだよ」
その客の事はなんだか怪しいが。きちんと動作するし商品に問題はないだろう。
「そうですか、ではありがたく」
白刃はニコリと微笑み、金色のそれを受け取った。
いいモノを手に入れられたと、満足気に店から出る。さて目的地に向かう事にしようかと、待っていた馬に乗り、先に進むよう指示をした。
先を進んでくいくうちに時間が経ち、日が沈み始める。森の中に佇む岩山は段々と近づいてきて、そこまでくれば直ぐにふもとまで辿り着いた。
一旦馬から降りると、ふと足元から猿の鳴き声が聞こえた。
声をした方向を見ると、一匹の猿が「ウキッ」と声を上げ、人と似たような形の手で西の方向を示している。
「そっちに何かあるのか?」
「ッキー!」
ついて来いといいたげに、その方角に体を向けて白刃にを見る。
馬を引っ張りながら猿にについていくと、猿は岩間の中に入った。覗いてみると、そこに嵌められた牢屋の中に、いたのだ。そう、かの大悪党が。
かの有名な大悪党だが、彼は多くの猿を従え、そして堕ちた人々の成れの果てである「魔の者」までも利用しありとあらゆる所で大暴れした奴だ。動機などは一切不明だが、彼が起こした事態とその結果は変わりない。
そのような所業からか、言い伝えられる「大悪党」は大層人相が悪い大男なのだが。
岩山の麓、岩と岩の間にある四畳程の隙間。そこに嵌められた鉄格子の向こうにいる大悪党。格子の中で胡坐をかいているその彼は、身長百六十といった所だろうか。百八十以上の白刃からすれば、これはチビの部類だ。それに、顔立ちもどこか幼めで、控えてに言って十五歳程に見える。
尖岩はそんな風に向けられる目に何か言いたげで、ついに口を開く。
「……んだよ、何か言いたいのなら言えよ」
「チビ」
「あぁそうかよ、初対面で失礼な奴だなオイ」
容赦なく放ったその言葉は、間違いなく尖岩に突き刺さったようだ。かなり不服そうというか、イラっと来ていそうな彼だが、それ以上怒る事はせずに問いかけてくる。
「てか、もしかしてお前か? 超越者の『美人なお兄さんが助けてくれるからね~』の美人なお兄さんの部分。嫌味なほどに顔が良いな、ホント」
これは、ちょっとした嫉妬も含んでいるのだろうか。彼がそんな風にふいっと顔を逸らすもんだから、白刃はニコリと笑う。
「おやおや、かの大悪党も世辞がお上手なのですね。初めまして、私は白刃です。超越者の申し付けにより貴方を助けに来ました」
ついささっきチビ呼ばわりして来たあの表情とは打って変わって、なんとも人当たりのいい好青年の笑顔。逆にゾッときた尖岩は思わず逃げようと体を動かしたが、狭い牢の中ででそれは出来なかった。
諦めてもう一度座り込み、助けに来たと言うその青年に話す。
「つっても、この檻超越者じゃねぇと開けられねぇだろ。鍵もねぇし、術使おうとしてもここじゃ力が使えな、」
「い……」
ここで彼が言葉を詰まらせた理由はただ一つ。
向こうにいる白刃が、平然と鉄格子をこじ開けたのだ。
表情を一切動かさず、なんとも軽々しく手と手でこじ開けられた鉄格子は、人一人が難なく潜れる程になっていた。
「おま、お、お前……」
もう一度確認しておこう、今こうしてたじろいでいるのはかの有名な大悪党であり、今難なくこじ開けられた格子は列記とした鉄製。そしてこれをやったのは、この美青年だ。
「ほら、開いたぞ」
出て来ない尖岩に、なぜ出て来ないと言いたげに言い放つ。自分でした事をまるで理解していないのだろうか、尖岩は勢いよく立ち上がり無残な格子を指さす。
「ほら開いたぞ、じゃねーんだよっ!! おかしいだろ、それ、鉄格子だぞっ!?」
「何が可笑しい?」
当然のツッコみに当たり前だろと言わんばかりに首を傾げた。この格子を前にしてよく言えたものだ。
「全部が! 全部がおかしいの! てかさっきの好青年スマイルどこやったよ! なにそのほぼ無の表情フツーに怖いんですけどぉ!」
言いたい事全て叫ぶ尖岩に、白刃はハッと笑う。
「何故大悪党にいい顔してやらなければならない」
「別に大して正論じゃねぇからな、ソレ」
溜息をつきながらも、尖岩は開いた外の景色に目をやる。出してくれる奴が誰であれ、五百年ぶりの自由は確かに欲しい。だから、思い切って外に出てみた。
この草地を踏む感じすら懐かしい。五百年ぶりの大空の下、尖岩は大きく背伸びをする。
「はぁー、やっと出れたぁ! えっと、白刃だっけ? マジでありがとな!」
尖岩が笑って礼を言うと、その懐から小さな猿がひょこっと顔を出しウキャアと鳴いた。猿の言葉は分からないが、彼の意は尖岩が訳してくれた。
「こいつは猿吉、今のはありがとうって言ってたぜ。じゃ外に出れた事だし、俺はここらでー」
「待て」
逃げようとする尖岩の襟首を掴む。粗方察していた彼は、掴まれたまま声を上げた。
「だと思ったよ俺はぁ! どうせあれだろ、超越者に他の何か頼まれてんだろ?」
手を離すと、尖岩はもう一度地に足を付けて面倒くさそうに尋ねてくる。
お察しの通り、白刃が彼にする事は釈放だけではない。
「あぁ。付いて来い、天ノ下に行く」
尖岩はその一言で動きを止め、確認するようにゆっくりと視線を上げる。白刃は至って真剣、と言うより真顔で。少なくとも冗談を言っている奴の顔ではなかった。
もう一度言われた事を脳内で処理をしてみる。
「……は?」
総じて、漏れたのはこの一言だった。
ぽかんとしているその顔を見て、白刃はフッと笑う。
「あぁそうだ。お前これ付けろ」
そう言って見せたのは、先程手に入れた金色の輪。尖岩はそれがどういったモノか分からないはずだが何となく察しがついたようで、瞬時に逃げようとする。しかし逃亡は意味を成さず、押さえつけた彼に半場強制的に輪を頭に取り付けた。
「な、なんだよこれぇ……」
少しの怯えを見せる尖岩の表情に、白刃の中で何とも言えないゾクゾクとしたモノが沸き上がった。そうして浮かんだ感情は一つ、愉しいだ。
昔々、生命を腹に宿した一人の女人が、岩山の麓で息を切らしていた。
もうすぐお産が始まる。しかし、種となった男は逃げ、それを見守るのは物を分からない猿達のみ。
猿は縄張りに見慣れない女が居座っているというのに威嚇をする様子はなく、女の寄り添うようにそこにいた。キーっと高い声で鳴いた猿を見て、女人は苦しさを交えながらも微笑む。
「ねぇ、お猿さん。私、もうダメかもしれないの」
その声は最後の力を振り絞るように弱々しく、掠れていた。
「けどね、この子はなんとしても、産んであげたいの。私の事はいい、この子を……この子だけは、助けてあげて」
既に意識は朦朧とし始めている。猿に物を頼むなど、笑われてしまうかもしれない。もう、藁にでも縋るような気持だった。
己が愛したあの人は、結局自分を愛してはくれなかった。分かっていた。分かっていたはずなのに。何故こうも滑稽な終わりを選んでしまったのか。最期の後悔に涙を浮かべ、弱々しい声でもう一度、「お願いだから」と近くの猿の頬を撫でる。その手は動力を失い、地面に落ちる。
猿は知ってか知らずしてか、「ウキッ」と鳴き声を上げた。
そんな様子を、彼は木の上に立って眺めている。
『猿が助けてくれるわけないじゃんか! もー、仕方ないなぁ』
耳に届いた産声と一つの命が燃え尽きる気配を見届け、木から飛び降りる。
既にハイハイをし始めている赤子は、ぐったりと倒れこむ「それ」が動かない事を不思議に思い、ペチペチと叩いたりしていた。
そんな赤子を抱えあげると、赤子は何をするんだといいだけに手足をバタバタさせる。
「あぅっ。あー!」
『はいはい、ダメでちゅよー。それはもう「ママ」じゃないんだ。魂の抜けた、ただの抜け殻さ。君にはまだ分からないだろうけど』
足元で群がる猿と、魂を亡くし物と変わったそれを横目に赤子をあやす。
その時、この岩山の頂点に携わる鋭く尖った岩が思い浮かぶ。
『ふっふー、光栄に思いな! この僕が直に名前をあげよう。君の名前は――』
「……尖岩」
「んぁ?」
心地よく眠っていた尖岩は、突然かけられた声が一瞬誰だか分からずにいた。しかし、その異様なまでに整った美しい顔と、白い髪を見れば直ぐに脳はそれを理解する。
「なんだ、白刃か」
「なんだとはなんだ。お前が起きないから俺が起こしてやったんだろうが」
呆れたと言いたげな白刃だが、まだ日はどっぷりと沈んでいる。こんな時間に起こす奴がいるかと。そういう目で見るが白刃の視線は尖岩には向いておらず、森の中では有象無象と同じ木々に目をやっていた。
数秒の間が空いてから、白刃はやっとこちらを見た。
「お前は寝ているし、ここは森。退屈だ」
無に近い表情でそんな事を言うから、尖岩は眠気交じりに冷静なツッコみをする。
「ねりゃいいだろんなもん」
これは正論以外の何物でもなかったはずだ。しかし、白刃は何を言っているんだお前はと言いたげな顔を浮かべる。
「俺は寝れない」
「なんだ、いつもの枕じゃないとダメとかそういうの? だったら持ってくれば良かっただろぉめんどくせぇ」
野宿には慣れている尖岩は構わず草の上に寝転がり、もう一度寝ようとする。その態度が気に障ったのか、白刃が彼の頭の輪を締め始めた。
「いっ……おい、睡眠妨害は質が悪いぞ」
飛び起きて、締められた頭をさする。
軽く睨んでみたりもしたが、白刃は動じずに一言だけ告げる。
「起きろ」
「あーもう! はいはい起きてりゃいいんでしょ起きてりゃー」
もう自棄になって勢いだけで起き上がると、白刃はそれで満足そうだった。
起こされずに満足に眠っている馬を恨めし気に見ながらも、馬は悪くないかと思い直し、立てた片脚に頬杖を突く。
「ほんと、何がしてぇんだよ、お前は」
「したいことをしているだけだが?」
「したいことが可愛くねぇのな」
尖岩は苦笑う。もしかして、あれがしたい事か。人に首輪ならぬ頭輪を付けて、玩具のように遊ぶ事か。だとしたら大分趣味が悪い。
これは、年上として正してやるべきだろうか。そう頭に過ったが、自分が人の道を指導できるような者ではない事を思い出す。
何故あんな湿った所に閉じ込められていたのか。それは過去の己のヤンチャの代償だろう。
無言の間が流れて退屈なのか、白刃は意味もなく輪を締めてくる。その締め付けで痛がる尖岩を見て、また愉快そうな悪い顔をした。
「愉しい」
「あぁそうかよ、それは何よりだな」
頭がじんじんと痛む。この癖だけは早急に直してもらいたい、そんな事を思うが無理だと断言出来た。何故なら、自分もある意味同類であったから。
溜息をついてもう一度寝ようと横になるが、また起こされる。そしてまたしばらく話して、また寝ようとして起こされて……そんなことを繰り返していると、やがて時間は丑三つ時に差し掛かった。
尖岩は何をしてやればこいつは眠るのかなんて考えながら頬杖を突いて眺めていると、ふと白刃がどさりと倒れるように横になる。
いきなりの事で驚き、誰かから攻撃されたかなんて思って駆け寄るが、当の本人は目を瞑って、すやすやと眠っているだけのようだ。
「ったく、心臓に悪い就寝だな……」
頭をかいて元居た場所に戻る。起こしてくる相手が眠ったのだから、自分も眠ろう。
少しだけ、世の母親の気持ちが分かった気がした、そんな夜の話だった。
〇
「ほんと、貴方って純粋なのね」
彼女は焦りと呆れを少々含んだ笑みを浮かべる。
騙された。いや、これに関しては己が愚かであったのだろう。
龍王たる父は、静かに己を見つめ、話し出す。その言葉は脳内に音として響くが、真っ暗になった頭では言葉として受けとる事が出来なかった。
あぁ、なんと愚かな事だろうか。愚かさもここまでくれば笑えて来る。
己の足元に風が舞い上がると、その体を包み込み龍の姿に変わる。そして何も言うことなく、生まれ育ったその場所から逃げた。
『ちょっと待ってよー! もー、君はさぁ。お父さんだって、事情を話して素直に謝れば許してくれるはずだよー? 僕からも言ってあげるからさ、ね? 今ならまだ、』
「えぇい黙れ黙れっ! 何をしようが私の勝手だろう!?」
「もうどうとでもなれ! 私は知らんっ!」
感情任せに真っ直ぐと飛んでいく。通り道に巻き起こった風は一瞬の嵐のようにその場に過り、木々が倒れ崩壊していく。
『あちゃー……どうすりゃいいのこれ……』
無残な跡地を見て苦い顔をする。自分とて大変な事は大変なのだ。
溜息を漏らした時には、龍の姿は既に見えなくなっていた。
朝になった頃合いだろう。尖岩が目を覚ますと、木々の間から見える空は晴れていて、白刃は既に起きていた。
「お前、早起きだなぁ」
昨日、いや時間としては今日だが。あれだけ遅く寝たというのに、こんな朝っぱらに起きているとは。
あくびを一つしてから起き上がり、どこからか採ってきた木の実を食している白刃に声をかける。
「んで、今日はどこに行くんだ? あれだろ、天ノ下に向かうのに、あと三人連れてくんだろ?」
「あぁ。今日は、龍を捕まえる。向こうの荒野にいるみたいだから、馬を走らせてそこに行くぞ」
「いや捕まえるって言い方よ……。分かった」
返事をしてから、尖岩はとあることに気が付く。今から、「馬を走らせる」と言ったか。なんだか、嫌な予感がする。
「きちんとついて来いよ、尖岩」
その笑いで、尖岩の予感は見事に正解である事を思い知らされた。
そりゃ脚には自信がある。かの大悪党が中々捕まらなかった理由には、そのすばしっこさもあるのだから。しかし考えてもみろ。五百年間自分が行動できた範囲はたった四畳の岩間。そんな所でぽけーっと過ごしていて、衰えていないわけがないだろう。大体そうでなければ出た瞬間に逃げられている。そして、馬の全速力は速い。
「ほら、遅いぞ」
「くっそ、さっきよりスピード上げやがって……」
競走馬の如く目的地に向かって走る馬。その上で悠々と笑っている白刃のその様は、質の悪い金持ちみたいだ。
「おい馬ぁ! お前なんでそんな主人の言う事素直にきけんだよ!」
尖岩の文句を理解しているのかしていないのか、馬は真っ直ぐな瞳をして走り続ける。そして、大声を出したせいで馬の上にいる奴の方に、余力があると思われたそうだ。
「無駄口叩けるならまだ行けるよな。おい馬、スピード上げろ」
「ちょ、」
制止の声も文句も聞かずに、白刃は馬に指示を出してさらに早く走らせる。まさかあれで全力疾走では無かったのか。
「白刃ぁ!! お前なぁ!」
無意味に叫びながら、脚の回転を速める。文句を心の中で呟きながらも、その場合ではないとその意識を体に向かわせる。この感覚には、覚えがあった。
自分よりも少し速い速度で先にいる、遅いぞ遅いぞと笑うその姿。それを必死に追いかけているのは、幼い頃の自分だ。
状況が重なる。しかし、懐かしんでいる余裕などなかった。
必死に走れば、再び馬と並ぶ。流石の馬もこれ以上は速度を上げられなさそうで、平行の位置からずれなかった。
「意外と速いのな」
つまんないとでも言いたげの白刃に、尖岩は一本取れた気になって笑った。
「ははっ、脚の速さには自信があるんだぜ?」
勝ちの笑みを浮かべる彼を目に、白刃は馬に停まるよう指示を出す。馬は徐々にスピードを落とし、やがて脚を止めた。
その行動に首を傾げると、白刃は後ろ側にずれて座り直した。
「乗れ」
「いいのか?」
「あぁ。乗れ」
二度目の乗れという言葉が聞こえる。なんだかよく分からないが、彼なりの優しさなのだろうか。急に走ったせいで脚に負担も掛かったし、ありがたく乗らせてもらった。
そうして白刃の前に座った瞬間、ハッと気が付いた。
「お前は本当に、チビだな」
背後で白刃が一笑する。これは、どう考えても確信犯だ。
「だから、お前がデカいんだって」
尖岩の反論だったが、白刃にとってはチビの言い訳に感じただろう。
百八十五センチの白刃と、百六十三の尖岩。どちらの言い分も間違っていないのだが、それにツッコむものはいない。馬はただ懸命に主の命に従うのみだ。
そうして馬で歩いてくと、ある場所から一気に木々や草も無くなり、目の前にはまさに荒野という言葉がふさわしい景色が広がる。
そんな所で、彼等は馬から降りて辺りを見渡した。
「うわぁ、こりゃやべぇな」
この荒れ具合、明らかに自然と起こったものではない。どこの誰の仕業は容易く分かった。
覇白と言う白龍が色々あって暴れて出来た場所、超越者はそのように話していたか。思い返しながら辺りを見渡したその瞬間、白く長い物が横切ると同時に馬の姿が消えた。
急いでその方向に目をやると、そこでは大きな白龍が宙に浮かび、まさに今馬を丸呑みしている所だった。
馬を食道で潰し胃袋を満たす。骨が砕かれるあまり心地良くはない音が鳴りやんだ後、満腹になれたのか満足気に声をを漏らした。
「あぁ……美味しかった……」
満足した後に、彼はそこにいた二人の人間に気が付く。
「もしかして、今のお前らの馬だったか?」
余程腹が空いていたからか、分かっていなかったようだ。少し間違えたら、今彼のお腹の中で消化されているのは自分だったのかもしれないと思うとゾッとする。尖岩はその恐怖を誤魔化すように、大声で覇白に文句を言った。
「そーだよ! 勝手に食いやがってよ、せめて一声かけろよ!」
「す、すまない。お腹が空いていたもので……」
申し訳なさそうに視線を逸らすと、龍はその場で風に包まれ人の形に姿を変える。
人型になった龍は、ただでさえデカい白刃よりも数センチ身長が高い。それを見て尖岩は、これだと大きいのと大きいので挟まれるのでは? と、ショックを受けていた。
そんな尖岩は他所に、白刃は人型となった龍に尋ねる。
「貴方が覇白ですか?」
人がよさそうな笑みを見せた白刃に、思わず「うわっ」という声が漏れそうになったのはここだけの話にするとしよう。尖岩はなんとか一声を押さえ、龍の反応を伺う。
「如何にも、私が覇白だ」
龍はこくりと頷いて答えると同時に、怪訝そうな表情を浮かべた。
「もしかして、超越者の差し金か……?」
恐る恐る尋ねてくる覇白に、白刃はニコリと笑う。
「私たちはただの旅の者ですよ。ただ、道に迷ってしまって……ねぇ、尖岩」
「お、おう」
流れるような嘘にドン引きしつつも、話を合わせる。ここは大人しく、下手に突っ込む事はしないでおこうと決めた。
「その様子、どうかなされたのですか?」
白刃の好青年の笑みに、覇白も警戒心を解いていた。まだ初対面の相手に、身の内を話し始める。
「実の所、私は『龍ノ川』第二王子の覇白だ。それで、私には婚約者がいたのだが。実はその、その婚約者が他の男を連れていて……問うてみたら、父上の、つまりは龍王の宝を一つ燃やせと言うんだ。そしたら、この男は捨てると」
「だからその、燃やしたんだ。宝珠を、一つ」
そう語る覇白は、なんんともおどおどしていた。宝珠というのがどれ程の価値か知らないが、例え価値が低くとも宝は宝。
「そりゃ、怒られるわな」
尖岩の率直な感想に、覇白は改めて恥じるように頷く。
白刃は大方理解していた。恐らく、そんな事をした後その龍王に怒られたからか怒られるのが怖いからか、逃げて暴れた結果がこの荒野の有様なのだろうと。
「それで、なぜ超越者が?」
問うと、彼はさりげなく視線を逸らす。
「奴が何を考えていようが、私は父上と顔を合わせるのが怖い」
気まずさと恐怖からそんな事を言う覇白は、やらかした後の子どものようで。実際やらかした後なのだが。
その後、覇白は話を逸らそうとしたのか、一つ提案をしてくる。
「そうだ、旅の者。馬を食ってしまった詫びだ、荒野の出口まで送ってやろう。私は龍だからな、スピードには自信がある」
彼のその気遣いに、白刃はしめたと言わんばかりに笑みを浮かべる。その笑みは同じ笑みでも、人の悪い方の笑みだ。
「じゃあ、馬になれ」
相手を間違えた、その一言に尽きるだろう。龍の伝説を知る者なら当然のように知っている事だが、龍は自尊心とプライドの塊のような気高い生き物だ。その頭を下げるのは、超越者相手だけだとも言われる程。
つまり、龍にとっては馬に化けるなど論外なのだ。
「お前、相手を間違ったな。同情するぜ」
尖岩が苦笑いを浮かべると、覇白は風を纏い龍の姿に戻り、間髪開けずに一目散に逃げだした。
先程本人が言っていた通り速く、白刃はそんな風に飛んでいく白龍を目に尖岩の背を押す。
「尖岩、捕まえてこい」
「え、マジで言ってる? 相手龍だぞ」
「行ってこい」
圧が凄かった。これは端から拒否権などないのだろう。仕方ない。
尖岩はぴょんと一つ飛び上がり、持っていた力で雲のような乗り物を作った。その名は栗三号、この術自体は、尖岩が使える数少ない術の一つだ。
龍には多少劣るが、この栗三号も速さが自慢の乗り物だ。まぁ、強度は悪いが。そこに乗っかりながら、逃げる覇白の後を追う。
「おーい、覇白! 今のうちに言う事聞いておかないと、酷い目会うぞ!? 今のうちだぞほんと!」
あの男はホント、何をしでかすか分からないから。今世紀最大とも言える声で呼びかけると、覇白は止まる事無く返答する。
「馬鹿言え! 私は龍だぞ、馬なんぞに化けてたまるか! 自尊心が許さない!」
「んなもんとっとと捨てろ!」
覇白はそのまま荒野を抜けていくかと思ったが、くいっと身をひるがえし、野の中の非常に大岩の影に入った。荒野の中で唯一残っている根強い大岩たちは、自分が身を隠す場所であり同時に寝床だ。
隠されたその場所で人の姿に化ける。尖岩は急に姿が見えなくなったことを不思議に思い、辺りを見渡して探している。これでしばらくは見つからなさそうだ。
「はぁ……まさか、あのような奴が来るとは」
あのちまっこい奴はともかく、人間はここまで来られないだろう。荒野はそこそこ広く、あそこからここまでは、人の脚では直ぐには来られまい。
そうたかをくくっていたわけだが、それは大した見当違いなもので。
「心外だ。俺は食われたものの代償を払ってもらおうとしただけだ」
龍である自分に馬に成れと言ってきた奴と同じ声が、正面から飛んできた。
「そうかもしれないが……って」
気が付いて確認をすると、普通にいた。そう、普通に。
「お前、なぜ……」
「そりゃ、術使って」
当たり前だろと言わんばかりの返事だ。
しかし、それにはツッコまなければならない。力を持ち、尚且つそれを瞬間移動を使える程巧みに操れる人間はそこまで多くはない。とくに、覇白は白刃の事をただの旅人だと思っているのだ。
「普通の旅人がそんな術を使えるわけなかろうが! 四壁の弟子とかだったら分かるが……」
無意味に身を引いた覇白が吠える。その後、自分で口にした事で察しがついたようだ。
「まさか、お前」
恐る恐る尋ねると、フッと小さく笑って答える。
「ご名答。俺は、堅壁の弟子だ。ついでに言えば、超越者に言われてここに来た」
岩によって塞がれた逃げ道。迫るように距離を詰めると、白刃は突如話し出した。
「あの馬は従順過ぎた、非常につまらない」
お前は馬に何を求めているんだと、そう言う目が白刃に向けられる。唖然としている覇白に、白刃は微かに口角を上げていた。
「喜んで受け入れられるよりも、嫌がって抵抗する奴をねじ伏せた方が興が乗るといったものだ」
「ついて来い。お前を開放して、共に天ノ下に向かう事が、超越者に押し付け……頼まれた要件だ」
数秒考えた後、覇白が顔を上げる。
「断ろうとも、はいと言うまで逃がしてくれないのだろう?」
「そのつもりだ」
即に答えを出すと、覇白は頷き足元から風を巻き起こす。また逃げるかと思ったが、風がやんだ後、そこには普通の馬より一回り大きい白馬がいた。
「これでいいであろう? 不本意だか、渋るとこの先が怖い」
賢明な判断だろう。馬となった覇白を満足気に撫でると同時に、尖岩が降りてくる。栗三号をしまうと、そこにいた不服そうな白馬を目にして目を開く。
「龍のプライドねじ伏せられるって、マジで何者だよオイ」
「キャア……」
猿吉までもが驚きと引きの混じった鳴き声を漏らし、ドンマイと言いたげな顔を覇白に向けていた。まぁ覇白は猿なんかに同情されたくないだろうが。
やはりどう足掻いても屈辱的だったようで、その後すぐに姿を戻した。
「所でお前等、名は何と言う?」
「俺は白刃だ。そんでもって、このチビはかの有名な大悪党だ」
流れるようにそんな紹介をする白刃。勿論、間違ってはいないのだが。その紹介の仕方は少々不服だ。
「大悪党と言うと、もしやお前が尖岩か!? 何と言うか、子どもみたいな奴だったんだな……意外だ」
恐らくこいつも、かの有名な大悪党は筋肉隆々の大男だとでも思っていたのだろう。
チビだとか見た目が子どもみたいだとか、揃いも揃って高身長の奴等が何を言うかと。
「うっせぇお前等がデカいだけだっ!」
「キャアッ!」
猿の言葉は分からないが。きっと「そうだそうだ!」とでも言っているのだろう。当のデカい奴等は、あまりピンときていなさそうだが。
〇
昨日の出来事を簡潔に説明すれば、荒野で龍を捕まえたと言ったところか。その日の夜は覇白の寝床を貸して過ごした。
そして今は、覇白が馬として走っている。ついでに言えば、背中に白刃を乗せて。そして覇白の少し後ろでは、尖岩がほぼ寝起き状態の猛ダッシュでそれを追っていた。
日が昇ったばかりに何故こんな事をしているのかと言うと、事の発端は五分前になる。こんな朝っぱらに、尖岩は頭の輪を締められた痛みで目が覚め、覇白は文字通りたたき起こされた。
どうやら、朝早く起きた白刃が暇を持て余していたようで。本当に、暇で暇で仕方なかったようで。それで、こうなったわけだ。
普通の馬より早い馬の覇白の上、白刃は背後から必死に追いかけてくる尖岩を目に、その背を叩く。
「もっと早く走れ。尖岩に抜かされるだろう」
「無茶を言うな! 私は馬の体で走るなんて始めてなんだ!」
抗議をしながらもせっせと脚を動かす。二足ならまだしも、当然ながら四足歩行なんてした事もないのだ。
距離を縮める尖岩は、そこから声をあげる。
「俺の方こそ無茶なんだよ! こんな朝っぱらに起こしといて、なんで競争しないといけないんだっ!!」
ゴールは向こうの荒野を抜けた目と鼻の先にある樹だ。まぁ、朝の運動には丁度いいかもしれない。かもしれないが、それでも寝起きの猛ダッシュはきついモノだ。
文句を言いながらも走り、覇白があと少しでゴールだという所で、尖岩が速度を上げて追い抜かす。そうして、そのまま先に木にタッチした。
「おっしゃー! 俺の勝ちぃ!」
「私だって、本来の姿であれば勝てたのだぞ!」
悔しそうにしている覇白は、もう一つ上に乗っているこれがなければいけたとも口走りそうになったが、そうすると怖いため何も言わないでおく。
きっと、そんな彼には気が付いているのだろう。しかし、知らないふりをして言う。
「面白かった」
ほこほこしているように見える白刃はまるで子どもみたいで可愛らしくも見えたが、無理に起こしてという点と時間がどうも可愛くない。
空を見上げると、それはもう、早朝も早朝の空だ。いつもの尖岩ならあと二時間は少なからず寝ているだろう。
「それは良かったな。だけど、もう朝にはやらせないでくれよ。この時間はまだねみぃんだ」
どうしてこうも、揃って朝っぱらに起こしてくるのか。そんな事を心の中でぼやきながら一応お願いしてみた。
「分かった。明日もこの時間に起こす」
しかし、当の本人はこの返答で。
「ねぇ今の俺の頼み聞こえてた?」
「聞こえた上でだろ」
当然、嫌がらせと言うか何というか。そういう癖のやつなんだからそりゃ嫌がる方を選択するだろうと。
覇白は元より早起きなほうだったからまだマシなもんだが。それはいいとしても、彼は一つ気になった事があった。何がというと、白刃の極端に短い睡眠時間だ。
覇白は気が付いていた、白刃が全然寝ていない事を。夜中までずっと起きていて、やっと眠ったと思ったらそれは日が回って二時間程経ってから。それで自分と尖岩が叩き起こされたのはこんな早朝だ。まだ若いから大丈夫なのかもしれないが、このままでは体が心配になる。
「しかし、白刃よ。お前は睡眠時間が短すぎやしないか? 二時間も寝ていないだろ」
問うてみると、白刃は睡眠不足を全く思わせない顔で答える。
「寝ているというか、気付いたら夜が過ぎて朝陽が登っている」
それは、もっとダメなのではないか。しかし、何を言っても人の睡眠の癖はどう出来るモノでもないかと。
ここまで来たついでだ、先に進んでしまおう。次の目標は、近い場所ではないがここから行ける場所にいたはずだ。
さて行こうと、そのまま先に進んだ時。上に緑色の衣が見えた。
それだけで何かを察した尖岩は、急いで一歩身を引き、落下地点から退いた。
ずどんと大きな音を立て落下してきたそいつ。尖岩からすれば、見覚えしかなかった。
尖岩より数センチだけ大きいそいつは、戦意を見せながらも嬉しそうに笑っていた。そんな彼が尖岩の名前を呼ぼうとしたところで、先回って声を上げる。
「よぉ三歳児! ひっさしぶりだなぁ」
「だから同音異義!」
軽快にツッコんだその彼は、とっても嬉しそうで。
三歳児と呼ばれ、それで同音異義だと言う。その一連のやり取りで白刃は察した。彼が次の目標、山砕だ。
山砕は拳を握り、早速と言わんばかりにけしかける。尖岩は許可もなく飛び込んできた拳を受け止めると、口角を上げ自身も戦闘態勢に入った。
二人は互いに楽しそうに自身の技を相手に打ち込む。戦闘術などは使われない、体術戦。
互いの拳を交える中、山砕が話し出す。
「尖岩、俺の知らない間に捕まってさ。俺がどれだけ暇してたか知ってるのか?!」
「知らねぇな! お前が自由に遊んでいる間、俺はあんな狭いところに五百年も入れられてたんだぞ」
「チビ助にはお似合いだよ! 俺との約束破りやがってよ!」
「そりゃ悪かったな弟クン、俺と数センチしかかわらねぇくせにさ! 俺がチビならお前もチビだぜ、三歳児!」
「チビに言われたない! チビ助!」
そんな事を言い合いながらまるで遊んでいるように戦う。それからしばらく遊んだ所で、満足した二人は同時に落ち着いた。
一拍の間が空いて、山砕は息をつく。
「はぁ。鈍っているお前にも勝てないとはなぁ……」
傍から見れば優劣が付いているかどうかは分かりにくいが、本人達なりの判断基準があるのだろう。
「ははっ、一昨日来やがれ。今日のお前、前より弱かったぞ」
「一昨日には来れないから、明後日くることにする。次こそ勝つからな! 覚悟してなよ!」
こんっとお互いの拳を軽くぶつけ、笑いあう。山砕はぴょんと飛び上がり、その場から去っていった。白刃と覇白の事には気が付いていなかったようだ。
尖岩は久しぶりに体を動かせてすっきりしている様子で。済んだところで、白刃に「すまねぇな」と言った。
「知り合いか?」
白刃が尋ねる。何の前触れもなしに現れて去っていったモンだから、こいつも理解が追い付いていないんだろうと解釈し、尖岩はそれに答えた。
「ん、あぁ。ガキん頃からのな! 山砕っていうんだ」
名前を教えたところで、白刃はどこか悪い顔をしている事に気が付いた。
その一方、とある屋敷の廊下では、帰宅してきた山砕と妻である女人が歩いていた。妻は山砕よりも身長が高く、見る人によっては夫婦というより姉弟に見えてしまうだろう。
山砕が来ている「猪」の文字が書かれている服も彼女のチョイスだ。どうやら異世界から仕入れた品だそうで、可愛いから買ってきたらしい。
よくわからないチョイスではあるが、妻が「旦那様に似合うと思って」と差し出されてしまっては、着ないという選択肢はなかったわけで。しかし、今では一番気に入っている服となっている。
「旦那様、どこにお出かけなさっていたのですか?」
歩いていると、彼女が笑顔で尋ねてくる。
「アイツに会いに行ったんだよ。話したことあるだろ、尖岩だよ」
「あぁ、旦那様のご兄弟の」
「まぁ、そうとも言うのかな? 兄弟兼友達って感じかなぁ」
嬉しそうに話す彼に、妻は可愛らしく笑う。そして、言い忘れていたことを思い出し、ぱぁっと表情を明るくした。
「そうだ旦那様、今日のお夕食はご馳走なのですよ! 精一杯作らせていただきましたの、どうかお召し上がりくださいませ」
「お、楽しみ! だけど、あまり食べるとまた太っちゃうかな……」
「あら、いっぱい食べる旦那様が大好きなのです。ですから遠慮なくっ」
愛妻の手作り御馳走となれば、喜ばない訳がない。また少し肉が付いてしまうかもしれないが、その分動けばいい話だ。尖岩もやっと出て来たところだし。
そう、とても楽しそうな山砕。そんな時、背後から恐る恐ると自分を呼ぶ声が聞こえる。
「あ、あの……」
「ん、どうした?」
「その、やはり奥様は……」
声をかけてきたその男は、様子を見ながらも、なんとか言いたいことを伝えようとしている。しかし、皆まで言わずとも何を言われようとしているかは分かった。
「いいじゃん、誰にも迷惑をかけているわけじゃないし。俺の勝手でしょ」
山砕の声がワントーン下がる。沈んだ表情を浮かべ、妻の手をギュッと握った。
「しかし、やはり……」
男は、言いたかったその一言を口にすることはできなかった。山砕の意識が離れた途端に生気を宿さなくなった「それ」の瞳が、じっと己を睨みつけているように見えたから。
底冷えするような感覚が走り、男は慌てて視線を逸らす。
「申し訳ありません、過ぎた真似を、失礼しますっ」
男はたったと廊下を駆けていく。
やはり自分ではダメなのだ。幸せであるならそれでいいのかもしれない、たがしかし、過去に執着しすぎて現実を見ないというのであれば、それはいけない。
「超越者様。おいでください、お話が……」
屋敷から少し離れた所で、天に呼びかける。そうすると、超越者は呼びかけに応え空からふよふよと降りてきた。
『はぁい、山砕の様子はどう?』
「それが……」
言いづらそうに淀ませる様子を見て、超越者は『まぁそうだよねぇ』と苦笑いする。
『大体分かるから、言わなくて大丈夫だよ。うん、見守りご苦労さまね』
ぽんぽんと、男の頭を撫でる。十分に成長しきった大人でも、彼にとっては子ども同然なのだろう。
その後に、超越者はニコリと笑う。
『大丈夫だよ。もうすぐね、強制的に終止符打ってくれる人が来るから! ちょっと、耳貸して』
ひょいひょいと手招きをされ、男が耳を寄せる。ごにょごにょと耳打ちで話すと、その言葉を聞いた彼は少しだけ目をも開きいてから、覚悟を決めたように頷く。
「わかりました」
『うん、よろしくねー』
ひらひらと手を振って帰っていく超越者を見送ると、彼は安堵と不安が混じった笑みを浮かべた。
あのお方の言うことが正しいのであれば、あとは待つだけだ。男は屋敷の方向に戻って行った。
荒野を抜けて少し歩いた先、山道に入ったところを歩いている間、尖岩は考えていた。今から古くからの友人に会いにいくのだが、何か手土産でも持って行った方が良いかと。しかし、渡す暇なく白刃がなにかよからぬことをする可能性もあるなぁと考え、白刃を見てみる。
白刃が乗っているこの白馬は、間違いなく覇白だ。龍でしかも第二王子である彼が馬に化けて人を乗せているなんて前代未聞だろうと、尖岩は苦笑いを浮かべる。
その時ふと、いつだったか「山砕が結婚した」という情報をもらったなと思い出した。何年前だか覚えていないが結婚したと言う事は間違いない。だってあれ程驚いた記憶があるのだ、記憶違いな訳がない。
何か、お祝いの品でも持っていくべきだろうか。
尖岩は、愉快そうな白刃に声を掛ける。
「なぁ白刃。ご祝儀というか、結婚祝いになりそうなもの持ってない?」
「結婚祝い? 誰のだ」
「三歳児の。アイツ結婚してたからさ。せっかくだし祝ってやろうと思ってな」
白刃に尋ねてみると、やはり特には持ってないそうだ。
ちらっと馬として白刃を乗せている覇白にも目をやるが、持ってはいないだろう。何せ今馬の姿なのだから。
まぁそういうのはいらないだろう、今更プレゼントを渡しあうような仲でもない。適当に奥さんの顔でも見て、それで既婚をからかってやれば十分な結婚祝いだ。
そんな事を考えながら山道を進むと、屋敷が見えてくる。引っ越しをしていなければ、あそこにまだ住んでいるはずだ。
白刃達が向かっていると、屋敷の方から急いで駆けてくる人の影があった。
「いらっしゃいませ! もしかして、白刃様でございますか?」
その男は白刃達の前に立ち止まると、必死な様子で尋ねてくる。白刃はすっと笑みを作り、それに答えた。
「はい。私が白刃ですが、何か御用でしょうか?」
「それはよかった。お待ちしておりました、少々お話よろしいでしょうか。旦那様……山砕様についてなのですが」
様子が普通ではない。尖岩は彼奴がどうしたのだろうと不安に思いながら、視線を白刃に移す。
「えぇ、聞きましょう」
「ありがとうございます! 今旦那様は奥様とお部屋にいらっしゃるので、悟られないようにご案内いたします」
深く頭を下げ、その先に案内する。そして、あまり物音を立てぬようにしながら屋敷の裏の部屋に渡った。
小さめな座敷に白刃と尖岩が座り、その外では馬としての覇白が繋がれる形で待機している。勿論彼は不服そうだったが、流石に一般人の前で馬として喋る訳にも行かず、何も言わずに座っていた。
「それで、お話とは一体?」
白刃が人のいい笑顔で尋ねると、男はゆっくりと話だす。
「……数年前、旦那様は奥様とご結婚なさいました」
「しかし、奥様は生まれつき病を患っている方でして。大人になってからは病状も落ち着き、元気だったのですが、ご結婚なされてから一年ほど経った頃に病状が悪化し、急死してしまわれまして……」
物悲し気な暗い表情で話した男。しかし、矛盾点があった事に当然白刃も尖岩も気付いていた。
「だけどさっき、嫁さんと部屋にいるって」
尖岩がそのことを言うと、男は悲しそうに笑う。
「はい。奥様はその時確かに亡くなられました。しかし、旦那様は、奥様の体に無理やり魂を呼び戻し、再び動けるようにしたのです」
「旦那様が力を共有なされた時だけ、奥様は一時的に生き返ります」
その話を聞いて白刃はピンときた。聞いた感じで、当てはまる術が知識にある。
「なるほど。疑似蘇生の術ですか」
頷くと、隣で尖岩が首を傾げた。
「なにそれ?」
尖岩からすれば聞き馴染のない言葉だった。名前から推測は出来るが、どんなものか気になり訊いてみる。
「簡単に言えば、先ほどこのお方が話してくれた通りの術ですよ。死んだ者の体に魂を、正確に言えば魂の模造品を入れることによって、自身の力を注いでいる間だけ疑似的に生き返らせるのです」
「しかし、これはあくまでも模造であり、本当に生き返った訳ではありません。偽物に生きるそれは確かに生きている時と同じ言葉を話し、同じ動きをします。ですが、これは飽く迄も紛い物です。どう足掻いても、その魂は模造品ですから。ですから、疑似蘇生という名なのですよ」
確かに、山砕ならそんな事もしそうだ。長い付き合いである尖岩にとっては、容易く想像出来た。
昔から一つの物に惚れ込むと執着する質で、言えば捨てられない人だったのだ。好きで結婚した女人相手となれば、そうなってしまうのだろう。しかも、別れが来たのは一緒になってまだ一年しか経っていない頃だ。
「旦那様が幸せなら邪魔はしないほうがいいのかもしれません。ですが、紛い物は紛い物……。お願いします、どうか彼を説得してください」
深いお辞儀から、どれほど本気の願いかは伝わってきた。
それに、山砕を連れていくには、どちらにせよ叶えてやらねばならないだろう。
「分かりました。では、こちらでお待ちください」
笑みを浮かべて答えると、男から部屋を教えてもらう。場所を把握すると、白刃は立ち上がり尖岩もそれに付いて行った。
「どうするつもりなんだよ?」
白刃の横で、心配した様子で尋ねてくる。
「どうするもこうするも、教えてやればいいだけの話だ」
いつもの白刃が、平然とそう答える。そんなとこを話している内に、話し声が聞こえる部屋の前に付いた。
この声は、確かに山砕だ。そしてもう一つ聞こえるものが、彼の妻であった者だろう。
「なぁ白刃」
尖岩が声を掛けるより先に。白刃は何の前触れもなしに部屋の襖を荒々しく開け、驚いている奴等の事は気にせずに言い放つ。
「来い」
本当に、その一言だけだった。初対面であるのになんの装いもなしに。
山砕は驚くと同時に突然やってきた知らない奴に対しての怯えも見せていた。これは良くない空気だと、尖岩は白刃の後ろからひょこっと顔を出して、小さく手を振る。
「よ、よぉ山砕。来ちゃった」
「尖岩! えっと、これはどういう……」
困惑している山砕の身の横には、動かない妻の体があった。それを見て尖岩は先ほどの話を確信に変えて、しょんぼりとした顔になる。
「な、なぁ山砕。その人が奥さん?」
「あ、うん! そうそう、そう言えば紹介してなかったよな! お前牢屋にいるんだもん、会いに行けないっての」
尖岩に言われ、再び妻に意識を向ける。そうすれば、彼女は再び動き出し、まぁと声をあげる。
立ち上がったそれは、尖岩の前に立つと、にこりと笑う。
「もしかして貴方が尖岩さん?」
「おう、そうだぜ」
「そうですか! 旦那様から幾度か話は聞いていまして、お会いしてみたかったのです。それでそちらのお方は、尖岩さんのご友人さんですか?」
自分に話を向けられても、白刃は答えずにじっと見詰めて観察していた。肌にも血色があり、その眼も生きている人間のモノだ。何も知らなければ誰も彼女を死人だとは思わないだろう。
今度は山砕に視線を移す。そして、どこか後ろめたさを感じていそうなそいつに、一つ問うてみた。
「おい、山砕。訊くぞ、これは本当にお前の妻か?」
「本当に俺の妻だよ、それは間違いない」
「そうか」
確かに、何の嘘も言っていない。しかし、それで逃げられるわけもない。
「じゃあ、訊き方を変えよう」
「こいつは、本当に生きているのか?」
それには何も、答えられなかった。
重い空気が流れているその中で、妻の方がゆっくりと口を開く。
「……旦那様」
「もう、終わらせませんか?」
小さい笑みを見せ、そう告げる。山砕は少し間を開けてから「嫌だ」とだけ答えた。
こういう時、何をすればいいかを尖岩は知っていた。だが、どうにか説得する形に持っていこうとしてみる。
「なぁ山砕。やっぱし、それはやめた方がいいと思うぞ。どっちにしろ奥さんは死んでいるんだ、そんな事しても、虚しいだけだろ?」
それでも何も答えてくれなかった。
「分かった」
白刃が一言だけ発して、手の中に力を集めはじめる。
「ま、待って。何をするつもり……?」
「お前が止めることが出来ないのなら、俺が終わらせる。模造の魂を壊してしまえば、全て終わる事だろう」
それを聞いて、山砕の中で血の気が引く気配がした。
それをされたら、本当に全てが無くなってしまう。
「嫌なら、お前が終わらせろ。選択できるのはそのどちらかだ」
終わらせなければいけない。受け止めなければならない。怖くて、目を背けていた事実を目の当たりにする日が来てしまったのだ。
妻は何も言わずにこちらを見ている。
嫌だ。嫌だけど、今ここで、どうしても終わせなければならないというのなら。この、己の手で。
彼女に近寄ると、彼女は優しく微笑む。
「旦那様。短い間でしたが、楽しかったです。貴方と過ごすことが出来て、嬉しかった」
「……うん。俺も」
力を浮かべた山砕の手を取り、自身の胸に押し当てる。最期にまた笑うと、彼女の中の魂が壊され、核を失った肉体はその場に倒れこんだ。
昔から物を捨てられなかった。何に使うかも分からない空き箱を大切に取っていれば、捨てろと言っても捨てなかった。そういう時、何をすればいいのか。山砕の場合、それは強制的に捨てる事だった。
この場合も、強制的に捨てたと同じだろう。尖岩は静かに泣き崩れる彼に気の利いた一言でもかけてやろうかと考えるが、何も思いつかなかった。
時が過ぎるのが数倍早く感じる。白刃は何も言わないし、これは自分が何かをしなければいけない。そう思って焦っていると、はっと思いついたことを口走る。
「そうだ山砕! いっちょ戦うか! そんでもって、一緒にうまいモンでも食べに行ってさ!」
そう言われると、山砕は顔を上げる。
「約束、やっと果たしてくれる気になったんだ」
「あぁ、戦わせろ。今度こそ、俺が勝つから!」
安心した尖岩は笑みを浮かべ、拳を突きだす。山砕は小さく笑って己の拳をこつんとぶつけた。
お互いに、五百年前から変わっていなかったようだ。
その様子を見届けると、白刃は部屋から出て、頼み事をしてきた男が待っている場所に戻る。
「白刃様、どうだったでしょうか……?」
「えぇ、問題なく」
いつもの装いで答えると、男は安心したように顔を綻ばせ、大きく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「お礼には及びませんよ。最終的に踏み出したのは彼ですから」
「しかし、代わりにと言っては何ですが、一つお願いがありまして」
ここぞとばかりに、そんな風に切り出す。
「はい! なんでもお申し付けください」
「では、山砕を私に預けていただきたいのです」
そう申し出てみると、彼はなんとも快く受け入れてくれた。結局は本人に訊かなければならない事なのだが、そこは大丈夫だ。何故かと言うと、嫌がっても関係なく強制的に連れて行く予定だから。
庭の方に出てみると、二人が見事な戦いを繰り広げて、溜まっていた物やそれらすべてを発散していた。それを横目に、覇白を繋いでいる所に戻って顔を見せる。
覇白は白刃を見ると、直ぐに立ち上がって話しかけてきた。
「終わったか?」
「あぁ、終わったぞ」
「そうか。ではこの縄を早急に解いてくれ、飼われているみたいで嫌だ」
やはりこれは嫌みたいだ。解いてやってもいいが、なんだろう、嫌だと言われると放置したくなる。
白刃はすっとその場から離れ、近くの縁側に座って眺めていることにした。
「おい、白刃」
とりあえず、こいつの抗議は無視していた。
普通に、人の形になって自分で解けばいいのに。こいつ馬鹿なんかな。そう思いながら見ていると、本人もそれに気付いたようで人の形になると、首に結ばれていたその縄を解いた。
そして何事もなかったかのように、白刃から少し離れた所に腰を下ろす。
「白刃、何を考えている?」
無言で何かを考えている白刃に、一応問うてみる。答えは覇白の予想していたものと同じであった。
「ん、束縛ってのもいいなって」
「そうか……」
その時、向こうでの戦いが終わったのか、二人の話し声が聞こえてきた。その後に、尖岩が山砕の腕を引っ張ってこちらにやってくる。
「白刃ー!」
「終わったか」
「おう」
尖岩はちらりと山砕に目をやり、その背中を押す。
「白刃、確かこいつも連れていくんだろ?」
「あぁ、その通りだ」
なぜだろう、白刃は今とてもワクワクしていた。そんな空気を山砕は察したようで。
「なぁ、なんかこいつ、怖いんだけど……」
本能的に察知した危険だ。尖岩は「一日一緒にいれば慣れる!」という暴論をかまして、背中をバシンバシンと叩いてやった。
「俺は白刃で、こいつは覇白。龍で、俺の馬だ」
龍を馬として扱っている時点でなぁと、覇白に目をやると、否定もしないで視線を逸らされた。
「い、一応訊くけど、尖岩はお前の何なの?」
「玩具」
その問いに、白刃は悪い笑みでそう答える。あ、聞かなきゃよかった。山砕は軽く後悔をした。
〇
何かを持っていたはずだった。何か、何かあったはずだ。あったはずなのに、何も思い出せない。自分は何処で、何をしていたんだっけ。誰と一緒に笑っていたんだっけ。
頭の片隅に何かが浮かんでいる。しかしそれを掴むことが出来ない。ふんわりとしたそれは、手を伸ばした途端に消えてしまった。
呆けていると、不意に訪れた頭痛で目を覚ます。再び開いた視界に映ったのは、自分よりだいぶ大きな男の人だった。
「いいかガキ、今日から俺がお前の父だ」
「おとうさん、ですか?」
「あぁそうだ。物分かりのいいガキで助かったぜ」
「分かってるな、子どもは父親の言う事を聞く。そして俺はお前の父だ。お前は俺の言う事を聞かなければならない」
分からない。分からないが、この人の言う事は聞かなければいけない気がする。心のどこかでは、何かが自分を呼び止めていた。しかし、そんなものに耳を傾けはしなかった。だって、目の前に「おとうさん」がいるから。自分は、彼に従うのだ。
雑に手渡された写真、そこに映る者はどこか懐かしく感じる。しかし、その正体は分からない。だけど、思い出せそうだ。もう少しで、手が届く。
「殺せ。それがお前の飯だ、ヘマしたら飯はなしになるぞ」
しかし、近くにあったそれはその一言でかき消された。
おとうさんが言うんだ。ころさないと。だけど、ころす? それは何だ? 何をどうすればいい? おとうさんを見ると、何か重い物を渡される。見た事のない、Lのような形をした黒いモノ。
「そいつに向けて、その引き金を引くだけだ。簡単だろ? お前みたいなガキにでも出来る事だ」
「行ってこい。すぐそばにいるだろうからなぁ」
背中を蹴られて、急いで外に出る。写真の人に向かって、この引き金とやらを引くだけみたいだ。それなら自分にでも出来る。
ころそう。おとうさんの為にも。その辺りをうろうろしていると、視界の中に写真の中の人が映った。
あの人だ。自分がそう思った矢先に、向こうもこちらに気付いたようだ。
「鏡月! あぁ良かった。さぁ、帰ろう。お母さんも心配しているんだよ」
不安そうだった表情が明るくなる。それが何かを言っているが、蝕まれた思考では、理解出来やしなかった。
子どもはおとうさんに言われた通り、その引き金を引く。
その行為が何を示すか、自分が何をしたのか、そんな事解る訳がなかった。
一つの激しい音を聞いてやってきたおとうさんは、とても嬉しそうに嗤っている。
「ギャハハッ、やっぱ陰壁産まれのガキはちげぇなぁ! 初めてで心臓ぶち抜いたぞ! どうだよ実の息子に殺される気分はよぉ?!」
「おとうさん、これでいいのですか?」
「あぁ、上出来だ。よかったなぁ、飯ゲットだ」
それはまだ少しだけ生きているようで、悔しそうで、悲しそうで。なんでそんな顔をしているのだろうか。じっと見ていると、やはり何かを思い出せそうで、だけど届かなくて、しかし何故か、とても悲しい気がした。
「しっかり食べてやれよ、お前の父親だ」
言われた瞬間、その一瞬だけ何かを掴めた。掴めたところで、触れた瞬間に泡になって消えてしまったのだが。
先日、山砕を迎え入れた事でご一行は四人になった。超越者が連れて来いと言った奴はもう一人、鏡月と言う奴だ。
森の中にあるのは、陰壁の領土を守るように取り囲む川、鏡月とやらはそこらにいるみたいだ。そして、少しずつだが川の音が聞こえてきた。そろそろ警戒しなければならないだろう、超越者から生身の人間は危ないと言われたのだから。
山砕と尖岩の適当な会話を聞き流しながら進んでいると、尖岩の肩の上で座っていた猿吉の様子が突然変わる。
「キッ!」
「ど、どうしたんだよ? 何があった?」
「キャ、ウキャ! ッキー!」
とても必死に、来た道を指さしている。まるで帰ろうよと言っているみたいだ。
「なんと言っているのだ?」
覇白が尋ねると、尖岩は慌てる猿吉を宥めながらそれに答える。
「『そっちは危険だ』って言ってる」
これから会いに行く奴が危険かもしれない、という事は大方白刃から聞いていた。立ち止まって、川の方向をじっと見ると、向こうから誰かが歩いて来ている。
それを見た途端、猿はさらに騒ぎ出す。
「え、何、アイツなの?」
「ウキャ!」
そうだと言いたげな様子な猿。どうすると尖岩が白刃に声をかけようとすると、先に白刃は覇白から降りた。
「待ってろ」
そう言って先を歩く。そうすると、向こうが白刃に気付いたようだ。
瞬く間にその姿が見えなくなり、素早い動きで背後から襲い掛かって来る。しかし、それに気が付いていた白刃は術で小さな結界を張り、攻撃を受け止める。
「鏡月か」
訊くと、向こうも何かを察したようだ。
直ぐに川の方に戻るように逃げ出す。そりゃ超越者も捕まえることが出来ない訳だ。ほんの一瞬で姿が見えなくなった。
尖岩はまた追えと言われると思い、いつでも走れるようにしたが、今回はそれを言われなかった。
「どうするつもりなんだ?」
何か考えはあるのだろうかと、尖岩が訊いてみる。
「追いかけっこ。お前等、得意だろ」
その言葉は、尖岩だけではなく他二人にも向いていた。
聞かなかったフリは、多分出来ないだろう。幸いな事に、三人とも脚にはそれなりの自信があった。
鏡月は川の上流部に戻ると、その足を止めて息を吐く。逃げるのには慣れているからこのくらいでは何ともないが、それでも急な全力ダッシュは脚に来る。
「はぁ。お腹空いた……」
ここまでくれば直ぐには追ってこないだろう。また気配がすれば逃げたらいい。
川辺の岩に腰を下ろし、靴を脱いで川に足を入れる。水の冷たさが丁度良く心地が良い、これでこの空腹も多少は誤魔化せるだろうか。息を吐いて、吸って、水面を眺める。そうしていると、すっと横からピンク色の物体が顔を出した。
「ブヒ」
「わっ。なんだ、豚さんか。なんでこんなところに……」
「ブー」
思わず尋ねたが、豚が人の言葉を話せるわけもなく、また自分も豚の言いたいことが分かるわけではない。
しかし、豚が人の言葉を理解するか否かは分からない。
「早く帰ったほうがいいですよ。今、お腹が空いているんです」
一応注意をしてから、また水面に視線を戻す。それでも豚はその場に座って、落ち着き始めた。やはり豚も人の言葉を理解できないようだ。
ちらりと豚を見ればそれは中々いい肉付きで、段々と美味しそうに見えてきた。
とても、食べたくなってくる。
「……食べちゃいましょうかね」
なんの警戒も見せないそれに手を伸ばすその瞬間、後ろの草むらからこちらに向かってくる気配があった。
伸ばしていた手を引っ込めると、川を飛びこえ走りだす。素足のままで気配とは逆の方向に逃げた。
この気配は、先ほど喰おうとした人と一緒にいた奴と同じものだ。それなら、複数人で追ってきていると考えた方が良いだろう。あの時歩いていた人間は三人、避けられない人数ではない。
案の定、森の中でもう一人の気配がして、こちらに気付いて走り出す。あまり整備されていない森の道は複雑だ、追いつかれることはないだろう。
しかし、どちらも中々速い。常に動く気配は、きちんと自分を追い込めるように考えられているように思える。
「待てよ鏡月! 少しだけ、少しだけ話するだけでいいからさ!」
もうすでに近くまでいるみたいだ。声と気配が近くなってきている。そして右の方からもう一人、飛び出してくる気配があり、とっさに左にはける。
しかし、靴なしで走るモノではない。ごつごつとした石を踏んでしまい、大きな痛みが走った。
やはり体は鈍っているようだ。空腹も交じって脚が言う事を聞かなくなってきた。
一時的な術で空間を捻じ曲げて、誰も立ち入れないようにする。この術は長くは持たない。ついでに、無理に捻じ曲げたせいで結果行き止まりを作ってしまっているのだ。だから、バレる前にすることをして逃げなければならない。
この際何でもいい。人でもなくとも口にできる物ならと探すと、丁度良く森に人がいた。それは若い女人で、思っていた以上の絶好の獲物だった。
もはや何故こんな所にという疑問は持たなかった。今はただ、この空腹を埋めたかった。
気配を極限まで沈め、陰に潜む。相手は一人、力を持っている気配もない。奇襲をかけたその瞬間、女人の足元から風が巻き上がりその姿を変える。
「うむ、案外簡単に騙せるものだな」
女人は覇白が化けたものであった。腕を掴み即座に術を打ち込むと、鏡月の体から力が抜け、どさりとその場に座り込んだ。
騙し討ちだ。まさかこんな簡易的なものに引っかかるとは。動かなくなった体を無理やり動かそうとするが、どうやらそれは無理そうだ。
それなら無駄に体力を消耗するのは得策ではないだろう。そう考えた鏡月は大人しく、その場はかなり静かであった。その中で覇白が風を飛ばす。
「白刃は獲物が逃げれば逃げる程興が乗る質だ。己の身の為にも、早めに腹をくくるのをお勧めする」
恐らく、逃げようとしても逃げさせてはくれないだろうし。
鏡月を見ると、その体の中の力は異様な形を見せている。覇白はそれから目を逸らし、一つ注意した。
「それに、お前、これ以上人を喰えば本当に魔の者に堕ちるぞ」
真面目な顔でそう告げる。しかし、鏡月はピンと来ていない様子で。
「超越者にも同じことを言われましたね、それ」
その答えに覇白は思考する。魔の者に堕ちるのが嫌ではないのか? そんな奴がいるモノのかと考えていると、彼は思ってもいなかったことを言い出した。
「あの、ずっと気になっていたのですが……魔の者って、何ですか?」
「え?」
思わず短い声を漏らしてしまった。そうすると、鏡月は怪訝そうな表情で続ける。
「超越者が来るときも同じことを言います。魔の者に堕ちる前にこちらに来いと。しかし、そもそもの話として、魔の者に堕ちると言われても何がどうなるかの説明をされなければ理解が出来ません。説明もなしに追われては逃げるしかないのです」
なんと言えばいいのだろうか、まさか魔の者を知らぬとは。流石に予想外だった。
「えっと、普通はな、魔の者の存在は知っているモノなのだぞ。子どもの頃に言われなかったか? 夜は魔の者が動き出す時間だから出かけるなと」
子ども時代、誰もが経験ある脅し文句だろう。実際、魔の者と言うのは夜に活発化するという傾向はあるのだ。身の安全の為にも、出歩かない方がいいと言うのは確かだ。
だが、そこまで言われても鏡月は分からないようで、
「むしろ、お仕事は夜にするものではありませんか?」
しかも、こんな事を訊いてくるものだ。
「……そもそもな。人の幼子は、仕事をしない」
「え」
覇白の訂正に、本気で驚いた顔をしている。だが、ビックリするのはこっちの方だ。世間知らずも良い所だと。
「私も大概世間知らずとは言われる事があるが……お前程ではないぞ」
「魔の者というのは人の成れの果てだ。まともな精神を失い、人を襲う事だけを考える。しかも、その行為に何かを見出すわけではない。ただ襲って、殺して、それだけだ。やがては肉体と魂の調和が乱れ体までもを失い、影だけの存在となる。これが魔の者だ」
「それは、恐ろしいモノですね」
他人事のように恐ろしがるが、まさにお前がそれになろうとしているというのだ。鏡月が何をどこまで理解しているのか分からないが、もう一度教えてやる。
「まさにお前がそれになりかけているのだぞ」
「なんでですか?」
「人を殺すからに決まってるだろう。しかもお前はそれを喰らっているんだぞ、続ければ堕ちて当然だ」
その指摘に、鏡月はまさに仰天と言うべき程まで驚いた様子を見せた。
「食べないのですか!? じゃあ他に何を食べろと……」
「普通は食べないし殺さない! 肉なら他にも沢山あるだろ、あと野菜も食べろ」
大きな勘違いを指摘した所で、覇白が飛ばした風を追って白刃達がここまでたどり着いた。
「どうしたの? やけにデカい声だして」
どうやら声が聞こえていたようで、山砕が訊いてくる。
「あぁ、いや。こいつがとんでもない事を常識だと思い込んでいたもので……」
「とんでもない事ぉ? なぁ鏡月、何の事だ?」
「いや、私は幼い頃からずっと、人と言うものは殺して食べる物であると聞いていたのですが、どうやら違うようでして……やはり、そうなのですか?」
その問いかけに、尖岩は少しだけ固まった。
殺して食べるのは家畜くらいだろう。これが常識のはずだ。しかし、いざ問われてみるとそれが違った認識なのかもと思い始めてしまい、出したものは断定した形の答えにはならなかった。
「えっと、そうだな。うん、殺して喰うのは家畜くらいだな。え、そうだよな?」
「そこは自信を持ちなよ、間違いなくそれが正解でしょ」
彼等のこの反応を見る限り、やはり間違っていたのは自分の方だ。
それを理解した時、丁度良く体に力が戻った。立ち上がろうとするが、それを白刃に抑えられる。
「お前、一回吐け」
「え、何を?」
「とりあえず吐け。話はそれからだ」
何をどうしろと言うのだろうか。吐けと言われても、そんな簡単に出来る事ではないだろう。固まって動かずにいると、白刃は鏡月の胸を指で軽く弾いた。
その行為を不思議に思ったその次の瞬間、体の奥底から血がせりあがってくるような味がして、草原の方に避けてそれを出した。
白刃が何をしたいのかが解らなかったのは、鏡月だけはなく尖岩と山砕もだった。その中で山砕が尋ねる。
「なぁ白刃、どういうこと?」
「寄生虫だ。吐けば出てくる」
答えられても理解は出来なかったが。
血を吐いた鏡月が目を開ける。吐き出された血の中に混じって、小さな百足のようなモノが十匹程、蠢いていた。
気色悪いなんて騒ぎではなかった。目にした瞬間に寒気がして、直ぐにその場から離れる。
「な、何なのですか? ムカデが……」
「百足じゃない。寄生虫だ、思考のな」
その言葉だけでも悍ましい。しかし、その実態は更に恐ろしい物だった。
「その蟲が持つ毒は思考を鈍らせる事が出来る。その卵を呑ませれば、体の中の血液に入り宿主の中で一年に一匹の頻度で繁殖し着々と宿主の思考を奪う。この手の手法は大分昔に使われていたモノだが」
「随分と古風なやり口で利用されていたみたいだな、鏡月」
白刃は彼の状況を察しているのだろう。説明したその口調は、心なしかいつもより優しい気がする。
事実を聞かされた鏡月は、青ざめていた。その理由は蟲が体内にいたのもそうだが、もっと別の事でもあるだろう。
白刃はなんとなくその理由も察する事が出来ていた。寄生虫を吐いた途端、奪われていた思考が元に戻る。そして、今まで行ってきた事とそれに本来抱くべき感情が一気に思い出されるのだ。
「実のところ、鏡月という名前を知ったのもつい最近でした。超越者が私の事をそう呼んだので、それで……」
「すみません。少し、水を飲んできます」
鏡月は一言断りを入れると川の方に走って行った。こんな惨い事実を耳にして気分が悪くなるのは致し方無いだろうが、心配だ。
「あれ、大丈夫なのか?」
「大丈夫ではないだろうな」
平然と答えられても困るが、尖岩もあれを見て大丈夫だとは思えなかった。
「行くぞ」
「川?」
「他にどこがある? 先行ってるからな」
そう言うと、白刃は間髪開けずに術で移動する。
「ちょ、勝手に行動するなよ!」
もう聞こえないと知っていても声は出ていた。
急いで三人も川に向かうと、そこでは白刃が川辺の岩に座って水面をじっと眺めていた。その先に、既視感のある長い髪の毛がプカプカと浮いている。
いや、訂正しよう。浮いているのは鏡月そのものだ、しかも体の前面が下側で。
「鏡月、なにしてんの?」
山砕が声をかけると、彼は水面から起き上がって髪を結いなおす。
「水遊び、ですかね?」
「なんでそっちが疑問形なのだ……」
「すみません。水を浴びてすっきりしました」
「それで、私に何用でしょうか?」
岩の上に座ると、髪に含まれた水分を絞り出す。問いかけられた事でまだ本題を切り出せていなかったと思いだし、白刃が簡潔に告げる。
「天ノ下に行く。ついて来い」
「天ノ下……それは、どこにあるんですか?」
鏡月が尋ねると同時に、全員の視線が白刃に集まる。意外にも誰もその道を知らないようだ。
「西だ」
「え?」
返された一言に、山砕は思わず声を漏らす。
「今まで俺は天ノ下を御伽噺の一つとしか考えていなかった。そして、超越者から言われた情報は、西にあると言う事だけ。それ以外の情報は教えられてないし、知らない」
恐らく、四人がその瞬間に思ったことは同じだっただろう。
「じゃあどうするんだよ」
ついでに、尖岩はそれを口にした。
「まぁ、誰かは知ってるだろ。期限はないし」
まずは御伽噺とされている天ノ下、別名「楽園」の場所探しになるのだろう。
無茶とかそういう事を言ってはいけない。思っても絶対に言うな。しかし、一回だけ言わせてもらおう。無理がある。
しかし、きっと大丈夫だろう。超越者のお導きがある限り、道は照らされているはずなのだ。……多分。
〇
昔から変わらず、堅壁のお屋敷から放たれる雰囲気はその名の通りに堅かった。それはもう、岩も砕けそうなほど。
「師匠、おはようございます」
「うむ、おはよう」
数多くの朝の挨拶の声に答える彼、大将もまた堅物である。ついでに石頭で物理的にも硬い。
歳は五十程であるが、今までの人生の中で女人に触れたことは数えられる程度、お陰で未だに独身だ。これから先もそうであろう。しかしそれに文句はない。己の背には守るべき堅壁の名があり、多くの弟子がある。これもまた充実した人生である。
厳粛な空気の中、不意に春風が吹く。
「おはようございます師匠。昨晩はよくお眠りになられましたか?」
「春風(しゅんふ)、おはよう」
長くきれいな白髪の、一目だけでは女人と思われても可笑しくはない程美人な青年。彼の名は春風、この堅い壁の中で唯一柔らかい風を持つ男だ。
「もう、師匠。そんな仏頂面じゃいつまで経っても女性に逃げられてしまいますよ? ほら、にっこりと」
「女人を求めてはいないのでな、これで問題はない」
「しかし、弟子に怖がられてしまいますよ? 師匠、子ども受けは悪いんですからね。あそこのお師匠は怖いからやだーって」
春風がほこほこと笑うと、大将は小さな苦笑いを浮かべ、「笑顔か」と呟く。
確かに、威圧のある仏頂面では幼い子どもに怖がられてしまうだろう。そう考えた大将は、試しに硬くなった頬をぐにっと持ち上げてみる。
「師匠、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
振り向いた彼が見せた表情を目にした弟子は、咄嗟にこみ上げた笑いを呑み込むのに苦労した事だろう。
「師匠、朝から無理はなさらないでください」
「そうだな」
弟子はぺこりと頭を下げると再び廊下を渡っていく。色々と言いたげに春風を見ると、彼も堪えるように笑っていた。
「やはり貴方は仏頂面でいるのが一番だ。さっきの笑顔、面白いほど下手くそでしたよ」
「お前は、師匠に対しての遠慮と言うものを覚えた方が良い」
「正直言えば、貴方は師匠と言うより第二の父親でして……ふっ、ちょっと、さっきのもう一回お願いしますよ」
正直に白状したが、先程の不器用以外の何物でもないあれを思い出すと吹き出しそうになる。
大将は、そんな彼を多少不服そうにいなす。
「やらん」
「お願いしますよー。愛弟子の頼みじゃないですか、ね?」
春風のわざとらしいその言い草で、一瞬可愛いと思ってしまったのは彼が美人であるからだろう。
咳払いを一つし、気を取り直す。
「いいから、修行をしなさい。皆そろそろ始める頃合いであろう」
「それに、お前がここにいるのもあと少しなのだからな」
そう言って、彼は庭の方に体を向ける。
目に映る大きな庭木は特殊な木で、春は桜が咲き、夏は緑の葉を付け、秋には葉は紅葉となり紅く染まる。
この木の桜が満開になる頃だろうか、春風は結婚をする。美しい花の横に添えるのはやはり美しい花。春風と共になる彼女は、桜のように可憐な女人である。
「それもそうですね」
「式には来てくださいよ、師匠」
微笑んだ彼の、長い白髪が柔い風に揺られる。その様が妬けてしまう程に絵になるのだから、困ったものだ。
それから数日後、春風は結婚の為屋敷を抜けて行った。まとめた荷物を馬に乗せ、出発の準備が完了する。春風は見送るために門の前まで来ている師匠に微笑みかけた。
「ぼちぼち会いに来ますね」
「妻を持ったからにはそれ相応の責任を持つ。妻を放って遊びに来るなよ」
「では、妻も連れてくればいいのですね。分かりました」
言葉に込めた意味を見事にくみ取ると、今度は春風が冗談めいた笑みを浮かべる。
「師匠、私がいないからって悲しくならないでくださいよ?」
「ならん。弟子なら腐るほどおるわ」
ふいっと視線をそらし、大将は答える。その後ろには冗談抜きに腐る程にいそうな弟子たちが、春風の見送りに集まっていた。
「では、お世話になりました」
「あぁ。精進しなさい」
とある春の日の話。馬に乗って新たな道を進みだした弟子を見送る師匠は、少しだけ微笑んでいるように見えた。
それから年は三回程周った。春風は時折妻の桜花(おうか)を連れて堅壁の屋敷に訪れ、師匠に近状報告や他愛もない世間話をしていた。他の弟子たちの訓練に混じって励んだり、指導したりもしていて、大将は彼等が戻って来る度に微かに柔らかな笑みを浮かべていた。
そんなある日、春風と桜花はいつもと違う様子で屋敷に訪れた。
「師匠、実は私たちに子どもが出来たのです」
春風がそう告げると、隣で桜花が照れながらも満更でもなさそうにはにかむ。そんな彼女に促され腹に触れてみると、そこには確かに命の気配を感じた。
「性別はもう分かったのか?」
「はい。男の子だそうです」
嬉しそうに答えるその夫婦の様子は、師匠からしても微笑ましく思った。
「それで、名はもう決めたのか?」
「その事なのですが、師匠。貴方に決めて欲しいのです」
春風のその申し出に、大将は意外な顔をする。
本当に良いのかと桜花に目をやると、彼女は愛らしい笑みを浮かべて答えた。
「はい、春風様のお名前もお師匠様がお決めになったと聞きました。ですから是非、私たちの子にも名を授けて欲しいのです」
「分かった、考えよう」
春風の名は、大将がまだ弟子の立場であった時、同輩から頼まれつけた名だ。あの時は丁度、初めての春風が吹いた頃だったか。だからその名を付けたのだ。
では、今回はどうしようか。そう思った時、ふと春風が持っている刀に目が行った。
幼い春風が母親から譲り受けたその刀の名は「白龍の聖刃」と言う。その刃は穢れの一点もない純白の刃であり、彼は大層気に入っていた様子だった。
「シラハ。白い刃と書いて白刃だ」
これまた安直だったかと思ったが、春風も彼奴の子のようだ。安直ながら鋭い三文字の響きを気に入ったようだ。
「それは良いですね!」
「私もいい名前だと思います。ふふ、お師匠様もお爺ちゃんですね」
「はは、妻もいないのにお爺ちゃんか」
「そう呼ばせる事にしましょうか? 大将お爺ちゃん。いいじゃないですか、私からしても第二の父なようなものですし」
「うむ……」
一瞬だけ悪くないと思ってしまった自分を頭の中で叩き、咳払いをする。
「春風、子が出来れば更に責任は重くなるぞ。しかと受け止め護れ。門下を抜けたとは言え、堅壁の教訓を忘れるでないぞ」
「『人の道外れず成す事を成す』ですよね、師匠。ご安心ください、こう見えて腕には自信があるので」
お腹の子が生まれるまであと数ヶ月。夫婦は勿論、大将も密にそれを心待ちにしていた。弟子に子が産まれる、なんとも喜ばしい事ではないか。
自室にて、飾った写真に目をやる。そこには若かりし頃の自分と、春風によく似た顔立ちの黒髪の男とそれに見合う美しい白髪の女人が仲良さげに映っている。
「……お前の息子はよくやっている。私の、自慢の弟子だ」
「子の成長も見届けずに逝きおって。お前はどこまで自由人なのだ」
彼のその言葉に返事をする者はいない。しかし何となく、「悪かったよ」と小さく笑いながら答えるその声が、耳の奥底で蘇った気がした。
そして迎えたその日。産小屋の前でうろうろと落ち着きなく歩き回る春風は、今か今かとその時を待っていた。
夫は子が生まれるまで小屋に入ってはいけない。生命が生まれる瞬間というのを目にしていいのは、その母体と世の超越者のみなのだ。
落ち着く事無くただ時間をつぶしていると、小屋の中から赤子の泣き声が聞こえた。
「桜花! 産まれたのか?」
「春風様、産まれましたよ。私たちの子です」
その報告を聞き小屋の扉をあけると、妻は嬉しそうにその子を抱えている。
「ふふ、綺麗な白い髪。春風様似でしょうかね?」
「あぁ。しかしこの可愛さは桜花似でもあるだろう」
「まぁ、春風様ったら。口がうまいんですから」
産まれたばかりの赤子は両親の仲睦まじい姿をじっと見て、きゃっきゃと笑う。母親となった桜花は、そんな我が子に微笑みかけた。
「白刃、今日から私がママよ。よろしくね」
そうすると、驚くことに我が子はぱっちりとした瞳で母親を見つめ、それを呼んだ。
「まぁま?」
「おぉ! これは凄い」
「えぇ! きっと超越者のお導きです」
「そうだな」
この子は凄い子だ。小さな手を握ると、子はふにゃりと笑う。とても愛らしい子だ。小屋の中には、和やかな空気が流れている。
ただ、どの時代にも幸せを奪うモノはいるようで。
「お邪魔しますぜー旦那」
上がりこんできたその声。入口の方を見れば、ジャガイモとゴボウのような二人の男が、下卑た笑いを浮かべて上がりこんで来ていた。
「誰だ」
「誰だか、へぇ高貴なお方はやはり世間知らずだ事」
ゴボウ男が嗤うと、そこで思い出した。恐らく、「魔潜」の奴等だ。彼等の目的が何か、そんな事はこの時点で大方察する事が出来る。
「春風様……」
「大丈夫だ、桜花」
怯える妻を背に隠し、刀を抜く。相手は刀も何も持っておらず、それを扱えるようにも思えない。産まれたばかりの子の前で人を斬るのは忍びないが、最悪それも致し方無いであろう。
「へぇ、こりゃ怖い。おい、ガキと女は金になる、傷付けるなよ」
「分かりやした親分!」
ジャガイモ男がゴボウ男に返事をすると、懐とから何かを出してくる。刀やその類いのモノではなかった。見た事のない、黒い物体だ。だが、それが武器であることは間違いない。どうとでも出られるように構えるが、ジャガイモ男ははちきれんばかりに口角を上げて、黒いそれに指をかけた。
その時、小屋の中に鋭い音が響く。それと同時に、春風の身が倒れた。
「春風様っ!」
「やりましたぜ親分!」
「こりゃぁいい! 異世界からの品だと言うから怪しんでいたが、間違いなさそうだ!」
男たちは下品に笑う。そんな二人は意ともせずに、桜花は春風の手を取る。
打ち込まれた小さな弾は魂の宿り場所、心臓に入ったようだ。
「春風様、そんな……春風様!」
「おっと、黙りな嬢ちゃん。命が惜しければガキを渡しな、大人しくしてりゃ悪くはしねぇ」
ゴボウ男が銃を向け、そこに意識が行った一瞬で子供を奪われてしまった。
子どもは異変に気付いて、わんわんと泣きだす。そしてママとパパに助けを求めるように手を伸ばした。
その子が普通の赤子と違う事は、流石の外道も理解したそうだ。ジャガイモ男は嬉々として笑い、ゴボウ男に告げる。
「親分、こいつ一段と高く売れますぜ!」
「こっちの女も中々上球だ! 今日は儲かったなぁ」
下衆な笑い声に、桜花の中で沸々と怒りが沸き上がる。銃を向けられていたが、そんなものは今この怒りの前では無い物と同じだった。
「返しなさい……」
「あ?」
「返しなさいと言っているの!!」
今まで見せた事のない形相で男共を睨み、声を荒げる。
「それは私と春風様の子供よ! お前たちのような下衆の外道共が触れていいものじゃないわ!」
「はっ、威勢のいい女だ事。女は女らしくしおらしくしてなぁ!」
「貴方のような人に女のありようを解かれる筋合いはないわ! 貴方こそ男の風上にも置けない、獣未満じゃない! なんとも嘆かわしい、貴方のような人間が生きているからこの世は穢れるのよ!」
「な、なんだとぉ……大人しくしていりゃよくしてやったのによっ!」
頭に血が上ったジャガイモ男は、その引き金を桜花目掛けて引く。先程の同じ鋭い音が響くと、部屋は一気に静寂が訪れる。
「おい、女は殺すなと言っているだろう」
「だって、親分」
「まぁいい。このガキであの女の分も稼げる。見ろ、この力。間違いなく超越者が選んだ魂だ」
ジャガイモ男とゴボウ男の下卑た笑いが立ち込める。笑い切ったところでずらかろうと小屋の入り口に向かうと、そこに如何にもお堅そうな仏頂面の男が現れる。
「下衆共が」
大きな怒りと圧を孕んだ声で、二人を牽制する。ゴボウ男がそれに怯み、後ずさった。
「げっ……堅壁のご当主じゃねぇか……」
「親分、どうしました? こんなジジイとっとと殺して逃げましょうよ!」
何も知らないジャガイモ男がそう言って、武器を構える。
「ジジイか。まぁ、強ち間違ってはいないが」
その瞬間、ジャガイモ男の顔が青ざめた。自分の構えたその武器がほんの一瞬、まさに瞬く間に、彼の年季の入った手によって握り潰されていたのだ。それを目にした瞬間に、ジャガイモ男もこの男がどんなに恐れるべき存在であるかを思い知る。
「裁きの時だ。人の道から外れに外れたその行い、一度の死では償えぬぞ」
その怒りは力を更に強大にし、二人の体に入り込む。
力が体の中で暴れ、激痛と共に魂が散らされる。痛みに怯える二人の心臓に刀を刺せば、あとは死ぬのみであった。
「……白刃」
子を抱え上げると、その子は分かってか分からずしてか、大将に笑いかける。それはまるで弟子を亡くした師を励ましているかのようで、そして、失った己の両親の事を見ないようにしているかのようで。
「師匠! 春風殿と桜花殿は……」
遅れてやって来た数人の弟子が小屋に乗り込む。二人の男の死体は蹴とばし、兄弟子である春風に駆け寄った。
「そんな、春風殿……あんな、あんな下衆の輩にやられたのですか。嘘ですよね……? ねぇ、春風殿!」
「……やめろ」
必死に声をかける弟子を止める。
「師匠……だって。春風殿は、お強かったのに」
「卑怯を前に、強さの歯が立たない事は珍しい事ではない」
もう、手遅れなのだ。
大将の目に映ったのは、散った二輪の美しい花。春のように暖かだったそれは、もう既に温もりを無くしている。
「その子は屋敷で育てる、至急乳母を手配しなさい」
「今護れるものが優先だ。分かっているな」
「……御意」
弟子は俯いたまま赤子を受け取り、先を急ぐ。そうして、小屋の中には師である大将だけが残った。
少しの沈黙の後、彼は春風の横にひざを折る。
「護れとは言ったが、お前の命があってこそだったのだぞ。馬鹿者が……」
「お前らの子は私がしかと育てる。だから、安心して眠ってくれ」
告げると、師匠と呼ばれた彼は小屋の外に出て弟子たちに指示を送る。二人の供養と、今度の話であった。
彼がその場を後にした後、残っていた弟子達は話した。
「師匠も、泣くのだな」
「当たり前だろ。春風さんの事、すごく可愛がっていたじゃないか」
互いに顔を合わせる。その顔は師匠の事を言えずに同じであり、苦笑いを浮かべた。
もう直ぐ、春が終わる。
◆
ハロー!
なぁに驚いた顔しているのさ、君の所の言葉だろ? 知ってるよ! なんてったって僕は全てを超越する、超越者だからね。
なんか腑に落ちなさそうな顔をしているねぇ。あ、分かった! ハローはニホンジンが使う言葉じゃないって言いたいんだろ? それも知ってるもんねー。イギリスジンとかが使うんだろ?
え、ニホンジンもたまに使う? ……もう、この僕の揚げ足を取るなんて、大した度胸だこと!
ん、何だい? 訊きたいことがあるの? うーん、内容にもよるけど、それ次第だな! 言ってごらん。
うん。うんうん。なるほどねぇ、天ノ下が正確にはどこにあるのかね。
じゃあ逆に、どこにあると思う~?
あはは、だから言ってるだろ? 等価交換だって。教えて欲しいのなら僕に君の事を一つ教えてよ! それで手を打ってあげる。
ふんふん……へぇ、君貧乳派なんだ。まさかそんな情報から教えてくれるなんてね、まぁいいよ、交渉成立! 教えてあげる。
と、言ってあげたいところだけども! 残念、教えません。
不満そうな顔してるねぇ、けどこれには理由があるんだ。ごめんね。
まぁさ、宝探しも地図があれば簡単じゃない。難しい方がいいだろう? まぁ、探すのは君じゃないけど。
じゃあその代わりに、僕の事を教えてあげるよ! え、そんなに興味ない? あー、ごめん、僕急に耳が悪くなちゃった。教えてあげるね!
実はね、僕ね、子育てがあまり得意じゃないんだ。何でだろうね、いつも失敗しちゃう。元気には育ってくれるんだけどね、如何せん元気過ぎるのさ。
あー、君今「そりゃそうでしょうな」って思ったぁ。ひっどいなぁー、僕だって頑張ってんだよー?
それに、君だって独りの子どもを放っては置けないんじゃない? あの子たちは非常に無力で、何も出来ないんだ。誰かの保護が必要で、その誰かがいないと生きる事すらできない。
本当に、何も……。
このお話やめね。僕、飽きちゃった。ほら、ご飯食べるから手洗ってきなよー。なんと今日はね、君の故郷の食べ物、スシを作ったんだ! 君も好きだろう? 聞いたよ、ニホンジンはみーんなこれが好きだって! ふっふー、心優しいこの僕に感謝しな!
◆
道を尋ねるのは苦手だ。何故だろうか、女人に声をかければ怖がられるし、男に声をかければなにやら驚いた顔をされる。
手分けして手がかりを探す事になり町に出たのは良いのだが、やはり御伽噺の一環としか考えられていない天ノ下だ。それを知っているかと聞けば、幼い頃にお話で聞いたことがあるという情報くらいしか手に入らない。
「天ノ下ですか、確か、お話ではお空の上にあるとかなんとか……」
そう答えるお店の看板娘は、やはり白刃と目を合わせようとしない。たまに横目にしたと思えば、直ぐに顔を赤くして逸らすのだ。
「そうですか。ありがとうございます、お嬢さん」
「は、はい! お役に立てたのなら何よりです」
看板娘は二度頭を下げると、直ぐに自身の働く店に戻っていく。丁度良くその時に、向こうから尖岩が声を掛けて来た。
「白刃、どうだ?」
「駄目ですね、やはり場所を知っている者はいなさそうです」
人目が沢山あるからか、白刃の口調はそちらの装いの方だ。何だろう、何だかムズムズする。解っている、世間一般的に受け入れられるのはこちらの白刃だ。
「尖岩、一つお訊きしたいのですが」
「んー?」
「私は、そんなに怖いでしょうか」
尋ねて来た白刃を見上げてみると、彼なりに真剣に悩んでいるようだ。
先程のやり取りを一部見ていたが、あの反応は明らかに怖がっているモノではない。彼女が浮かべていたのは恋をし始めた乙女の顔だ。
「だーかーら! それは怖がられている訳じゃないんだっての」
「そうなのですかね?」
「そうなんだよ」
何度言ったら分かってくれるのだろうか。此奴、美人の癖して色恋に疎すぎる。
「もったいねぇなぁ、美人なんだから女も沢山言い寄ってくるだろうにさぁー」
「おやおや、おだてても何も出しませんよ?」
「あーはいはい。何も求めてりゃしていませんよー」
適当な会話で歩いている合間にも、町の娘からの視線が白刃に集まる。なんともまぁ、妬ましい事だ。前方から歩いてくる覇白を見つけ、「おーい!」と手を振る。その時の周りの反応でなんとなく分かるが、覇白も中々の美形なのだ。
そして覇白がこちらに来ると、感じるのは圧倒的な身長差。あぁなんとも妬ましい。そんな尖岩の心情など知らず、覇白は良いとは言えない報告をする。
「白刃に尖岩。一通り聞き終わったが、やはり情報はなしであったぞ」
「そうですか。ありがとうございます、覇白」
「なんか気色悪いなお前。いつもの方が良いぞ。なんか、気色悪い」
尖岩がずーっと言わないようにしていた感想を、覇白は馬鹿正直に言った。
「お前っ、俺が必死に言わないようにしていた事を……」
「ふふっ、私も世間体と言うものを気にしているのですよ。ところでお二人、後でお時間ありますかね? 少し、お話ししましょうか」
これは確実に何かに触れた。触れてはいけない何かにだ。
今は人の目があるから尖岩の頭の輪を締めたり他様々な事もしてこないが、これは後がとても怖い。今手出しできない分、後に倍になる気がしてやまないのだ。
「げっ。おいこら覇白! お前のせいで俺もじゃねぇか!」
「い、今のはお前も悪いであろう!」
言い争う二人を、白刃は笑顔のまま注意する。
「お二人、町中なのでお静かに。ね?」
「ひゃっ……お、おう。すまねぇ」
「あぁ、すまなかったな」
「お利口さんですね」
先程は気色悪いと言ったが、お詫びして訂正申し上げよう。これは、怖い。普通に、いや、本当に。
しかし、そんなやり取りの側だけを見ていた町の者たちは、とても微笑ましそうにしている。傍から見れば美人な男二人と小さくてかわいい男の子がはしゃいでいるようにしか見えないのだろう。
それと、尖岩は気が付いていなかったが、本人の意に反して「あの子可愛い~」と言われていた。
「そ、そうだ! 山砕と鏡月探そうぜ! そろそろ合流した方が良い、な!」
「それもそうですね。では、参りましょうか」
白刃は笑顔で答えると、先に進む。
今夜は寝かしてくれないだろう。まぁ、これ自体はいつもの事ではあるのだが。夜中眠りについたところを強制的に起こされて、白刃が寝る時まで相手をしないといけない。
子どもか。とにかく構って欲しい子どもか。そんな心を内に、嫌味のつもりで尋ねてみる。
「なぁ白刃、お前って何歳なんだよ?」
「確か、二十二でしたかね」
「はは、若いなぁ」
尖岩の言葉をどういう意味で受け取ったのかは知らないが、白刃は微笑んで言葉を返した。
「ご安心ください、尖岩。貴方の見た目は十五歳ほどなので」
「確かに、それは否定できぬな」
覇白まで真面目な顔で頷く。それは尖岩からすれば誠に遺憾な話であった。
「否定しろ!」
そう叫んだところで、同じく十五歳くらいの見た目のそいつが甘味処で団子を喰っていた。加えて、そのお盆の上には既に串が五つ乗っている。
「よくお食べになられるのですねぇ~。もう一本如何です?」
「あぁ、いただくよ。ここのお団子は美味しいねぇ。俺、また来ちゃおっかな」
「ありがとうございます! その時はまたよろしく願いしますね、旦那様」
「うん! そうだ、お姉さんのお勧めは何かあるかな? 買って後で食べたいなぁ~」
「あら、ありがとうございます! 私のお勧めはこの店限定の餡団包です」
きゃっきゃと店員の会話をしている山砕の様子を見て。尖岩は、そういえばこいつこういう奴だったなと声にはせずに呟く。
「じゃあまた来るね、お姉さん」
「はい、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
お金を払うと、食べた団子と綺麗に包まれた餡団包(餡子を練りこんだ生地で餡子を包み、薄く伸ばした小麦粉の皮で包んで焼いた物)の箱を持ってルンルンと出てくる。まだ、こちらには気付いていないようだ。
「そこの旦那! 中々いい食べっぷりだね、うちのもどうだい? さくさくコロッケ揚げたてだよぉ!」
「お、美味しそうだね! 一つ頂こうかな」
「ありがとねぇ! 他に何か必要かい?」
「んー、じゃあお勧めとかあるのかい?」
「この店はトンカツも一押しだよ!」
「あー、すまんねぇ。俺、豚肉は食べないんだ。そうだな。じゃあー唐揚げを、五個を貰おうかな」
「あんがとね! 初回サービスで一個サービスしておくよ、これからもうちの店を御贔屓にー!」
「あぁ、また来るよ」
とても楽しそうで、そしてまだこちらに気付く様子はない。何だろう、視野が狭いのだろうか。もう気付いても可笑しくない距離にいると言うのに。
そして山砕は再び客引きに呼ばれ、あろうことか白刃のすっと横を素通りして行こうとした。横を通り過ぎようとしたその瞬間に、白刃はにこにことしたままその腕をがっしりと捕まえる。
「ここまで来て何故気付かない」
顔はそのままであるが、声と言葉に素が出ていた。ここまでくれば流石に気付いたみたいで、山砕はやらかしたと言いたげに白刃を見上げる。
「あ……白刃、いつから、いた?」
「行くぞ」
白刃のその感じで、少し前から見られていたと気付いた山砕の中で羞恥が沸き上がる。出掛ではしゃいでいるところを思いっきり見られた。別にどうと言うわけでもないが、凄い恥ずかしい気がする。
「お前、すっごい楽しそうだったな。俺、少し安心したぞ」
「俺からすればあまり見られたくなかった所だけどな」
しかし、はしゃいでいた自分が悪いという事もある。仕方なく飲みこんで、まだ満たされていない胃袋を買った餡団包で埋めた。
あとは鏡月だけだが、恐らく彼も何も得ていないだろう。白刃はそう考えていた。
これからどうするかを考えながら鏡月を探していると、お茶屋から「ありがとうございました」とお礼を言って出てくる鏡月がいた。
「あ、白刃さん達」
「鏡月、何か分かりましたか?」
尋ねてみると、鏡月は嬉々として伝えて来た。
「どれほど有力な情報かは分かりませんが、一つ目新しい情報がありましたよ!」
「どうやら、伝説によれば龍は古来より超越者との繋がりがあるそうでして。龍の王族なら天ノ下の場所が分かるかもとこのお店の方が言ってました」
きっと、彼にこの事を教えた店の人は真面目にそう答えた訳ではなく、御伽噺に夢を見る無邪気な少年の夢を壊さぬようにそう答えたのだろうが。
鏡月の報告が終わった瞬間、鏡月以外の三人共が覇白に視線を向ける。しかし、覇白は極力視線を合わさぬようにそっぽを向いていた。
「……」
「……」
「覇白」
無言の間の後に、白刃が彼の名を呼ぶ。
本人は何も言わずに後ずさり、「御免」と一言呟く。その直ぐだった、覇白は足元から風を巻きおこして龍の姿に戻り、目にも止まらぬ速さで逃げて行った。
そう、こんな町中で。
「おいなんだ今の!」
「今の、龍じゃなかったか?」
「本当か!?」
案の定ざわつく周辺。白刃の表情はすんとしていたが、何を考えているのか分かってしまい、尖岩と山砕は無意識的に距離を取っていた。
一方何も知らない鏡月は、一連の流れを見て不思議そうに首を傾げていた。
それから逃げた覇白を探して数十分ほど歩いたが、近場にはいなかった。
「なぁ白刃、どうすんだよ? 覇白逃げたぞ」
尖岩が訊くと、白刃はとくに慌てた様子もなく答える。
「あぁ、逃げたな」
「逃げたなって」
「もしかして、今のって私のせいですか?」
「気にするな。捕まえれば問題ない」
その返事にとりあえずは安心した鏡月。しかし、どうするつもりなのだろうか。何処に逃げたかも分からないと言うのに。
尖岩がもう一度どうするかを尋ねようとした時、見上げた時に見えた白刃の表情から、恐ろしいものを感じとった。
これは、怒りなのだろうか。知らぬのも怖いから、恐る恐ると声をかける。
「な、なぁ白刃? 怒ってんの?」
「ん、いや。怒ってはない。粗方実家に帰りたくないから逃げたんだろ、まぁ気持ちは分からんくもない」
これは、気のせいだったのかもしれない。胸をなでおろしていると、なんだか不穏な予感が走った。
逃げられたことに対してではない、尖岩が知らぬ何かに矛先が向いている。
「待って白刃、なんかあったのか?」
鏡月も山砕もどういうことかは分からずに、おろおろとしている尖岩と表情だけはいつもの白刃を交互に見る。
「山砕さん、これは俗にいう修羅場の予感と言うものでしょうか?」
「多分……と、とりあえず、鏡月。おはぎ食べるか?」
「いいのですか? 頂きます!」
鏡月はおはぎを受け取るとそれを一口はむっと頂く。白刃は何も言わなかったが雰囲気からもう怖い。十中八九、これは不機嫌な人が放つモノだ。
「白刃! とりあえず落ち着けって、な! お前いつもの十倍怖いぞ、俺の為にも落ち着いてくれ! 覇白に何かあったのか? 何かあったとしてもなんでお前が知ってるんだ!」
ごもっともな要求と問いかけに、白刃は山砕からもらったおはぎを呑み込んでから答えてやる。
「俺が、俺の玩具の監視をしていないと思うか?」
つまりは、そういう事だ。世の中にはそういう術もある、尖岩はよく知っている。
何処で何をしているか、それを術者に伝える物だ。本来は親がお転婆で心配ばかりかける子供に使ったりする術だが、まぁこういう使い道もある。しかし、あまりにも異例だ。
「ちなみにお前等にもやってる」
あまり知りたくなかった追加情報に、尖岩はツッコむ。
「だからお前怖いって! あとおはぎを丸呑みみたいに食べるな喉に詰まるだろ!」
「チビ助ったら、なんか母親みたいだな。ん、このおはぎ、きな粉もめっちゃ美味しいよ、ほら食べてみろよ」
「そうですねぇ。わぁ、これとっても美味しいです!」
こちらはこちらでなんともツッコみ所があること。何故この状況でそんなにほのぼのとおはぎを食える。
それを言うついでに、山砕のチビという言葉にも注釈を加えておいた。
「なんで他人事なんだよお前等にも使われてるんだぞ、あと俺がチビならお前も大概チビだこの三歳児」
「まぁいいじゃないですか、そのくらいは。どうせ行動を共にするのですから」
「そうだぞチビ。細かい事気にしてると身長縮むぞ。それに、俺はお前より三センチくらい高い」
微妙な抵抗に顔をしかめると、はっときた鏡月が言った。
「あ! 私それ知っています、どんぐりの背比べですね」
「鏡月、お前に悪意が無いのは分かる。分かるから言っておく、思っても言うな」
「今日のお前凄くツッコむじゃん、どうしたの?」
「お前等がツッコませてんだっ!」
久しぶりに酷使した喉を休めようと出されていたお茶を飲もうとしたところで、頭の輪が締められる。もはやもう何も言うまい。今のこいつはとことん不機嫌なのだ。
勢いに任せ、逃げてしまった。少し後悔して立ち止まると、そこは知らない場所だった。
幸い、人目のない所だ。先程龍の姿で町を掛けてしまったが、見間違いだと思ってくれることを願おう。
覇白はその場で人の化け、どうしたものかと溜息をつく。
そんな時、
「覇白」
静かに重い、呼びかける声が降って来る。
恐る恐る顔を向けたその先にいたのは、厳粛なる王の姿だった。
「戻れ。龍王として、話がある」
龍ノ川の頂点に座する龍王、統白(とうはく)。威厳溢れるその王の姿はどんな龍もひれ伏すと言われ、冷静に事態を治める彼は、仕事に私情を混ぜぬ男である。
その時、覇白に向けられた鋭い眼は、龍王たる彼のモノだった。
忘れてはいけない、己が何を恐れて逃げたのか。そこに立つ王を前にして、逆らう術などなかった。
王の場に立つその彼は、目の前の覇白をしっかりと双眼に捕らえ、口を開く。
「覇白よ、お前は犯してはならぬ罪を犯した」
そこに怒りはない。王はただ冷静に、罪を罰で清算する。
「龍王として告ぐ、お前は――」
「お待ちください!」
その言葉が紡がれるその直後だった。
紅色をした半透明の仕切り布を通り抜け、一匹の白龍が飛んでくる。龍は二人の間で人の姿になり、王の前に立つ。
彼は龍ノ川第一王子、名は司白(しはく)である。
司白は王の前に跪き、頭を下げる。
「この子の罪の半分は私が担います! ですからどうか、命だけは勘弁してください」
その懇願は、今までに見た事がない程必死の物で。覇白は小さな声で兄を呼び、その姿を目に映す。
龍王は、少しの間何も発さなかった。
「……ならぬ」
出された答えは、その一言だった。
「しかしっ」
「罪を償えるのは犯した本人だけだ。それに、燃やされた宝珠がどれ程の物か、お前も分かっているであろう。これは知らぬ存ぜぬの問題ではない」
司白は必死に訴えかけようとする。しかし、王は冷淡に物事だけを見た。
「そうは言いますが父上、覇白の弁解も聴くべきです! この子は理由もなしに悪さをするような子ではありません。それは父上だってお分かりでしょう?」
彼のその意見は、兄としての優しさなのだろう。そうして龍王は、静かに子である彼を呼びかける。
「司白」
「訳がどうであれ、事実は変わらぬ」
冷酷にも、王の意が揺らぐことはなかった。
王は真っ直ぐと彼等を見詰めながら告げる。
「明日までに、覚悟を決めておけ」
それを最後に龍王は去って行く。そうしてその場に残ったのは沈黙と、何も出来ない王子達だけだった。
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