第10話 「表現力」=「テクニック」

 でも流石に今月のお小遣いがピンチなのである。買うとしたらせいぜいあと1冊ってところ。そうすると、とりあえずある程度メジャーなところで、まだ弾いていないものを選ぶのが無難か……


「ハイチュウ、決めた?」

「ごめん、あと1冊だけ選ばせて……村松さんは」

「実はまだ。ハイチュウは何で迷ってるの」

「ショパンのバラード集か、シューマンのソナタ。両方とも、難易度的にほぼ弾けるようになる保証はないけどね」

「弾けるんじゃないの? 中2のとき『道化師の朝の歌』弾いてたくらいなんだから」

「……もう、あの頃の手や指の柔軟さは無いし、それからしばらくピアノ弾いてなかったから、全部忘れちゃったし、テクニックも消えたし。あれも弾けてたって言っていいのかどうか良く分からないじゃん」


 妙に早口になってしまった。


「そうかな。音楽室で初めて聴いたとき、とんでもないのがいるなって、思ったんだけどなぁ」


 今やその「とんでもないの」側に立ってしまわれた村松さんに言われても。


「それはそれとして、さらにもう1冊迷ってるのがあってさ」

「?」

「モシュコフスキーの練習曲。……最近、ショパンのエチュードを弾こうとしてるんだけど、中では簡単なほうの曲を選んでるはずなのに、イマイチ決まらなくてさ。まぁテクニックが足りてなかろうということで、対処法を色々ググってみたわけよ」

「ああ、ロマン派以降の曲を弾くんだったらツェルニーよりモシュコ、だよね」

「らしいよね。あたしはつい最近、初めて知ったんだけどさ。何なら、音高・音大行くような子ぉらの必修って聞いた。村松さんは弾いたことある?」

「うん、全曲やったよ。経験上、モシュコはおすすめ」

「やっぱ、そうなんだ」

「モシュコはね、もちろんツェルニーの練習曲と同じくらい、指もよく回るようにはなるんだけど、同時にロマン派以降の楽曲の表現力も身に付くから効率が良いんだよね」


 表現力。この言葉を聞くたびに、あたしはふと考え込んでしまう。特に最近、桜木くんにピアノを教えるようになってから、より一層分からなくなった気がする。何が分からないか――分からないことを言葉にするのはとても難しいのだが、あえて言うならこの言葉になる。


「ねえ、村松さん。――あたし最近思うんだけど、結局『表現力』イコール『テクニック』じゃない?」

「えー何? 違うじゃん」


 即答である。マジか。それでもあたしは食い下がる。


「いや、もちろん、例えば作曲家だったり、あるいはうちらの演奏を評価して『こうやって弾いたら上手く聴こえるよ』って導いてくれる先生方の持ってる能力は、確かに『表現力』だったり『音楽的センス』だったりするわけだけどさ、それを演奏に反映できるかどうかは、結局、うちらの手先の器用さにかかってるわけじゃん」


 音楽センスとやらがあれば、誰かに教え導かれずとも、自ら「このように弾いたら美しく聴こえる」というツボを押さえることはできる。しかし、どんなにそのツボを知っていたところで、手先のメカニカルな部分に問題があれば、せっかくの音楽センスを生かしきることができない。それに、仮に優秀なピアノの先生に師事するのであれば(最初はどんなにつまらない演奏をしていたとしても)、それらのツボは教えられるものであり、自ら導き出すことには大した意味が無くなってしまう。


「えー」

「……やっぱ、なんか違う?」

「うん、なんか違うと思う! だってピアノは音楽だよ? テクニックがすべてなんだったら、それは音楽じゃなくてスポーツ? 曲芸? そういう感じになっちゃうじゃん」

「そっかぁ。違うかなー」


 全国4位に否定されてしまうと、困ってしまう。


「ハイチュウ、うちの先生みたいなこと言うじゃん。なんかヤダぁ」

「あ、先生はそっち派なんだ」

「もう、とにかくテクニック、テクニックって。それさえあればなんでも弾けるようになるんだからって、そればっか」

「まぁ、テクニックがしっかりしていればね、何でも挑戦できるから……あたし、弾きたい曲がことごとく難しいのばっかで正直困ってるし」

「なんかでも、ハイチュウって一番そういうこと言わなさそうだなって思ってたのに、なんだか意外」


 2年前までの自分は、ピアノを、音楽をどのようにとらえていたんだろう? 今となってはもう思い出せない。

 案外、思い出さない方がいいんじゃないかな、とすら思う。


――――――――――

本日の1曲

モシュコフスキー 15の練習曲 op.72-2 G minor


(作者注)

 ピアノをやっていない限りはまず知り得ない、かなりマイナーな楽曲きました! モシュコフスキーです。ピアノ弾きはご存じの方もいらっしゃるかも。私自身はつい数か月前に知りました笑

 難易度的には、ツェルニー40番の後半あたり~ショパンのエチュードの間くらいの楽曲が多く、実際、ショパンのエチュードの前段階として練習されるようです。

 「練習曲」なんて言っておりますが、かなり華やかで聴きごたえのある曲も多く、尺の短い発表会なんかでは重宝するかも。

 本日の1曲として掲げたop.72-2は、ト短調のちょっと暗いけどカッコいい楽曲。これは裏設定ですが、美織はこういうちょっと陰のある楽曲、あるいはリズムに癖がある楽曲が好きなもよう。



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