第8話 ピアノ弾きとして、一度は言ってみたいセリフ

 しかしいきなりそのフリースローチャンスというのは到来してしまったのだ。これは我が校バスケットボール大会の特別ルールなのだが、たとえ時間内に勝負の決着がつかなかったとしても、延長戦をすることはない。既定の時間内に同点で終わってしまった場合は、両クラスのフリースロー担当者が順にフリースローを行い、より多く成功させた方が勝ち、という仕組みである。1回戦、A組vsB組の試合は、2対2の同点に終わり、あたしたちが召集される事態となってしまったのだ。

 1投目、あたし。トップバッターなんて緊張する? いや、フリースローに関して言えば、それはそうでもない。むしろ、自分より先んじて投げた人たちがことごとく成功している状況で、自分だけが外してしまうという事態や、自分が入れさえすれば、自分のチームが勝てる、といった状況になり得る、2番手以降こそが緊張するのだ。

 つまり、あたしが失敗しようがしまいが、勝敗はあたし以降の皆にかかっているんだ! なるようにしかならないよ! ――自身にそう言い聞かせ、半ば投げやりに打ったボールは、理想的な弧を描き、無事にゴールに吸い込まれていったのだった。


「本番に弱いって、本当なの?」


 友人たちのそんな声が聞こえてきた。







 2回戦の相手は、C組だった。大会は男女別で開催されているので、我が弟子の姿はもちろんなかったけれど、村松さんの姿をコート内に発見した。――我が校の芋ジャージを着ていても、あれだけ可愛らしくいられるなんて、羨ましいな。そんなことを考えた。村松さんが、発表会やコンクールでピアノを弾いている姿を一度でいいから見てみたい。もちろん、彼女の演奏は大変参考になるだろうけれど、それ以上に、彼女のような美少女が華やかなドレスを着て、華やかなショパンやリストの名曲を弾いたら、いったいどのように目に映るのだろう、という純粋な興味である。

 試合が始まり、あたしは完全に退屈していた。――正直、自分の用事が終わったらあとは興味が持てないのである。同じく暇を持て余したクラスメイトと、終わったばかりのテストについて談義していた。


 笛が鳴り、何やらコートに異様な雰囲気が漂う。大丈夫? だとか、保健委員! だとか。まぁ、バスケ大会の風物詩みたいなもんだよね、と思う。毎回怪我人が出る行事なのである。このご時世、これだけ怪我人が出るとなると、親御さんからクレームの1つや2つ来そうなものであるが、この恒例行事が中止になることは決してない。親御さんも含め、体育の授業中の軽い怪我は皆、ある程度「仕方ないもの」としてとらえているのだろう。

 C組の保健委員の女の子に付き添われながら、村松さんが退場するのを見たその時、あたしは特段驚きもせず、まぁ、かつて同じクラスだった程度には心配したものの、「よくあること」として軽く流していた。

 それが案外、ちょっと面倒くさいことになりつつあるぞ、と認識したのは、A組が2回戦で敗退し、最終的にE組の優勝が決定し、教室に戻った後のことだった。


「どうしよう。――私、村松さんにけがさせちゃった。あの子、ピアノとか弾くんだよね? どうしたらいいの、私」


 そう言って、うちのクラスのバスケ部員の女の子がひどく取り乱してしまったのだ。話を盗み聞くに、どうやらうちのクラスのバスケ部員がパスを回そうとしたところ、村松さんが無理にカットをしようと試みた結果、突き指をしてしまったのだとか。


「もう嫌だ! どうしてこんな日に限って村松さんがバスケに参加するわけ?」

「本当だよね、去年なんて、球技の授業ほとんど全部見学だったくせにね」

「村松さんが不慣れなことするからいけないんだよ。あんたのせいじゃないよ」


 人気者のバスケ部員の女の子は周囲にそうやって宥められていた。なんだかなぁ、と思った。シチュエーションとしては、確かにどちらかといえば村松さん側に非があるようだし、決して得意とはいえない球技で無理をするのは、怪我の元である。しかし、村松さんがバスケ大会に参加するか否かを決める権限は村松さんにしかないだろ、と思う。ピアノのコンクール直前に体育を見学するのも本人次第、その辺は本人の自由だろ。

 とはいえ、あたしは中2でコンクールに出場した際に、体育を休むだなんて許されなかった。当たり前である。何度も言うが、あたしの家庭は決して音楽に力を入れているわけではない。個人の趣味で学校の授業を休むなんていうのは、高中家では言語道断だ。でも、「ピアノのコンクールがあるから、バスケやバレーができないの」って……人生で一度は言ってみてぇな! なんか、格好いいな! 不謹慎ながら心の中で、そう叫んだ。






「……ってなわけで、うちのクラスの村松さん、しばらく自宅のピアノが使えないようだったからさ、貸してもらうことにしたんです。だから、今週と来週のレッスンは、村松家で開催することとなりました」

「桜木くん。人の心とか無いの?」

「なんでですか。村松さんだってOKって言ってたし、ピアノだって弾かれずにそこにあるだなんてもったいないじゃないですか」

「そうだけど……まぁ、本人がOKならOKなのか」


 幸い村松さんの突き指は大したことなかったものの、当面ピアノの練習はお休みするらしい。その隙を狙って桜木くんはピアノを貸してくれないかと打診したというが、マジでこの人何考えてるんだ。


「レンタル料は」

「無料です」

「マジか、それはありがたいな」


 桜木くんが一部負担しているとはいえ、しょっちゅうグランドピアノをレンタルするとなると、かなり費用がかさむ。そんな中、村松さんの御厚意は大変ありがたいのだ。



――――――――――――

本日の一曲

ベートーヴェン 『ロンド・ア・カプリッチオ』

 別名『失われた小銭への怒り』。このふざけたタイトル(好き)はベートーヴェン本人がつけたものではなく、弟子がつけたものである。美織たちがピアノレンタルに小銭を落とし続ける様子から、とりあえずこの一曲を選びました。

 ベートーヴェンにしては、可愛らしい曲。軽快なスピード感が特徴の、コミカルな曲想である。右手の高音部の短いトリルが、失われた小銭感を表しているように聴こえる。

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